【千葉ロッテ】去年引退した肘井選手の記事が毎日新聞に出ていた。


StockSnapによるPixabayからの画像

23歳元ロッテ選手が選手会事務局に入社 多忙な日々「やりがいがある」(毎日新聞)

元ロッテの肘井選手の記事が。現役時代、顔面に死球を受けて骨折して長期入院したり、昨年の戦力外通告には「え、まだ若いのに?」とびっくりしたもんですが…現在はNPBの選手会事務局で頑張ってるようで何よりです(笑)

プロ野球の選手会事務局に今年、10年ぶりに男性の新入社員が入社した。昨年まで5年間、プロ野球・ロッテでプレーした肘井竜蔵(ひじい・りゅうぞう)さん(23)だ。選手会は選手の地位向上や野球振興、現役引退後のセカンドキャリアに向けた支援など幅広い役割を担い、超多忙な日々を送るが、「やりがいがあってすごく楽しい」と全国を飛び回っている。

 5月中旬、肘井さんが託された仕事は、東京都杉並区の和田堀公園野球場で開かれたイベント「キャッチボールクラシック2019東京大会」の運営だ。肘井さんは会場で参加した中学生を整列させ、選手会が考案したキャッチボールの正確さやスピードを競うゲームが始まると、タイムを計測。競技の合間には、指導者や子どもたちに笑顔で話しかける姿もあった。

 イベントは今年だけで10回以上開催。肘井さんも全国各地に足を運んだ。「(現役の頃は)自分で飛行機のチケットを取ることも、空港からバスや電車に乗り継ぐ経験もなかった。今は自分で調べて、ホテルも予約するが、それがすごく楽しい」と言う。

 現場で野球の団体の関係者と交流することもよくある。「『チームがどんどん減っている』とか『あそことあそこのチームは合併した』などと聞くと、野球人口の減少は思ったより深刻と感じる。選手の時、野球の普及について、そこまで深く考えたことはなかったが、野球界全体を見たとき、やることはいっぱいあるんだなとすごく感じる」と野球人口減少への危機感を強く抱いている。さらに「全く何も知らなかったと改めて感じている。自分がやってきた野球のことですら、こんなに知らなかった。社会ってどれだけ広いんだ」とも痛感している。

過去、何度か肘井選手の記事を書いたことがありました。

実際は二軍の試合で顔面死球を受けて手術でプレートを入れた話や、味覚が麻痺してしまった話…も書いたんですが、ここのブログで何度かはてなブログとWordPressで移転した際に消してしまったor保存できなくて消えてしまった記事も少なからずあったのが残念です、はい(泣)

しかし戦力外通告される前の年の秋季キャンプには1軍での帯同を許されて、翌年は1軍には呼ばれなかったものの2軍ではそこそこ活躍してたのにあっさり戦力外通告とは実にプロの世界は本当に厳しい。

で、肘井選手が引退してプロ野球事務局に「再就職」したきっかけは一番下の記事の後半にあるんですが、同じく昨年引退した岡田幸文外野手がロッテの選手会長をしていたことがきっかけでたまたま欠員が出た枠に誘われたそうなんですね。しかしそれが「10年ぶりの新入社員」ということになってたとは知らなかった(^_^;)

実は岡田選手も千葉ロッテにコーチとしての籍を残したまま、故郷・栃木の独立リーグのコーチに「派遣」されてまして、更にここ数年で退団した選手(戦力外通告や任意引退した選手たち)を、コーチに誘ったり、企画営業などのロッテ球団の球団職員に誘ったりとすべての選手ではないようですが、「ここぞ」という選手でもし現役を断念することがあったらセカンドキャリアで面倒見させてください、という姿勢になったのはロッテ球団、いい傾向だなあとは思いますね。ま、いずれにしても「素行」は常にいろんな人に見られてるわけですから、声をかけられる人・かけられない人ってのは如実に分かれるでしょうね…ほら、大嶺翔太選手のような例外もありますし(大汗)

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確かに少年野球のチームは減ったなあ、30年前に比べて。

確かにうちの故郷の千葉県成田市もこないだ少年野球連盟みたいなホームページを見たら、「え、こんなに少ないの?」ってびっくりしたものでしたわ。

余談としては私が子供の頃、昭和50-60年代は団塊ジュニア世代で子供が佃煮にするぐらい(笑)いたんで、同じ小学校の学区でも2つ3つぐらいあって、しかもそれぞれのチームに各学年で30人を超える選手を擁してたんですけどね。で、後年、うちの小学校の学区のチームが2つあったのが合併して、更にそこのチームが再編で別の名前になったそうで未だに同じ公園のグラウンドで活動してるそうなんですけども。

それと、母校の中学校が5-6校ぐらいの小学校から進学してきて、ざっと10チームぐらいのレギュラークラスの連中が新入生として入学してきてたんで、そこそこ野球部が強かったんですけどもこれまた学区再編も10年ぐらい前にあって、強いチームの子供が、今は私立に行くようになったり、運動部系に関しては越境入学もできるようになって隣の中学(ついでに書くとそこがロッテの唐川投手の母校らしいんですけど)に行くようになり、野球部じたいがなくなってしまった…という話も聞いてそれまたびっくりしました(^_^;)

就活で13社に声を掛けられるとは…肘井選手の人望ですな(笑)

記事の続きに戻りますが…。

肘井さんは兵庫・北条高から2013年の育成ドラフト1位でロッテに入団。2年目の15年には支配下登録され、開幕1軍をつかみとったものの、5年目の昨季オフ、戦力外通告を受けた。結局、プロ5年間の1軍での通算出場は30試合に終わった。

 昨オフ、就職活動を始めると、選手会事務局も含め13社から入社の誘いを受けた。「売り込みに行かないといけないと思っていたのに、たくさんの声を掛けてもらった。学歴は高卒、パソコンができるわけでもない、英語が話せるわけでもない。そんな自分がなぜ」と思い、採用担当者にその問いをぶつけた。答えは「野球に限らずアスリートには、試合に向けた準備、試合、結果を踏まえて反省して考える、また準備というプロセスが身についている」だった。

 そして、「こういうことを知っている野球選手はどれぐらいいるんだろうか?」と疑問がわいた。それはセカンドキャリアを支援したい思いへと変わり、選手会事務局への就職を決断する大きな理由となった。

 日本野球機構(NPB)の調査によると、昨オフ、戦力外となった選手・現役引退した選手は計136人。このうち、独立リーグなどを含む他球団へ移籍したり、育成契約を結んだりしたのは54人で、一般企業や自営など野球関係以外の道に進んだのは、約2割だけだった。「『僕には野球しかない』という人が多いが、それがイコール『野球しかできない』ではない。そう思える選手を一人でも増やしたい」

 2月の春季キャンプでは、選手会事務局の一員として各球団を訪問した。「僕の経験も踏まえながら、全力でサポートできるように全力で頑張ります」とあいさつすると、たくさんの拍手を浴びた。事務局から支給されたスマートフォンには若手選手から電話が掛かってくることもある。「『これ、分からないんですけど』と質問してもらえると、すごくうれしい。もっと勉強して、何を聞かれても、ぱっと応えられるようになりたい」。選手会事務局のルーキーは今日も各地を走り回っている。

年末にTBS系列で放送されている「プロ野球戦力外通告」という番組を私はつい毎年のように見てしまうんですが、あれを見てるとトライアウトで他球団に行こうとするのも、プロを諦めて再就職を決めるにしてもそう簡単には職が見つからないようで、「いやあこれは厳しい」と毎年しみじみと感じるのですが…。

その厳しい状況下で、肘井選手に13社もお誘いがあったってのは「それはあなたの常日頃の人柄の良さなんだろうね」と思う次第ですね。そして先に書きましたが、最終的にプロ野球事務局に入ることになったのは、先輩である「元選手会長」岡田選手のご縁でたまたま欠員が生じたから…という偶然をキャッチできた(そしてプロ野球事務局サイドからも肘井選手の再就職はまさに大歓迎だった)のも、それは現役時代の5年間で彼が必死に頑張ってきたことと、同僚や先輩たちとの付き合いが極めて良好だったからでしょう。

そうでなければ採用担当者氏が本人に向かって「野球に限らずアスリートには、試合に向けた準備、試合、結果を踏まえて反省して考える、また準備というプロセスが身についている」とは言いませんし、ましてやそれを実行する難しさも採用担当者氏もわかっているからこそ、「5年間の現役生活で(怪我で入院してた時以外は)それをきちんとこなしていた」情報はプロ野球の世界などでちゃんと評価されていて、そしてその情報をキャッチしたいろいろな業界の採用担当者氏が「ぜひともほしい」と、なんと13社から来た、というのは…「本人は気づいてないとこで、いろいろな人が見ていて、それは常に評価されている」という証左なんでしょうね。

縁の下の力持ちは絶対に必要。でもなかなか難しい。

以下は「余談」として書きますが、私自身、現在岩槻のクイズサークル「岩Q槻」という会で、番頭役という名前の「縁の下」を担当しています。「縁の下の力持ち」と言えるのかどうかはさだかではありませんが、場所の設営やら細かい調整役、ホームページの更新などの事務方も、まあ趣味の範囲内ではありますがやらせてもらっています。

実はその前には別のサークルで、高校時代に立ち上げたサークルが途中でクイズサークルに切り替わり、25年近くそういうのをやっていたことがありまして、それはちょうど今から3年前に辞めて、改めて岩Q槻というサークルを立ち上げたという経緯がありました。

その際に痛感したのは、あまりにも長くやっていると「縁の下の力持ちの存在が、空気のようにあたりまえになり、周りがそれに頼りすぎてしまう」ことと、「途中から事務方の縁の下の力持ちになるのは難しい」ということでした(ま、端的に言えば「わがままが過ぎる奴らとの人間関係でキレた」ということなんですね、ええ(苦笑))。

結果、現在の岩Q槻ではできるだけ何があっても「おおらかに」接しつつ、「皆が楽しむ姿を見て、それを楽しもう」と、プレイヤーとしては一歩引いて運営側・設営側として楽しみを見出してやらせてもらっていますね。また周りのメンバーが皆、「(性格的にも)大人」で、非常に何かと協力的な雰囲気を作ってくれて皆で盛り上げようと頑張ってくれているのもありがたいなーと思っています。

私自身、ぶっちゃけて言えば「やめようと思えばいつでもやめられる”趣味”」のカテゴリーでそれを痛感するわけですから、「本職」の縁の下の力持ちはこれの何十倍も大変なのは当然でしょうし、たぶん肘井選手もセカンドキャリアではプロ時代と同様、もしくはそれ以上の苦労も重ねるかもしれませんが、おそらくプロの5年間、特に顔面死球でひとつ間違えば命を落としかねない大怪我をした事も含めて、それらは決して無駄ではなかった…というよりも、あの時代の経験で何事も踏ん張って頑張っていけるセカンドキャリアを送れるんじゃないかなあ、とそれはなんとなくそう感じつつも、今後の御健勝を心からお祈り申し上げますです。

以上です。

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↑こちらの「セカンドキャリア」も確かに凄そうだ…。

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