新元号「令和」が決まった約2時間後に、大正生まれの祖母が亡くなった。

今日は所用がなく、午前中は妻がでかけていて家で留守番しつつ、テレビで新元号を見ていて、午後からは買い物を頼まれたので、買い物がてら、近所の野球場の桜を見に行った。そして、夜、故郷の親父から電話があった。

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桜がきれいだなー…肌寒いけど。

今住んでいる東京都福生市では、週末に「さくらまつり」というのを多摩川の土手沿いでやるぐらい、多摩川の土手沿いの桜がきれいなんですが、歩いてだと20分ぐらいかかる場所にあるので、てっとり早く見れる場所として家から歩いて3分のとこにある市の野球場と、その隣の市民会館のとこの桜を見に行きました。

一塁側の高台に何本も桜の木が植えてありまして、側道にこぼれんばかりに咲いてました。

市民会館と野球場の間の道路が桜並木のように。

そして野球場も駐車場までは自由に入れるので、

駐車場もこんな感じに。

バックネット側からさきほど歩いてきた(つまりは自宅方向)に向けてズラーッと咲き誇ってます(笑)。

市民会館の自販機が入れ替わっていた(笑)

そして隣の市民会館へ。市民会館は月曜日が定休日なのでえらく静かでした。いつも午後になると隣の建物に学童保育があるので、物凄い数の子どもたちが遊んでるんですけど、春休みだったせいかこちらも人っ子一人いませんでした。

市民会館の正面もきれいな桜だった…んですが、「あれ?」と思ったのが、

昨日まではコカコーラの自販機だったのに、今日になってアサヒの三ツ矢サイダーの自販機に替わってました(;゚Д゚)

と思ったら、市民会館とかの中の自販機も入れ替えがあったようですね。自販機ごと載せてたトラックが止まってました。

その後、コンビニやらスーパーやらに買い物に行ったんですが、帰りに本降りの雨に降られましてえらい目に遭いました(泣)

成田山から会報(広報誌?)が届いていた。

帰宅すると、郵便で届け物がありました。

去年、息子が七五三で初穂料を出したご縁で、定期的に送られてくるようなった「成田山だより」でした。

表紙が4月8日のお釈迦様の誕生日の「花まつり」の日の写真でした。幼稚園が成田山系のとこに通ってたので、一年の最初の行事がこの「花まつり」で、成田山新勝寺の大本堂の真ん前に置かれたこういうお釈迦様の仏像に甘茶をかける…ってのはもう40年前の4-5歳の頃の記憶ですが、未だに鮮明に残ってますねー。

それと先月も届いてたような記憶があるんですが、「いやあ趣味のクイズ的には役に立つなあ」と思うのは、

「市川海老蔵さんがなんで成田屋って屋号なんですか?」という質問に丁寧に答えている話…など、結構眺めてるだけでもトリビア的な知識が入ってくるもんなんですね。結論を言えば「初代團十郎に子供ができなくて、成田山新勝寺にお参りしたら、子供(この子が後の2代目團十郎になったそうで)ができて、成田山の熱心な信者になったから」だったそうです。いやあこういう何気ないとこで読んだ知識が後々、どこかでクイズをやってて、いきなり記憶のインデックスから引っ張り出てくるから恐いですわー(苦笑)

新元号発表から約2時間後、大正生まれの祖母が逝った。

夜、リビングから息子を2階の寝室に抱っこして連れて行って、パソコン前の椅子に座った瞬間に部屋の電話が鳴り、電話に出ると成田の親父で、「今日、ばあさんが亡くなったんで」と連絡があった。

3月3日のクイズサークル「岩Q槻」の例会中に、うちの親父から携帯に着信があり「医者からあと長くて2ヶ月と言われたんで、そのつもりで」という連絡を貰ってたのと、もう15年ぐらい前から認知症が進んで最後の10年は介護施設と病院の往復だったんで、私も妻と結婚する直前からほとんど会ってなかったし、介護その他の調整はうちの両親がほぼすべて面倒を見てたので、帰省する度に「ばあさん、どう?」って親に聞く程度ではあったんですけどね。享年94歳。大正末期(大正14年か15年)の生まれなので、最終的には新元号の時代には間に合わなかった計算にはなる次第です。

実はつい昨日、たまたま偶然、↓こんな記事を読んだばかりでして、

新時代切り開く気概を 内海桂子さん人生で四つ目の元号に期待(毎日新聞)

うちの祖母よりかは3つか4つ年上の内海桂子師匠がまだまだお元気で、「あたしゃ4つ目の元号だヨ」という記事でした。

1日に新元号が発表されるのを前に、大正生まれで、昭和、平成の時代を生きてきた漫才師の内海桂子さん(96)に、新しい元号や時代への期待を語ってもらった。【聞き手・小林祥晃】

 人生で四つ目の元号が何になるか、楽しみだね。「粋」なのがいいね。

 大正、昭和から平成になって世の中は豊かになったと言われるけれど、今はそんなに豊かなのかねえ。生活は苦しいのにそうでないふり、お金があるふりをしている人が多いように感じるよ。持たない者は持たないなりに、ぜいたくをせずに暮らせばいいというのが昔の考えだったけど、今は周囲と同じでないといけないと思う人が増えてるんじゃないかい。

 うちは貧乏で、私は10歳の頃から東京・神田のそば屋に奉公に行ったんです。かわいそうと思うかもしれないけど、さびしくはなかった。あの時分、みんなが貧乏だったこともあるけれど「自分が家族を助けるんだ」と強く思っていたから。仕事は子守でしたが、客のげたの切れた鼻緒を直してお釣りをもらったりもした。こんな経験から「貧乏だったらどうしたら稼げるか工夫すればいい」と今でも思っています。

 だから、最近就職する若い人には「(会社に)使われている」とは考えないでほしいね。自分のいる場で何でも吸収して、会社をかき回すくらいの気持ちが必要だよ。

 平成の次はどんな時代になってほしいかって? 時代はね、他人に作ってもらうのではなく、自分で作るものですよ。私は不満を世の中のせいにしないの。もし「こんな社会で生かされるのはいやだ」と思う人がいたら、自分で行動して、居場所を作ったらいい。そうやって時代を切り開く若者はきっとどこかにいると思いますよ。

 うつみ・けいこ 1922(大正11)年生まれ。16歳で漫才師として初舞台に立ち、50(昭和25)年に故内海好江さんとコンビを組む。現在も現役漫才師として、ツイッターで世相や日常について発言する。漫才協会名誉会長。

この記事を読んだ後、妻と「うちのばあさん、どうかなあ、新元号間に合うかなあ。間に合えば4つ目の元号かあ」と話してた矢先だったんですけどね。

最終的には、亡くなったのは今日の午後1時34分だったそうで、新元号発表から約2時間後。たぶん実際は認知症がかなり進んでたし、老衰で亡くなったので意識がなく昏睡状態だったんで「そんなん覚えては居ない」んでしょうけど…それでもかろうじて「新元号は令和である」ことは一応知って、それには間に合ったんだな、と(苦笑)。それと不思議だったのは今日の午後、お昼ご飯をたっぷり食べたハズのうちの息子がお昼寝もしないで異様にギャンギャン泣いていたんですが、思えばばあさんが亡くなった時刻ぐらいの話だった。既に認知症が進んでいて施設に入ってたので、2013年に生まれた(祖母からすると)3人めの曾孫であるうちの息子との対面は結局果たせなかったのだが、もしかしたら最後の最後に曾孫に会いに来てくれたのかも知れないな、と。

しかしうちのばあさん、大正の末期に生まれて、平成の最末期に亡くなるとは…。私自身には悲しさはさすがにないですが(94歳まで生きれればもう大往生でしょうよ(汗))少なからず寂しさはありますねー。それでも私は「いや、ばあちゃん、新元号の時代には間に合わなかったけど、「新元号は何か」は知ることができてよかったねと思うようにしたいですね、はい。

以上です。

 

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