先日行った大阪・兵庫方面の旅行記の続きになります。→概要・その1・その2・その3
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とりあえず阪神電車で大阪の中心街へ。
宝塚やら甲子園やら案内してくださった友人のAOIさんに連れられて、甲子園駅から阪神電車に乗って梅田方面へ。その途中、「尼崎センタープール前」なる駅を通過したんですが、「センタープールって何だか知ってる?」と問われ、「モータープールでもあるんすか?」なんて答えてたら、全速力で競艇場のそばを通過してまして「あー、なるほど」と(笑)。
で、阪神梅田駅から徒歩圏内のとこに夕方から行く「大阪フェスティバルホール」および泊まる宿がありましたので、先に荷物を宿に預けてから時間を潰しましょうか、ということに。
ちなみにこの日泊まったのは「リーガ中之島イン」というフェスティバルホールから歩いて3分もかからないところにある宿でした。10数年前にまだ結婚する前に付き合ってた頃の妻と、さだまさしの30週年コンサートを見に来た際に泊まったんですが、一階にはコンビニもあるし、フェスティバルホールから本当に近いとこにあったので、JALの航空券と宿がついたパックプランを眺めてたらここのホテルの宿泊プランもあるのに気づいて、「おお、これはありがたい」と、チケットが取れたのと同時に予約しちゃったのでした(なのでクレジットカード払いで引き落とされたのが去年の12月でしたし…)。
ただ、どこが入口だかわからず、ぐるーっと一周しちゃったんですが、その途中に、
あれ岩槻の酒屋の若旦那、いつの間に大阪に支店も(←違w)
※ただ10数年前にここに来た時もこの看板にバカウケしてやはり当時、岩槻の若旦那本人に告げたらやはりバカウケしてた記憶も…。
で、荷物を預けるついでにチェックインもできまして、手ぶらの状態でコンサートに行けることになりました。
そしてさだまさしのコンサートへ。
実は開場までしばし時間があったんで、宿の道路を挟んだ真正面にスタバがあってそこで時間を潰しつつAOIさんといろいろとくっちゃべってました。
実はこのAOIさん、さだまさしファンの大先輩でもあるんですが、実は10数年前は千葉ロッテの大ファンでボビー・バレンタイン監督の頃の千葉マリンで(御本人曰く)踊り狂ってたという方でもあり、落語が大好きで最近は上方落語会に行くようになったんですが、東京に居た頃は立川流の落語会にも結構行っていて、立川談之助師匠とか立川キウイ師匠などともマイミクだったり一緒に飲んだりしてた(談志師匠とも真正面で飲み交わしたことがあるそうで…いやあ凄い(大汗))という方でして、私からすればたぶんクイズとヴァンフォーレ甲府以外の趣味では「大先輩」にあたる方でもありまして…。
でまあここしばらくの話とかもしてたんですが、一番感銘を受けたのが、
「趣味は、飽きてからが本番でしょう?」
の一言がガツーンと来ましたね。いや本当に勉強になりますです(多謝)
で、ぼちぼち開場時間が過ぎたので、大阪フェスティバルホールの方へ移動することにしました。
本当に歩いて3分のとこに(苦笑)
今回のコンサートは「1978年のさだまさし」というタイトルがついてました。というのはさだ氏はこのフェスティバルホールで200回以上コンサートをやっているんですが(数多のコンサートホールの中でもぶっちぎってるんだそうです)、その「第1回目」のコンサートを行ったのがちょうど40年前のこの3月末だったそうで、その時と「同じ曲目」でコンサートをやる、という企画でした。
ちなみにこの企画、今日と明日の2days(2日間とも同じ曲目だったらしいです)…だったんですけど、ファンクラブの先行抽選の時点で結構な倍率で、いつもだと簡単に先行抽選で取れるところが外れて取れなかったという人が続出したんだそうです。ついでに書くと今日いろいろと案内してくださったAOIさんは旦那様と一緒に翌日の方を見に行くんだそうです。
で、ロビーに向かう大階段の前で一枚写真を撮り、左側にあるエスカレーターに乗って上のロビーへ。チケットを持ってない人でもロビーまでは自由に出入りできるそうで…。
40年前のさだ氏(当時25歳)と今のさだ氏(現在65歳)の等身大オブジェが飾ってあってそこで交代で記念撮影をしてました(笑)。まさかさだのおっさんも40年たってもこんなコンサートツアーをやってるとは思わなかったろうな…とか内心思いつつ。
ここでAOIさんとお別れしまして(この日にコンサートに来たお知り合いを探すとおっしゃってました)、私はゲートでチケットを見せて更に上の客席方面へ。
こんなエスカレーターで上がります。
左手の親指で隠してるとこにチケットを取ってくれた妻の名前が書いてありますので…(苦笑)。
で、この日は1階席の前から13列目の端っこ、という思った以上にいい席でした。もっとも手ぶらだったんで暑かったらパーカー脱いじゃおうかなあと思ってたんですが、暑さ寒さはそれほどでもなく。で、着席してぼーっとしてたら、2列斜め前の席のおじさんおばさんたちが(本当は好くないらしいんですが)、「すごい席だねー、これは思い出になるねー」と記念写真を撮ってたので、
じゃあ私も一枚と(^_^;)
初めてさだまさしの「主人公」を聞いて泣きましたな…。
で、コンサートは18時を少し過ぎたあたりから始まりまして、1978年というのは「関白宣言」も「親父の一番長い日」もまだリリースしてない年(その翌年らしいです)だったそうですが、私自身、中学・高校の頃にヘビロテで市立図書館にあったカセットテープのアルバム(←「CD」でも「レコード」でもないのが今から思えば凄いですな…)を、親父が持ってて使い古したカセットテープにダビングしてウォークマンで聞きまくってたような曲ばかりで「あー、どれもこれも耳に馴染んでるわ」と、目をつぶって聞いてましたね。
それと40年前と現在のさだ氏のコンサートのバンドメンバーが違っていて、「あー、亀山社中(←以前、長年の間、さだ氏のバックバンドだったグループ名)がいればなー。特にマリンバの宅間氏とかがいればオールドファンは泣いちゃうぐらい感動するのに」とは思いつつも「まあこれはこれでいいのかな」とも、いろいろと思い出が去来しつつも、のんびりと聞いてました。
↑このマリンバの宅間氏はおおよそ30年以上、さだ氏のコンサートのバックバンドに参加してたんですね。
そしたらラスト数曲前のさだ氏のトークの最中に、スタッフがマリンバを、喋ってるさだ氏の隣にセットしましてえらくどよめきと拍手が(汗)。すると、さだ氏が宅間氏の名前を呼び、本人が出てきて、マリンバの見せ場でもある「胡桃の日」という曲をやったもんだから観客席が総立ちになりまして、心の中では「いやあわかってるなー、粋だなー」と感激するやら感動するやらでした。
ただ私自身はこの曲も感動したんですが、その後に歌った、
「主人公」という、さだファンの中では35年以上にわたって「人気投票でほぼ確実に1位となる」曲を聞いて、1月に急逝した友人(それこそ↑に載せた肥後橋商店街ならぬ岩槻の「竹内酒店」の若旦那のことです)の事を思い出してぶわーっと涙が出て泣いてましたね。正確には、彼を含めた10-20代の頃から付き合ってる「バカ仲間」との思い出が一気に去来して涙が溢れて止まらなかったですね…。
↑17年ぐらい前のクイズサークルでボウリング場に行った時の写真(全員がさだファンでもありました)。私や酒屋の若旦那を含めて「4バカ」とか言われてました(汗)
この歌、さだ氏のコンサートではもう何十回も聞いてる(そんぐらい「定番」な曲なんす)ハズなんですが、初めて心に響いて泣いてしまったような気がします。
ちなみにAOIさんが行った翌日もほぼ全く同じ曲目だったらしいんですが、
「1978年のさだまさしコンサート」、ファン歴40年、重ねた時間はあちらもこちらも同じ。色々な思い出がブワッと吹き出す時間でした。
この並び、やっぱり泣いちゃうよね。
全ての歌が前奏から感涙モノで、中学生の自分に、こんな時が来ると教えてあげたかったわー。#さだまさし #大阪フェス pic.twitter.com/HCCNMasQOq— AOI (@AOI450111) April 1, 2018
2日目(最終日)ということもあって、アンコールでは、さだのコンサートとしてはほぼ前代未聞の「カメラで撮影OK、SNSにアップしてもOK」と言ってたそうです。で、AOIさんも、一緒に行ったご主人のりょーかんさんも感涙で号泣モノだったそうです。翌日帰宅後にそれらを知って「それもすげー」とただただびっくりする次第でした。ただ1日目の私はヘタにネタバレしないように、
昨日の大阪フェスのさだコンサート。ネタバレ解禁(というか2日目の最後は撮影タイムおよびSNSオッケーだったそうで)なんで改めて書きますが、さだ氏の盟友・マリンバの宅間氏がラスト5曲目に登場。それでも感激なのに65歳近いのに若さ爆発、更にラス2の「主人公」で号泣、という次第でした。
— むろかつ@岩Q槻 (@muroktu) March 31, 2018
で、まあ「主人公」で号泣…どころか泣いたのは初めてでしたね。コンサートで何十回も聞いてるのに。奇しくもガソダム氏と昔からの仲間たちの顔が脳裏に浮かんできたらもう涙腺決壊でしたなー。まあ弔辞でもあんたに言ったけど、もうちょっと俺ら、こっちの世界で頑張るから、あっちで待ってろよ…と。
— むろかつ@岩Q槻 (@muroktu) March 31, 2018
…結果、どうなったかというと、終演後セットリストも確認せずに泣きながら出口に向かい、宿に戻る前に宿の真裏にあったうどんやですすり泣きしながらうどんをすする、という40代のおっさんがひとりで何やってんだろう…というような図がそこにありましたとさ(←「とさ」じゃねえよw)
— むろかつ@岩Q槻 (@muroktu) March 31, 2018
翌日の夜に「しれっ」とTwitterで呟く程度に押さえてました。
泣きながら帰りにうどんを喰ってった。
で、アンコールも数曲ありまして(最後はさだ氏と宅間氏のふたりで「雨やどり」をやってました)、コンサートが終了となりました。しかしまあ涙が止まらんし、大阪だからなかなか知り合いに会うことはないにしても、この泣き顔は人には見せたくはないな…と思ってたら、行きは閉鎖されていた、ロビーに降りる階段が開放されていて、そこから降りて、ロビーに貼られている曲目(セットリスト)もスマホのカメラで撮る事を忘れて、さっさとフェスティバルホールを出ちゃってましたね。
結局晩御飯は、↑のTwitterでもしれっと(?)書いたように、
宿のほぼ裏側にあった立ち食いうどん屋でかしわうどんといなり寿司と一緒にうどん喰って帰りました。お客さんがほとんどいなかったんでどうにか気持ちを鎮めつつうどんを食らう姿に「俺、何やってんだろうな」とか思いながら。
ちなみに食べ終わって食器を返却口に返す時に、どやどやと送別会帰りのサラリーマンが8人ぐらいどーっと入ってきたので、本当にベストタイミングだったようです(苦笑)
で、宿の1階にあるコンビニでペットボトルのお茶とかを買って、預けてた荷物を回収して部屋へ。
この日はプロ野球の開幕日だったんですが、CSが入らなかったんで千葉ロッテvs楽天の中継は見れず(延長の末に惜敗しました)。シャワーを浴びてなんとなく横浜vsヤクルト戦の中継を見てるうちに前夜は睡眠時間2時間半だったし、甲子園でビールも飲んじゃったし…で、あっさり睡魔に負けて、バタンキューで23時前には寝てしまった次第でした。
つづきます。
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