今日、四半世紀の付き合いだった親友の告別式で弔辞を読みました(追記あり)。

25年来の付き合いのあった親友の告別式に参列してきました。

この親友の話については今月だけで、

と、三回も書かせていただきました。最初は新年会でバカっぱなしで盛り上がったことと、そしてその三週間後に急逝してしまった話と…。

で、その親友の通夜が昨日の夜、告別式が今日のお昼前で、共に埼玉の岩槻だったんですが私は両方共日帰りで行ってきました。

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43歳にして人生初の弔辞を読むことに。

その親友の親御さんに通夜告別式の日取りが決まったという連絡を受けた際に、依頼されたのが「息子への弔辞を読んで欲しい」ということでした。

いや、相当悩みました。彼とはさだまさしファンつながりで知り合って、深夜ラジオ番組で各地方にできた「さだまさし研究会」の会のトップ同士でいろいろとおもしろいことをやりはじめて意気投合して、後にひとつのサークルとして活動し始めて、途中からクイズサークルに…という、

「これ、どうやって故人と俺の関係を説明するんだ?」

というところから難関でした。しかしこれをすっ飛ばすと、出身地も住んでるとこも年齢も違う(私のほうがひとつ年下でした)私がなんで弔辞を読んでるの?ということになるので、一応、エディターソフトで、ネット検索で「弔辞 文章」とかを調べながら、言いたいことを書いていきつつ、下読みして、5分程度で収まるように加筆修正していきました。最終的には4分前後がいいという話になりまして…いやあ、20回ぐらい書き直して、都度下読みしてましたね。どうしても「4分30秒の壁」を破るのが大変でした…。

で、Amazonでこういうのが売ってたんですね。本式なのは筆ペンで書くらしいのですが、私は腱鞘炎持ちだったのと、本式にこだわるような告別式ではなかったんだそうで、印字させてもらいました。

そしたらお通夜に行ったら、実は亡くなった友人とそのお父さん(今回の通夜・告別式の喪主でもありました)は地元の商工会とかライオンズクラブとかで活動していて、結構顔が広かったらしいんですね。あまりの多さに「うわ、弔辞、俺でいいのか?」と焦りました。で、帰宅後、また加筆修正して、下読みして、最終稿(←弔辞を「最終稿」っていうなよ(汗))を印刷し終えて寝たのが午前4時。実質睡眠時間2時間で昨日に続いてまた喪服ででかけました。

これほど泣いた告別式も記憶になかったです。

すると告別式は、昨日のお通夜と違ってご親族とか親しい方が中心で、打って変わってなんとなくアットホームな感じでした。お通夜は1階のホールが入れずに二階に椅子をおいて順番待ちするぐらいでしたから。

で、小川町に住む友人夫妻(こちらで故人と一緒に写ってるのが旦那の方です)と岩槻駅で合流し、タクシーで斎場へ。受付などをして故人のお姉さんに友人夫妻を紹介したあと、スタッフの方が私のとこに来て、これをつけてくださいと手渡されたのが「弔辞」と書かれたリボン。しかも「ここに座ってください」と言われたのが一般客席の最前列の焼香するとこのすぐ横。「あれ、昨日は市議会議員さんとかが座ってた場所では??」とびっくり。結局、小川町の友人夫妻が隣に座り、二列目もなじみの友人たちでした。ちなみに昨日のお通夜も新しい顔から懐かしい顔まで10数人の友人が集い、本人が25年近いさだまさしとクイズのサークルでの顔の広さをうかがい知ることができましたね…。

そして告別式が始まり、お坊さんの読経と焼香が進み、30分ぐらいして名前が呼ばれて弔辞を読むことに。すると昨日までは試し読みするたびにつっかえてた文章がスラスラと読める自分にびっくり。そして右側の親族席からすすり泣く声が聞こえてきてまたびっくりする事態に。いや、そんなに泣かすようなことは言ってないと思ったんですけど…。

が、私はそこまで弔辞を作って読むことに一生懸命だったようで、故人の安置されている姿を見ても現実味がなかったのも含めてほとんど涙も出なかったのですが、弔辞が終わり、親族席からすすり泣く声が聞こえてきて自分も席に戻り、再び読経が始まった瞬間に、故人の遺影を見て大号泣してしまったんですね。妻が気を利かせてスーツにタオルハンカチがなかったらえらいことになってました。そしたら周りの友人達も、故人とは中学の頃の付き合いとか、私同様20年を超える付き合い…とかの連中ばかりで、やはり号泣してしまったんですね。

その後、私と、故人とは中学の同級生でうちのクイズサークルにも参加しているうへの氏は、友人の代表ということで火葬場で骨上げも参列して欲しいとご遺族からお願いされてまして、一緒に火葬場にも行きました。

↑火葬場である大宮斎場にて。抜けるような青空がまた悲しい…。

で、火葬してる間に精進落しというお料理が出たのですが、この時に隣になった故人の伯母様(故人から見るとお母上のお姉様だったそうです)に、「あなたの弔辞良かったわー、泣けたわー」とお褒めの言葉をいただきました。が、その後の言葉が凄かったっす…。

「でも弔辞が終わった後にあなたが号泣しはじめたら、周りの友達も泣き始めたのをみて、私達、更にもらい泣きしちゃったのよね。本当にあの子にとって、いい弔辞をありがとうね」

と。さすがに「いや、弔辞の緊張感が抜けて現実感が襲ってきまして」とはいえませんでしたね。ただ、仲間内でも一番屈強で、しかも文字通り「急逝」したので、遺影となった写真と、実際に棺に入っている本人の顔や体格にそれほど差がなかった(闘病生活を送るとどうしても激ヤセしますしね)のが逆に私は、泣けましたね。正直、「お前、ふざけんな。早く起きろ」って何度泣きながら心のなかでつぶやいてたことやら…。

↑先日、焼き増しして送って差し上げた60枚近い写真の内、皆の集合写真は棺の中に収めてくれてました。これでまた涙が…。

火葬後、骨上げをして(友人のうへの氏とふたりで拾いました)、斎場に戻って終了となりました。

泣きすぎて帰り道、迷子になる(^_^;)

私は昨日のお通夜の際にどっちも行けないので預かって出した東久留米の友人の香典返しを郵送しようと郵便局に行ったんですが、箱のサイズが微妙に合わず、結局、東久留米まで持参することに。そこまでは私も平気だったんですが、西武線で東久留米→所沢→東村山→小川→と拝島線を乗り継いで、やっと座れたかと思ったら、緊張感が抜けてまた涙が止まらなくなり、拝島で下車して徒歩20分の道を歩いて帰ることに。

しかし恥ずかしながらタオルハンカチで目を押さえながら泣きながら歩いてたら、見事に道に迷って「あれ、ここどこ?」っておかしなことになったのには困りましたなー。ま、五日市線の熊川駅が見えたんで場所がわかって帰れたんですけどね。

数年前の忘年会での、故人となった友人と、私、それと冒頭に出た小川町の旦那。まあこの20年、お互いバカだバカだと言い合ってた仲だったんすけどね…。基本的にはここのブログでは名前と顔が特定できちゃう顔写真は載せないことにしてるんですが、今回はまあ特別、ということですんません。

そして本人は日頃から照れ屋な奴なんで、クイズサークルの例会の写真なんかでは、調子に乗って中指突き上げてる写真が多くてとてもじゃないがそれは親御さんには渡せなかったんですけど(汗)。それでも遺影にできるいい写真もありまして、まあ記録用とブログ用と思い出用にバンバン撮りまくってたのが幸いしました。

しかし享年44。あまりにも早すぎる。上記の写真の私(今年の秋に44歳)と小川町の旦那(今年の春に48歳)なんかはふたりとも「不摂生極まりない俺らのほうが早いと思ってたんだがな…」ともう号泣でしたね。私も小川町の旦那も人前で泣いたことなんてなかったですし、こんな涙はもう二度と流したくないのですわ。

竹内君、また俺らとあの世で会ってバカ話をしましょうね。合掌。

追記

この記事の翌日に書いてます。この友人のお通夜・告別式でもここには書けないことがいろいろとありました。

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