今日は「Quiz Japan」誌主催のトークライブを見に行ってきました。いやあ渋谷(の宮益坂の方向)に行くのが、考えてみれば10数年ぶりなんすけど…(苦笑)
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随分と変貌してた10数年ぶりの渋谷の街
当初は青梅線の牛浜から青梅特快で新宿まで一本でバーンと行くとこだったんですが、意外に青梅特快が(階段から最も遠い一番前の)1両目の前の方までギッチギチで、国分寺に至っては「ん、どこのパイレーツ・オブ・カリビアンですか?」という格好した兄ちゃんが、4つ向こうのドアが大混雑で、こっちのドアに回ってきて隣で「どこのジョニー・デップやねん」って感じで直立してました(爆)
で、あえて隣を見ないで車窓を眺めていてツッコミを禁じ得ないぐらい笑いをこらえたりしてた…んですが、三鷹で快速に乗り換えて、吉祥寺から井の頭線に乗り換えてきました。
で、近所の立ち食いそばで早いお昼ごはんを食べたりしました。うーん、10数年前、原宿にさだまさしのグッズショップがあった頃はよくここらへんは来てたんですが…工事現場ばっかりでかなり町並みが変わってましたわー。
宮下公園のあたり。もうちょい右側の奥に、かつては「電力館」という東京電力の企業博物館とかもあって、20代の頃はさだファン仲間や20年前当時の彼女とかと見物しに言った記憶もあるんですけどね…。
で、ここの宮下公園の交差点に面したビルが、
「東京カルチャーカルチャー」なるイベントホール(?)が入ってまして、
こんな感じの看板も。
え、こんなに大盛況だったん?(;゚Д゚)
実は私が「チケットぴあ」で購入したチケットは、
こんなんだったんですが、整理番号(開場したらこの順番の優先で着席できたそうです)が30番台で「まあ50人ぐらいの小さなバーみたいなとこなんだろうな」と予想しながら来たんですが、
いや、意外に広々としていてそして混雑していてビックリ、でした(爆)。
で、ちょっと出遅れたので席どうしようかなーと思ったら、いつもクイズサークルでご一緒する佐伯明日叶(さえき・あすか)さんという方を見つけまして挨拶したところ、
幸いなことに彼が座ってたテーブルに1席空きがあったのでそこに座らせてもらいました(苦笑)。で、少なくても1オーダーしないといけなかったので、ジンジャーエールを(いや、生ビールって言いそうになりましたがさすがに(苦笑))。
※ここではトークを聞きながら飲み食いができるお店でした。
「第14回」の参加者の皆さんが…。
で、正午すぎに始まりまして、
司会者の方が最初に出てきて挨拶やトークなどをした後に、
第14回の出演者の方が出てきました。当時の上位の方々の全員ではないんですが、かなりの方々が参加してくださってました。
「アメリカ横断ウルトラクイズ」は、通常放送が第1-16回まで、1998年に一度だけ「今世紀最後」というフレーズで復活したのを含めると17回行われたんですが、第1-10回に関しては、優勝者へのインタビュー記事が本になったり、ネットで公開されていて、第11-13、第15-16回、今世紀最後の優勝者は、クイズ研究会の人やクイズ王と呼ばれている、比較的著名な人たちばかりなので文献やインタビューなどがいろいろと残ってるんです(あとははてなブログの世界で言う「はてな村」のようなものが、クイズの世界では「クイズ界」というのがあり、人の縦横の繋がりがかなり網羅されている、という側面もあります)。
が、この「第14回」だけは、クイズ研究会もクイズマニアも殆ど全く東京ドームの予選で残ることはなく、勝ち残って海外に出たという人たちがみんな「普通の人々」だったために、「クイズ界」とは全くつながりがない人たちばかりで、なかなか裏話とかインタビューとかを受ける機会がなく、たまたま「Quiz Japan」の編集長さんたちがお知りになった第14回のメンバーの方の伝手で、つい先日出たの第8号で、
物凄いページ数を割いて対談記事を載せた処、この話があまりに盛り上がったので、たびたびこの雑誌ではいろんなクイズ王とかの著名人を呼んでトークショーをしてるんですが、今回はこの「第14回」の人たち…ということになったんだそうです。
しかし凄いのはお客さんが「待ってました!」とばかりに、この放送されたのが1990年、もう27年前の話なんですが、家にあるVTRをまた引っ張り出して見直したりチェックしたり、「たっぷり話を聞きに来たぞ」とばかりに予習してきて、むしろ挑戦者の皆さんよりも番組が詳しい、という「いやあすげえ」というテンションで(笑)
で、途中で「撮影タイム」が設けられた結果、こんな感じに(苦笑)
約2時間半、聞いて笑って拍手して…(笑)
ちなみに司会をされたのが「Quiz Japan」の編集長の大門さんという方と、放送作家の日高大介さんという方なんですが、日高さんは中学1年の時にこの第14回を見て相当クイズにハマって今に至る…という方なんだそうで、雑誌でのインタビューでも「よく番組を見てるねえ、詳しいねえ」と出場者の方からびっくりされたぐらい、この第14回には熱い思いを持たれてる方でした。
その日高氏の話の持って生き方、話の拾い方がとてもうまくて、出演者の方ものびのびと話をされていたのがとても良かったですね。そしてイベントの最後は感無量で涙ぐむシーンもありまして、いやあ思わずもらい泣きをしてしまいましたわ(汗)。
それとクイズの強豪の方も何人もいらっしゃっていて、他の回でアメリカ本土に渡ったという方や、第14回の参加者だけど途中で負けちゃった方がサプライズで登場されたりとか、いろんな方がいらっしゃったようで、
この第14回の前年の「第13回」で優勝した長戸勇人氏も会場の後ろの方でのんびり見ていたそうで…ある意味でお客さんは大喜びでした。で、第14回の優勝者である佐藤光邦さんの隣に座ってツーショットを(笑)
ただ、長戸氏いわく「歴代のアメリカ横断ウルトラクイズのチャンピオンでお会いしたことがない方が3人いて、そのうちのお一人が佐藤さん」だったそうですね。
しかも凄かったのは、長戸氏は、
「若い頃からウルトラクイズに勝ちたくて、何度も挑戦してクイズの勉強もして強くなって数度目にやっとドームを突破してニューヨークまでたどり着いた」
…のに対し、佐藤氏は
「同僚(元々、佐藤氏は都内の郵便局勤務の郵便配達をされていたそうです)に「お前も一緒に参加しろ」と言われて半ば無理やり参加させられた初参加のウルトラクイズでドームを突破してあれよあれよという間にニューヨークまで残って優勝しちゃった。クイズの勉強はしたことがないです」
とのこと(逆に言えば佐藤さんの「ナチュラル知識」が他の挑戦者の方を圧倒していた、ということにもなります)。長戸さんは「それもすげー」って驚いてましたね、ええ(苦笑)。
最後に固い握手を交わしてました。
第13-14回は「総決算の前編・後編」だったのかも。
で、このシーンを見てふと思ったのが、
あのシーンを思うと、第13-14回ってのは、司会の福留さんの「二年がかりの総決算的な作品」だったのかなあ、なんて。前者は「あえてクイズ屋さんを残してみました」、後者は「クイズ屋さんゼロでやってみたかった」って意味でも。近いうちに2回分を一気に視たい(笑) https://t.co/ZK2U6Qzeic
— むろかつ@はてなブログ%岩Q槻 (@muroktu) 2017年10月8日
でしたね。実は初代司会者の福留アナウンサーは第14回をもって勇退(正確には第15回の東京ドーム予選の第1問目まで)するんですが、先の「第13回」は、例年になく、クイズ研究会・クイズマニアと呼ばれるような人たちがドーム予選を突破した100人のうち3割近くを占めたんだそうです。
で、最終的には豪州やNZを経由してアメリカ本土に上陸した時点で、クイズマニアしか残ってなかった、という回だったんですが、その真逆がこの「第14回」でして、今度は東京ドーム予選を突破した100人のうち、クイズマニアがほとんど見当たらなかったんだそうですね。なのでトークショーでは「あれ、ドーム突破したのにクイズ王誰もいねえじゃん」って思った方もいらっしゃったそうで…。
それを思うと、「いや、福留さんやウルトラクイズのスタッフはもしかしたらそれを2年かけて実行したのかもしれないなあ。今から思えばそれは本当に凄いなあ」と思ったのが最大の感想でもありました(笑)
帰りの電車はほとんど寝てました(爆)
で、トークショーが終わったのは14時半ぐらい。
このあとは出場者の方々によるサイン会とかが行われたそうですが、私はもう笑いまくって拍手しまくって、完璧に疲れ果てちゃって「じゃ、これで帰るよ。席ありがとね」と佐伯さんにお礼を言って、お会計して帰ることにしました。
ちなみにここの会計方法は、さきほど出た写真をもう一度使いますが、
このテーブルの番号の札を(私のは58番でした)、
入口のカウンターのとこに持っていく個別会計でした。なので、結構な会計の行列ができてまして、私もその後ろに並んでました。
そしたら舞台の控室の通路から、さきほどの出場者の皆さんがゾロゾロと出てきまして「あれ、どうすんだろう」と思ってたら、
途中の通路のとこに机が置かれていて、順番でサイン会が始まってました。奇しくも会計待ちの行列の真ん真ん中で、優勝した佐藤さんのサイン会を眺めることができました。
で、お会計したら、どうもジンジャエールばかり4杯ほど飲んでました(をい)。その2000円ぐらいのお会計をして、そのまま渋谷駅に向かい、井の頭線の急行は渋谷始発であっさり座れ、吉祥寺駅から中央快速線に乗ろうとしたらそれが青梅行きで「おお、これは大ラッキー」と。
幸い、隣の三鷹で中央特快が追い抜くのでそれに乗り換えるお客さんの席が空いてそこに座ったら、iPhoneの音楽機能で(それこそ1990年当時よく聞いてた)さだまさしのアルバムを聴きながら全体の9割を爆睡してました…。目が覚めたら一つ手前の拝島駅を出るとこでした。
いやあ心地よい疲れで、非常に楽しかったっす。ある意味で高校時代は友人とのバカトーク、夏休みの九州旅行とそれの旅費を稼ぐバイト、更にさだまさしとウルトラクイズ(そもそも早押し機がない環境だったんで、クイズを「やる」趣味は大学生になってからでしたので)…が、私の青春だったんだなあと思うと、実に懐かしいやら嬉しいやら、のトークイベントでした。
以上です。
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