今朝方、長年の「悪友」の訃報に突然接してしまった話とか。

今朝、いつものように息子の朝の支度をするために6時に起きて時計代わりにスマホに手を伸ばしてTwitterに入ってみたら、そこであと2年で満30年の付き合いとなる「悪友」の訃報を知り、ただただ唖然してしまった次第でした。

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人生の半分以上の付き合いとなる「悪友」でした。

悪友の名前は「サトー」さん。某鉄道会社の現役運転手をされていてしかも労働組合の活動も若い頃から熱心にされていたので私は彼のことを「組合さん」と呼んでおりました。後に彼はモーニング娘。っぽく「組合サトー。」とかSNSで表記するようになり「組合。さん」という言い方をすることにもなります。

私が初めてお会いしたのは28年前の1995年12月。当時活動していたさだまさしファンと鉄道ファンをミックスしたようなお仲間サークルにお呼ばされまして、今はあるのかどうかはわかりませんがレインボーブリッジができた当時は遊歩道があってその先に展望台もあったんですね。そこに行く例会の際に初対面となりまして、それ以降は同じ千葉の田舎の方の出身だったこともあり、やたらと話があうので当時住んでた成田の実家にも遊びに来たり、私が主宰していたサークル(最初はさだまさしファンの集まりでしたが、途中からクイズやゲームをやるサークルに鞍替えしました)にも遊びに来るようになりました。

それと同時にこの頃は私は自分よりも年上の友人が物凄くできた頃で、5年前に亡くなった「盟友」のガソダム氏と、この組合。さんと私の3人はこのお仲間サークルやうちのサークルなどでは「3バカ」と呼ばれるようになりました。

まあとにかく3人集えばくだらねえ事や差し障りのある事件ネタ(?)などをパァパァしゃべり倒したりして非常に楽しんでおりました。ある時は公共施設の会議室を珍しく午前中から借りてたらオープニングで出揃ったのがこの3人のみ。でも3人でお構いなしにお茶飲みながらくだらねえ事を喋り倒して笑い転げてたらすっかり場が温まって後から着た人たちが「なんか物凄く会議室から笑い声がして盛り上がってるから10人ぐらい揃ってるのかと思いましたよ」と言われるぐらいでした(苦笑)。

そのような付き合いがざっと「25年以上」続いてました。私自身は2016年に元の立ち上げたサークルを辞めて「岩Q槻」という新しいクイズサークルを立ち上げた際もちょくちょく来てくれまして、夜勤で出勤する前に岩槻に遠回りして参加してくれたり、クイズ企画にも飛び入りで参加してくれたりで、

↑組合。さん(左)と私(右)と思考回路が似てるせいか、近似値企画などではネタで数字がよくかぶってました(苦笑)

↑そして先に逝ってしまった「3バカ」の片割れだったガソダム氏も似たような近い数字を書いて横に並んだりも。ちなみに大概は私がカメラやスマホを持っているので、むろかつ(私)・ガソダム・組合サトー。の「3バカ」3人のみで撮ったスリーショットは25年以上の付き合いで一枚もなかったという不思議な関係でもありました(笑)。

「生さだ」で2バカが揃ってバーンと映ってしまい(爆)

で、組合。さんとの強烈な笑い話の思い出…としては、もう7年前になりますが、さだまさしのカウントダウンコンサートで席が本当に近くてたまたま出くわしたことがありました。

「生さだ」で甲府のレプリカユニ着てた俺も映っちゃったらしい…。

2017年1月1日

↑最近は両国国技館で開催されてますが、この2016-7年の時は東京国際フォーラムで開催された回で、私が前から7列目、そして組合。さんが私の2つ前の列の前から5列目…の同じど真ん中の通路のすぐ横の席だったことが判明してお互い大爆笑だったことがありました。

↑それが判明してコンサート開始前の突っ伏して大爆笑している組合。さん。立っているのがホールのど真ん中の通路になります。

で、チケットを取ってくれた(というか先行抽選でこんなすごい席を引き当ててくれた)うちの妻から「目立つ服を着ていくとNHKの生さだに映るかも知れないよ」と言われて

と、ヴァンフォーレ甲府のレプリカユニ(2010年に買った奴を。「はくばく」と胸にとこに書いております)姿で生さだのオープニングを眺めていたら、

↑バッチリ映っちゃったんすね。しかも運がいいのか悪いのか、その私と組合。さんの間に座ってた6列目のおねいさんが、この生さだの番組常連のリスナーの方だった(←いや、私はこの番組あまり見ないんで知らなかったんすけど…)上にステージのさだまさし氏とトークまでするという壮絶なオチが待ってまして、

↑その瞬間、ガソダム氏が大爆笑のツイートをしてましたw

で、知り合い筋は「あー、あの2バカ、本当に映ってやがる」と驚愕するわ爆笑するわ、生さだを見てたJリーグ好きな人達は「あのはくばくは誰だ?」とちょっとTwitter界隈で話題になるなど「やはり組合。と絡むとロクなことがねえ」と帰宅途中の電車の中でTwitterを見ては苦笑いを禁じえない始末でした。

まあそれから7年。更にその間に「3バカ」の片割れだったガソダム氏が急逝して5年ちょっと。岩Q槻の例会ではガソダム氏のネームプレートを「彼のことは忘れない」為に毎回の例会のホワイトボードのとこに貼って「笑いの神様」と銘打ってたのですが、そのついでに、

「最近は組合。さんもあまり来れないから、ちょっとガソダム氏と一緒に貼っとくか、ネームプレートを。」ということで毎回の例会で「笑いの神様」と称して二人のネームプレートを貼っておりました。まあ実は岩Q槻の例会は明日あるんですが、さすがにこのネタはもうできないなあ…まさか「笑いの神様」がふたりともあの世に逝っちゃう日がこんな早く来るとは思ってなかっただけに。組合。さん、ガソダム氏とさっそくあっちで再会してるといいんだけどな。で、「むろかつも早くこっちにくればいいのに」「あいつ、何もたもたしてやがんだ、早くこいバカヤロウ」とか笑って言ってそう←ふざけろ(号泣)。

なお病名は癌だったそうです。今年の2月に50歳になったばかりではありますが、結構な酒飲みだけど悪酔いはしない「程よい」酒飲みでなおかつ趣味も広くて体も動かしまくっていてアクティブで健康そのものだった「悪友」組合。さんの訃報にいきなり接してただただびっくりするしかない今朝の出来事でした。

無論、私も来年の秋には50歳になりますし、もともと中年の肥満体、お医者さんには「この中性脂肪、どうにかしないと万病の元ですよー」と注意されるし、決して無縁ではありません。うーん「3バカ」の中で最も不健康っぽい(とはいえ組合。さんとガソダム氏はひとつ年上)私が最後に残るとは…かつての「てんぷくトリオ」の伊東四朗さんが、戸塚睦夫さん・三波伸介さんを続けて亡くしてソロになってしまった時はこんな気持だったのか、と。しかも今やソロになったあとの人生のほうが遥かに長い伊東四朗さんは今、どう感じているのだろうかと。

なおお通夜・告別式は家族葬で執り行うとのことで、私も含めて友人筋も参列はできませんが、とりあえず悪友の生前の陽気なキャラクターも相まって「もし俺もあっちに行ったら、何かうまいもんご馳走しろよ、バカヤロウ」と言いつつ、別れを惜しみたいと思いますです。

以上です。