千葉ロッテ、春季キャンプ開始。そして「今年の」甲府のキャプテンの話も…。

ここ数日、いろいろなことがあってリアルタイムで紹介できなかった話もご一緒に…。

【千葉魂特別版 ロッテキャンプ日記】始動前日、増す熱気(千葉日報「千葉魂」)

千葉日報に掲載されている広報・梶原氏が紹介しているコラム「千葉魂」より。

今日から石垣島キャンプなのですが前日に全員集合し、熱いミーティングが行われてたそうで…。

沖縄・石垣島で約3週間春季キャンプを行い、シーズン開幕に備える千葉ロッテ。本紙でコラム「千葉魂」を連載中の球団広報の梶原紀章氏が、井口新監督の思いやチームの様子を連日伝える。

 予定の時間はとっくに過ぎていた。春季キャンプ開幕前日に全首脳陣、選手、スタッフを集めて宿舎で行われたミーティング。午前9時半から開始された場は11時を過ぎるまで終わらなかった。井口資仁監督が熱く選手たちに「昨年の悔しさを晴らそう」と呼びかけた。そして「自主自律」を求めながら、選手たちが高みを目指すことを願った。

 指揮官の強い要望を受け、福岡ソフトバンクホークスから移籍をしてきた鳥越裕介ヘッドコーチもミーティング会場が放つ熱気に手ごたえを口にした。「監督の話を聞いている時、選手の顔を見ていた。みんなすごくいい顔をしていた。なんか、このチームいいなあと思ったよ」。屈辱にまみれた17年シーズンを終え、いよいよスタートする新しい1年。誰もが希望と期待に満ちあふれていた。会場にいた全員が今まさにチームが生まれ変わろうとしていることを感じた。

 ミーティングの最後、指揮官は具体的な目標を公言した。「最低、140盗塁はしよう」。本音では180盗塁はできるチームと考えているが、あえて143試合で140盗塁。1試合1盗塁を最低限のラインに据えた。「体は一つしかないけど明日は全ての練習を見て回るよ」。全体の後はスタッフを集めて議論。最後にコーチ陣と打ち合わせを行った。次から次へと続いたスケジュールを終えても疲れた顔は見せずニヤリと満面の笑みを浮かべた。2月1日、新生井口マリーンズが始動する。

(千葉ロッテマリーンズ広報・梶原紀章)

「昨年の悔しさを晴らそう」と「自主自律」という言葉がなんとも身にしみる。そして今年からロッテにやってきた鳥越コーチの「このチームいいなあと思ったよ」という言葉が、いやあやっぱり皆、去年が悔しかったんだろうなあ。そして「今年こそ勝負の年だ」と選手(あくまでもひとりの個人事業主でもあります)としての期する思いの強さも感じますね…。

そして「最低1試合1盗塁は」という井口監督の目標がまたいいですね。本当はもっとイケイケドンドンな攻撃スタイルを目指したいんでしょうが、ひとまずはそこらへんから。でも荻野貴司・岡田幸文・加藤翔平などの打って守って走れる選手なんかは「今年こそは俺がチームを引っ張る原動力に」って必死に自主トレしてきたんでしょうし…。まあできればそれぞれのポジションでのライバル争いや、選手個々に与えられた目標や改善点などをひとつずつ頑張りつつ、程よい競争力で活気が生まれてくれればなあと思いますです。あ、コンディションや怪我には気をつけて。

ちなみに今日のメニューはこんなんだったそうです。

あー、初日から雨かー。

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ヴァンフォーレ甲府の主将は、なんと10年連続…。

【甲府】主将は10年連続でDF山本英臣「J1に上がるのは自分の使命」(スポーツ報知、1/27付)

…いや、本当はここのブログでトップ記事的に書きたいニュースだったんですが、旧友の急逝に伴いとてもブログを書く状況ではなかったので、申し訳ないんですが少し遅れて、すみません。

J2ヴァンフォーレ甲府は26日、静岡市内での1次合宿を打ち上げた。主将には10年連続でDF山本英臣(37)が決まった。

 今季も山本が主将としてヴァンフォーレを率いる。10年連続で大役を務めることになり、「いつでも自分が先頭に立って、という気持ちはある」と意欲をにじませた。

 昨季J1残留を逃したため、「責任がある」と主将を受けるか悩んだ。それでも、1次合宿の序盤に吉田達磨監督(43)と膝を突き合わせ、「J2に落ちた中で信頼してもらえることは光栄」と主将就任を決めた。「J1に上がるのは自分の使命。他の選手たちは、のびのびと魅力的なサッカーに取り組んでほしい」と覚悟を示した。

 指揮官は「オミ(山本)以上のふさわしい人物はいない。断られても、それを受け入れる気持ちはなかった」と背番号4に絶大な信頼を寄せている。11日間の1次合宿を打ち上げ、「戦術はだいぶ落とし込めてきた」と手応え。29日から来月10日までの宮崎合宿では、J2クラブを中心に4試合をこなす予定としている。

私は元々は弱い頃に判官贔屓から入った浦和レッズの熱烈なサポーターでした(いや、今も甲府戦以外では浦和は一番なんすけどね(汗))、で、甲府をメインに応援し始めたのは2009年から。実際は浦和が2000年にJ2に落ちた年にぶっちぎりで最下位、しかも経営危機に陥ってた甲府を見て、「もし浦和がJ1に戻れたら、J1は浦和、J2は甲府を応援しよう」と心に決めて、2つのチームを応援しはじめた、という事がありました。

で、甲府をメインにし始めたのが2009年。自宅のテレビにスカパーを導入してJ2の試合も毎試合見れるようになったのが大きかったんですけど、浦和のフィンケ監督のサッカーにどうも納得がいなかったのもあり、更にこの年は甲府が湘南と壮絶な3位での自動昇格争いを繰り広げていて、惜しくも4位でJ1に復帰できなかった年でした。その最終節で試合後に悔しさをあらわにしてたのが甲府のキャプテン。「ああ、この選手、いい顔してるな。こういう選手がチームを引っ張ってるのか」と、なぜか感激してしまい、「よし、来年からは毎試合、甲府戦をチェックしよう。そしてできれば甲府までサッカーを見に行こう」と心に決めて、そして今に至るわけです。

その選手こそが山本英臣キャプテン。この年に主将に就任したそうですが、思えばそれから10年、今では「日本のJリーグ選手の中では最も大好きな選手」になってしまいましたね。

もはや甲府の精神的支柱であり、寡黙な背中で後輩たちに語るタイプの選手だそうです。千葉ロッテでいえば福浦和也選手のようなタイプといえばわかりやすいですかね。彼も寡黙で本当に背中で選手たちに語りかける、選手たちはその背中を見て育つ、みたいな精神的支柱のような大ベテランですし。

ちなみに生え抜きではないので、私はこのブログでは、タイプ的には(ダイエーやMLBを経てロッテで中心選手になった)井口資仁=(ジェフ千葉のユースから昇格し、出場機会を求めて甲府に来て中心選手になった)山本英臣、(ロッテ一筋24年の)福浦和也=(昨年引退した生え抜き甲府一筋の17年)石原克哉ということを以前何度か書いたことがありましたが…(苦笑)。

しかし甲府の吉田達磨監督もある意味で「凄い」のは、この監督は一昨年までの「3バックの合計年齢が110歳超」だったベテラン選手に偏り気味だったチームを、柏レイソルや新潟の監督時代に育てた若手を獲得して、ベテランとガチで練習で競わせたこと、でしたね。なので一昨年までは怪我の欠場を除けばほぼフル出場だった山本キャプテンでも、昨年は出場機会が激減してたのです。

しかしそれを「起用法が悪い。なんで俺を使わないんだ」とは言わずに、「俺らの力が足りなかったから責任を感じる」と言うのがこの選手のすごいところだと思いますね。そしてさすがに今年は吉田達磨監督も、もうちょっと若い、山本キャプテンに比べると出場機会が多く新井涼平や小椋祥平などに次の主将を託すのかな…と、個人的には「いやいや、山本キャプテンはこれで終わるような選手じゃないから、今年も頼むよー」と思ってたんですけど、結果、山本キャプテンが10年連続で就任、ということになりました。

個人的にはたまに見に行く甲府戦で着て応援してるのが、2010年に買ったレプリカのユニフォームで、そろそろ書い直そうかなあと思いつつも、思い入れが物凄く深くて、甲府戦はもとよりクイズサークルの例会(←ん?)でも着てるんですが…そろそろ新しいのも買おうかなあ。

ここのブログのGoogleアドセンスさんの広告から頂けるお小遣い(?)も、定期的に頂けてますし、次買う時は、背中に山本キャプテンの4番をつけようかなと考えてます。

余談:私が持ってた浦和のレプリカユニの話。

あと、たぶんここで書かないともう一生書くことはないだろうな、と思うので、「先日の後日談」をひとつ。

先日急逝した、親友の岩槻の酒屋の若旦那「ガソダム」氏は、以前の私同様、熱心な浦和サポでした。同じ岩槻に住むクイズサークルの仲間のうへの氏(彼はもともと若旦那の中学時のクラスメートで、さだまさしを教えたのはこの人だったそうです)は、判官贔屓から大宮アルディージャを熱心に応援しているんですが(苦笑)。

実は岩槻区の商店街では、元々は「岩槻市」だったのを後からさいたま市に吸収合併された経緯から、道路の右側に大宮の、反対側に浦和の、それぞれの広告用フラッグを飾るような、どっちのサポーターも混在してるような街でもあったようです。確かに埼スタまでは路線バスで、NACK5スタジタムまでは東武線で直接行けるような場所にありますしね。

で、一昨年の秋にクイズサークル岩Q槻を立ち上げる前に、彼の実家の酒屋の上にあるフリースペースを下見をしにいったことがありました。若旦那も私はこの時はアボなし訪問だったんですが(出前等でいなければいないで帰る、みたいな)、「むろかつはそろそろ来るな」と勘づいてたようで、「やっぱし来たか」って顔をしてました(苦笑)

お店の入口の横にこういう階段がありました。そこにはたぶんビールメーカーの販促で配られた(そして酒屋の店内で貼るべき期間が終わってこちらに貼り直したと思われる)サッカー日本代表のポスターが貼られてました。

更にここの階段を上がっていくと、残念ながら写ってないんですが、三階のドアのとこに浦和レッズのポスターも貼ってあったんですね。

そしてここのスペースで昨年は6回ほど定例会を開催することができました。

↑12月はデリパリーのピザとか、ケーキとか用意して忘年会とクリスマスパーティーを(苦笑)

で、若旦那が急逝したと連絡を受けたその日に、私は弔辞を依頼されまして、やはりお通夜・告別式の前にあいつの顔を見に行かないと、急遽、病院から戻り自宅の仏間で安置されて眠っている本人に会いに行きました。

その帰り際、「ああ、使われてない時はこういう風にシャッターが閉まるのか」とひとりごちしながら、写真を一枚撮り、雪も残る寒い中、しばし佇んでしまってましたね。

告別式の出棺の時に「岩Q槻」のクイズサークルとしては彼に思い出に残るようなものをひとつ棺の中に入れてあげたい。この時にそう強く感じました。しかし岩Q槻は発足したのが昨年の4月。思い出になるようなものは何一つありませんでした。そこで、代わりにはならないかもしれませんが、私が購入し何試合か着用していった浦和レッズのレプリカユニを入れてもらえることになりました(お通夜の席でお願いしたところ快諾していただけました)。

実は彼は熱心な浦和サポだったのにも関わらず、浦和のユニを持ってなかったらしいんですね。だとすれば、甲府の方が比率が高くなってしまい、タンスの中で眠りっぱなしになるよりも、彼が天国で着てくれた方がユニホームも喜んでくれるだろう、と。

そして岩Q槻の思い出代わりにこれで勘弁してね、と。

で、浦和のユニを棺の、彼が眠る胸のあたりに彼の一張羅の背広が掛けられてましたので、そのすぐ下に広げて掛けさせていただきました。

ただ、そこで気づいたことがひとつ。実は彼は家では大の写真嫌いで、遺影にする写真も見つからなかったということで過去の(所属してた別のクイズサークルとかの)撮った写真を60枚ほど焼き増しして、彼の家に送ったのですが、その中で数枚ほど、彼が黒ひげ危機一発で黒ひげをふっ飛ばして大喜びしてる写真や、いくつかのサークルでの記念写真などはご家族が棺の中に入れてくれてたんですね。

その中に去年の例会の写真(上記の忘年会で乾杯してる写真とか)も何枚か入っておりまして、

「あ、岩Q槻での思い出もちゃんと入ってたんだな…」

と思うと、もう弔辞を読み終わり緊張感が抜けてここで初めて彼が亡くなったという現実感が襲ってきて涙が止まらなくなった私は更に滂沱の涙が出て仕方がなかったですね…。

その岩Q槻という会は3ヶ月ほどお休みということになりました。私自身も告別式の日だけでも相当泣きはらしてしまい、精神的にかなりきついですし、他の面々が「少し休んだほうがいい。お前、ガソダム氏の訃報があった日から全力疾走しっぱなしで、そのままだと、お前が「壊れる」ぞ」とサークルの休止を提言してくれたこともあり…。昨日、休止前の最後の記事を書き上げて、あちらのブログおよびサークル活動自体が活動休止となりました。

申し訳ない。しばらく休みます。休んで、再開する直前あたりに、彼と馴染みがあったあちこちの友人たちに会いに行ったり、四十九日を過ぎた後に彼のお墓参りなどをしてから、次に進みたいと思います。

ま、しばらくは千葉ロッテ・ヴァンフォーレ甲府をおっかける日々と、どこか山梨とか静岡方面の日帰りで帰ってこれる温泉(甲府サポの方々が激賞(?)している、山梨の「ほったらかし温泉」とかも考えてますね)にでかけたりして、車か電車で海とか山をぼーっと眺められるとこに行こうかなと。

 

あー、なんかメインの話よりもこっちの方が長くなってしまった。ほんとーにすんません。では次回からは通常営業に戻りますです。ではまた。

 

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