昨日、亡くなった友人宅に弔問に出かけてきました。

一昨日急逝した25年来の付き合いの埼玉・岩槻の友人宅に、昨日の夕方弔問に行ってきました。

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本来はお通夜と告別式だけに行く予定だったのですが…。

昨日の記事の続きになります。

この友人は、昨春立ち上げた「クイズサークル岩Q槻」のメンバーであり、定例会はこの彼の実家の、酒屋の上のフリースペースをお借りしてクイズやゲームなどの企画を行っておりました。厳密には、岩Q槻を立ち上げる前に、私が在籍していた某クイズサークルの長年の会員でもあり盟友でもありました。

で、お昼過ぎに友人のお姉様から連絡があり、お通夜と告別式の日程および場所が決まったという話の後に、お姉様が「母がお話があるんですがよろしいですか」とおっしゃって、お母上様と代わりました。そこで言われたのが「弔辞をお願いしたいのです」とのことでした。

正直、私自身はサークル関係で25年の付き合いがあるとは言え、せいぜい顔を合わせてたのは月に1度程度。しかも友人は酒屋の仕事でお休みすることもありまして、むしろ私よりも同じクイズサークルのメンバーであり、中学の時からの親友の「うへの」氏の方がいいのでは…と申し上げたところ、実はうへの氏は今朝方、訃報を聞いてちょうど仕事がお休みだったんで友人に会いに来たのだそうで、その時に彼が私を推薦した、という話を聞きました。「たぶんあの人の方が、いろいろと”語れる思い出”は多いでしょうから」と。

となると、私にとっては初めての弔辞でもありまして、さすがにお通夜・告別式「だけ」というわけには行かず、自分としてはつい半月前に、

新年会で馬鹿っぱなしをしてきたばかりでの訃報で(ちなみに新年会の記事ではこの友人が写ってる写真は載せてなかったのでこの2枚目に急遽載せることにしました)、いざ弔辞の場面で棺の中にいる友人、そして彼の遺影を見て果たして号泣したり取り乱したりせずに弔辞の大役を務められるのか…という自信がまったくなく、午後、急遽、岩槻の友人宅まで弔問することにしたのでした。

電車で約1時間半乗って埼玉・岩槻へ。

友人は地元・岩槻では五本指に入る大きな酒屋の若旦那で今年で切り盛りしはじめて25年目だったそうです。お店は本人が体調不良(入院前にインフルエンザのような病状で寝込んでたんだそうです)になった頃から臨時休業してたそうで…。

本人と相対して「更に現実味が失くなる怖さ」を感じた。

そして、お店の裏手にある母屋に行きまして、ご本人と対面しお線香をあげてきました。ご親戚の方やご近所の方もいらっしゃいまして、ご一緒させていただいたのですが、寝ている友人が「今にも目を覚まして、「おう、むろかつ、来たのか?」って言いそうな雰囲気」だったのが逆に辛かったですね…。正直言って、ここで電話で本人の訃報を聞くよりも、本人と対面してなおさら現実味が全く無くなるとは。

実際は長年の闘病生活…では全くなく、一週間ほど寝込んで、急変して緊急搬送されて、手術をしたのですが敗血症などで助からずに更に一週間後に…というお話をしてくださったのですが、確かに40代なかばに差し掛かって白髪が目立ってきた点と、その死に顔は黄色く顔色は当然良くはないのですが極端にやせ細っているわけでもなく、20代の頃に毎年のように長崎のさだまさしの平和コンサートを見に行ってた際に、宿でうへの氏やうちの弟とかと和室で布団敷いて、夜、馬鹿っぱなしをして大盛り上がりした後に、川の字になって寝てたあの時の寝顔そのままだったのが、逆に現実感が乏しく、やはりなんとも言えない気持ちになりました。

その後、本人が安置されている仏間の隣のこたつのあるリビングに通されてご両親やご親戚の方といろいろとお話をしまして、1時間半程度いろいろとお話をして帰ることにしたのですが、最後に再び安置されている友人の顔を見て、お線香を上げた際に「じゃ、また来るわ。お大事に」と喉元まで出かかって口走りそうになった自分が居て正直焦りましたね。

改めて、本人を目の前にして更に現実感が喪失したような感じになっておりました。ただ、私も友人も「いびき」が凄いんですが、そのいびきをしてなかったことが少し、これは現実なんだなと思った瞬間でもありましたね。

で、帰り際、前月まで「岩Q槻」の定例会をやっていた三階のフリースペースの入口の前でしばし佇んでました。

シャッターが閉まってました。本来であれば酒屋の若旦那だった彼がこのあたりを雪かきをしてたハズだったんでしょうが…。

現段階では岩Q槻に関しては2月4日に予定されていた定例会は中止となり、更にしばらく活動を休止するという発表をしました。4月以降の定例会は未定なのですが(岩槻界隈で公共施設を借りるか、または別の所に場所移転をするか…など)、今後に関しては「本人がそこにいた事」も忘れない為にも継続を前提に、残ったメンバーで後日、話し合いをしてしばし考えたいと思います。

ご両親から頼まれた話。「息子は実は写真嫌いで…」。

で、リビングのこたつに入ってしばしお話をさせてもらったのですが、この時にご両親から意外なことを言われたのでした。

「実はうちの息子は大の写真嫌いでして…遺影にするような正面を向いた写真が一枚もないのですよ」

と。私としては本人が写真嫌いだったことは全く知らず、それこそ定例会の度にデジカメでよく撮ってたので、

「あ、私、サークルの定例会とかで写真バンバン撮りまくってたんで、焼き増ししてお送りしますよ」

…と、帰宅後、ただちに20数年分のデジカメのデータを引っ張り出して、

60枚ほどチョイスしまして、地元のカメラ屋さんに焼き増しの注文をお願いしました。ここのお店はネットから注文できて、しかもデータを送れるんですね。うちの妻が旅行写真なんかをよく現像する際に利用するお店でしたので、妻にやり方を聞いて昨日の夜中に注文をしました。

で、今日のお昼前に、地元の西友の中にあるカメラ屋さんに行きまして、写真を引き取ってきて、

2冊のアルバムに収納しました。これを後で日本郵便のレターパックプラスで岩槻の友人宅にお送りする予定です。

※本当は直接車で届けようと思ったんですが、夕方に私は接骨院の予約が入ってるのと、実は圏央道が先日大雪が残っていて更に凍結で通行止めになってまして…。

なお、お通夜は29日の夕方、告別式は30日のお昼でして、「岩Q槻」の面々も平日ゆえに参列できるかどうかわからない、という面々が多いそうなのですが、ひとまず弔事に関しては、本人と相対して更に「何を言うべきなのだろう」という気持ちが強くなりましたね。

この最後の別れの瞬間に、自分が四半世紀を超える付き合いのあった盟友・友人に何を言いたいのか、何を言わねばならないのか、出来る限り心のなかで自問自答を重ねて、彼と相対するその瞬間まで悩み抜こうと考えているところです。

以上です。