夕方に接した、八代亜紀さんの訃報にちょっとショックを受けてる私がいるもので…。

八代亜紀さん死去 73歳 「雨の慕情」や「舟唄」などのヒット曲(NHKニュース)

いやー去年も谷村新司氏ともんたよしのり氏の訃報に「昭和が遠くになりにけり」と大いに嘆いてた次第でしたが…ますますそれを感じるなあ。これは寂しい。

「雨の慕情」や「舟唄」などのヒット曲で知られる歌手の八代亜紀さんが12月30日、都内の病院で亡くなりました。73歳でした。

八代さんは熊本県八代市の出身で、1971年にデビューすると2年後の1973年には「なみだ恋」がヒットし、その年、紅白歌合戦に初出場しました。

そして、1980年には代表曲の1つである「雨の慕情」を発表し、日本レコード大賞の大賞を受賞しました。

このほかにも「舟唄」がヒットするなどデビューから半世紀以上にわたって日本を代表する演歌歌手として活躍を続けていましたが、去年9月に免疫の異常によって発症するとされる「こう原病」の診断を受け、治療に専念するため年内の活動をすべて休止していました。

所属事務所によりますと、八代さんは療養を続けていましたが、12月30日、都内の病院で亡くなりました。73歳でした。

地元 熊本では号外

熊本県八代市出身の歌手、八代亜紀さんが亡くなったことを受け、熊本市中心部の商店街では9日夜、地元の新聞社が号外を配りました。

八代さんと同じ年だという女性は「熊本出身の方なので応援していました。本当に残念です」と話していました。

50代の女性は「昭和のシンガーがまた1人亡くなり、さみしいです。私が学生の時に『雨の慕情』などがヒットして今でも歌っています。熊本地震の時にも応援してくれるなど、多くの県民を勇気づけてくれました」と話していました。

膠原病で病気療養ってニュースは昨年の秋ぐらいに見た記憶はあったんですけどね、まさかそこから間質性肺炎とかに繋がってしまうとはなあ。

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邦楽嫌いのうちの親父がよく口ずさんでたもんで(笑)<舟歌

今は全くベストテン番組とかがテレビではない(「COUNT DOWN TV」ぐらいですかね、今だと)んで、今だと全く信じられないんですが、自分が中学生ぐらいの頃までは「ベストテン」とか「トップ10」とかの番組、またヒットチャート形式の番組でなければ「夜のヒットスタジオ」あたりも含めて、本当に流行歌の中に「演歌」のジャンルの曲もフツーに入ったんですね。

なので中学生の頃に図書館とか安いレンタルCD屋でCDとか、あとは音楽マニアの友達んとこからCDを借りてきて、自分なりの「ベスト盤」みたいなお気に入り曲をダビングしたカセットテープ(←これも思えば実に懐かしい(笑))の中に、光GENJIとか南野陽子とかのヒット曲の合間に吉幾三とかがフツーに入ってましたね。まあ吉幾三先生は今やマッシュアップ系のYouTubeの動画で別の意味で「巨匠」になっておられますが(^_^;)。

故に意外にテレビでもラジオでも今よりかは全然演歌や歌謡曲のヒット曲が少なくなかった頃で、更に自分よりももうちょっと年上の趣味(クイズとかさだまさしとか鉄道とかの)の同人の人に聞くと、「自分が中学生の頃は、邦楽と洋楽が分かれて無くて、ヒットチャート系に洋楽も入ってたし、むしろそれを日本人歌手が和訳してヒットしてた時代だった」なんて話も聞いたりしてましたねえ。故に昭和36-40年生まれ前後の友人はその頃大流行した歌の中に洋楽も演歌もそしてニューミュージックも入ってたと。ま、「ニューミュージック」ってジャンルじたいが、人によっては吉田拓郎やさだまさしなどのフォーク世代からデビューしたての頃のドリカムあたりまで含まれるようなとてつもなく広いらしいので、ここらへんを平成生まれの人たちに説明するのが難しいという説も(笑)

で、そんな中、個人的に物凄く八代亜紀サンのことで覚えているのが、うちの親父が昔っからジャズや洋楽、クラシックが好きな人で基本的には「邦楽」って嫌いだったらしいんですね。そんな中でよくクルマを運転して口ずさんでたのが、石原裕次郎のヒット曲の数々と、この八代亜紀サンの「舟歌」でした。ま、うちの親父は邦楽はなかなか好きにならない反面、好きになった曲はピンポイントでシングル曲のCDとかも買ってたので、加藤登紀子の「百万本のバラ」とかも買っては聞いて気に入って口ずさんでました。で、「加藤登紀子のこの曲は元々はロシアの歌謡曲だったんだけどな」とも言ってましたね。

そして「舟歌」は子供の頃は原曲よりも先に親父が口ずさんでるのをよく聞いた上に、その後、文化放送のアナウンサーだった梶原しげる氏が英語版の「舟歌」を歌ってそれがCMソングになったりしてこれまた当時テレビっ子だった私がよく聴いてて、そこから何かの音楽番組で八代亜紀サンの「原曲」を聴いたので「これが元の歌だったのか!!」とそこにびっくりした記憶も相まって、なんか忘れられない思い出になったのが実に懐かしいです。で、大人になって日本酒を飲む機会に接した際に本当に「(熱)燗は温めのほうがいい」という歌詞が「あー、本当だ」としみじみと感じたことも含めて(^_^;)

あと、これは少し後で知ったんですがこの「舟歌」がヒットしたのは1979年で、私が中学・高校の頃に随分とハマってたさだまさし氏のヒット曲となった「関白宣言」と同じ年に大ヒットしてたらしいんですね。そして今日、Instagramを見てたら、

ああ、同じ九州出身でしかも同世代だったんで交友があったんすね…さだまさし氏と八代亜紀サン。

しかし返す返す思うに、元号が平成もとうに終わり令和になった今、中村草田男の「降る雪や明治は遠くなりにけり」よろしく「昭和は遠くになりにけり」 って事が増えましたね。昭和→平成になった時も一時代前の著名人が本当にものすごい勢いとその数で亡くなってしまったのを覚えてますが、平成→令和でもやっぱり…と。こういうのを時代の境目って言うんでしょうね。合掌。