「荒れる春場所」。優勝した尊富士と優勝次点の大の里には本当にびっくりでした。

万感「ニヤリ」尊富士「勝ち負けを待っている場合じゃない」直訴強行出場で110年ぶり新入幕V(日刊スポーツ)

なんつーか今年の春場所。「荒れる春場所」の言葉通りの凄い15日間でしたなー。

いやー尊富士と大の里。怪我なく慢心なく来年末には横綱になってねえかなあ(笑)

<大相撲春場所>◇千秋楽◇24日◇エディオンアリーナ大阪

 大相撲の歴史が劇的に塗り替えられた。新入幕の東前頭17枚目・尊富士(24=伊勢ケ浜)が豪ノ山を押し出し、13勝2敗で初優勝を遂げた。前日14日目の取組で右足を負傷。救急車で大阪市内の病院へ搬送される事態で出場も危ぶまれた千秋楽。師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)に直訴しての強行出場で白星を飾った。史上最速の所要10場所で、110年ぶりの新入幕V。さらにまだ大銀杏(おおいちょう)を結えないちょんまげ力士の優勝も初。尊富士は三賞も殊勲、敢闘、技能すべて獲得した。

 本能的なものだろう。豪ノ山を押し出した尊富士はクルリ体を反転させると、ニヤリ笑った。「記憶は全部飛んでたんで。覚えてないですね」という。ただ、勝った喜びよりもやりきった満足感が全身を貫いたのは確か。その思いがあふれ出た「ニヤリ」だった。

 「(幕内)土俵入りからすごかったですね」と館内の異様な空気、大歓声に包まれた。大相撲ファンは前日から尊富士に何が起きたのか、理解していた。14日目、朝乃山に寄り切られての2敗目。その際に右足首付近を痛め、自力で歩くことができずに車椅子で運ばれ、救急車で大阪市内の病院に搬送された。

 エックス線検査など「あらゆることをやった」という尊富士によると、右足甲の付け根部分の靱帯(じんたい)を損傷し、腫れ上がったという。「歩けないし正直ダメだと」。師匠の伊勢ケ浜親方も「土俵に上がっても力が入らないんならやめとけ」と諭された。しかし、尊富士は逆に気持ちを強く、決意を固めた。

 「どうのこうのじゃないんで。自分は15日間、土俵に立つと言ったんで、やるしかない。横綱(照ノ富士)からも『おまえならできる』と言われて、そのおかげで人(大の里)の勝ち負けを待っている場合じゃないと思いました」

 休場しても、大の里が負ければ賜杯は手にすることができた。しかし、そんな栄誉は求めなかった。戦場に出陣する武将のように生き死にの覚悟を決めた。

 「戦は寝ていたら勝てない。自分からやらないと勝てない。この先終わってもいいと思った。過去は変えられない。これで後悔したら一生、悔いが残る。だから土俵に上がりました」

 覚悟は決めても痛みとの戦いは続いた。痛み止めの注射を打ったが、「もう寝れなくて。こんなに辛いとは思わなかった。ごはんを食べてもおいしくなかったし」。そんな激痛に耐える顔は表に見せない。だれの手も借りず、堂々と場所入りし、幕内土俵入りで喝采を浴び、相撲はしっかり右足で踏ん張って前に出た。

 「もう1回やれと言われても無理です。気力ないです」と死力を尽くした一番に勝てたのも、横綱のおかげだった。「自分は横綱の背中を見て育ったんで。横綱も(序二段まで落ちて)苦労してきた。このけがで土俵に上がらなかったら男じゃないと思った」。

 「本当に自分が優勝していいのか」という110年ぶりの新入幕V、史上最速所要10場所での優勝と大相撲の新たな歴史の扉を開けた。優勝インタビューで言った。「記録も大事だが、みなさんの記憶にひとつでも残りたくて頑張りました。本当に1日1日が濃い15日間でした」。個性的な、そして規格外の新たな力士像を尊富士が描く。その最初の1ページ目はただただ鮮烈だった。

そして三賞も総取りですか…殊勲賞・敢闘賞は勢いがあれば取れなくはないけど、技能賞はなかなか難しいだけに。相撲協会からはその「技能」の部分もしっかりと認められたってのがすごいなーと思いますです。

いやー私自身も学生時代に2回ほど左足首の靭帯を痛めて「靭帯損傷」という診断が出て3-4週間ぐらい全く歩けなかったことがありまして。結局この時は2回ともギプスをはめることになって松葉杖使って生活してましたねえ。ちなみに後者の時は大学の卒業式直前でギプスは結局外れず、パシフィコ横浜の大ホールが卒業式の会場だったんですが当時はまだ横浜高速鉄道のみなとみらい駅ができておらず、最寄りが桜木町駅から徒歩15分ぐらいだったんで「いやーこれはどうしよう」と悩んだ挙げ句、横浜駅から路線バスに乗って行きました。背広姿に左足はギプス。いやーさんざん知り合いにからかわれました(^_^;)

まあそういう次第で「そもそも相撲を取れるのか?てかそもそも歩けるのか?って昨日の相撲の後に力士用の大きな車椅子に載せられて医務室に急行したのを中継でみたのと、更に検査のために救急車に乗ってったという話を聞いてえらく心配だったんですけども…どーにかテーピングとかを施して「強行出場」できたんすねえ。で、凄いのはそういう状況でも「対戦相手に勝つためにはどうすればいいのか」というのを頭にしっかり叩き込んで土俵に上がって、しかも勝ってしまったという点ですね。

そして103年ぶりの新入幕力士の優勝…だそうですが、戦前期はもっと本場所の日数が少なかった(最初は10日前後だったそうです。昭和初期の頃の双葉山人気および連勝街道驀進で一気に相撲人気が沸騰して行って11→13→15日とどんどん増えていったそうです)「優勝決定戦」というのが無くて同じ勝利数だと番付が上の力士が優先されて優勝というルールだったんで、15日間フルに戦ってしかも優勝決定戦なしで単独首位を走りきったというのはきっと今後も大いなる自信になっていくんだろうねえ…。本当におめでとうございます。そして怪我に関しては後に残さぬように徹底的に治してもらってください。

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最後までチャンスがあった「入幕2場所目」の大の里も凄かった…。

大の里 豊昇龍に裏返されて11勝止まり「ざんばら優勝したかった」 敢闘、技能ダブル受賞も悔しさ隠せず(スポニチ)

しかし驚いたのは今日の一番、大の里も「もし優勝してたら三賞総取り」だったんだねーと(苦笑)

◇大相撲春場所千秋楽(2024年3月24日 エディオンアリーナ大阪)

 西前頭5枚目・大の里(23=二所ノ関部屋)は西大関・豊昇龍(24=立浪部屋)の右下手投げに屈し、11勝に終わった。13日目を終えての2差逆転優勝は過去になく、14日目の結果、1差へ接近して迎えた。史上最大の逆転劇が目前だったが果たせなかった。

 結びから1番前の豊昇龍戦を待つ、前半戦最後の一番で優勝が決まり「肩の力が抜けた」。豊昇龍戦は右を浅く差して寄ったが、得意の右で下手をつかんだ大関に裏返された。「悔しい、ざんばら優勝したかった」。来場所はちょんまげを結える見通しであることから、今場所が最後のざんばら姿。23歳でのラストチャンスを逃し、力なく笑った。

 それでも敢闘賞、技能賞のダブル受賞に輝き、来場所の新三役昇進も確実にした。「技能賞はないと思った」。1メートル92、183キロのサイズを前面に出す押し相撲が持ち味。技能賞は力を伝える技能に長けたという意味だが、イメージとは真逆の受賞に苦笑いした。

 新入幕の先場所に続いた11勝だが、手応えは大きく異なるという。「先場所は“2ケタ勝ちたいな”と。今場所は全然違う。うれしさより悔しさが勝ってます」。この悔しさこそ上位に地力で肉薄した証。石川の故郷に近い、福井や富山を巡る春巡業から再出発する。

たぶん所属部屋が二所ノ関部屋、師匠が元・稀勢の里の二所ノ関親方なので「これで慢心」はないでしょうね。稀勢の里さんも出世は猛烈に早かったけど「ここ一番での勝負弱さ」が響いて三役から横綱に上がるまでが人一倍、いや人20倍ぐらい(?)苦労された力士だったんで(何せ白鵬さんの全盛期と丸かぶりだった上に、日馬富士さん・鶴竜さんといったモンゴル勢の横綱が君臨してた時代に一度も大関から陥落しなかったのも凄まじい)、稽古量も半端ではないでしょうし、たぶん今後もその猛烈な稽古量に加えて「さて上位陣をどう攻略していくか」という戦略面の方でももっと凄い力士になっていくんだろうなーと思いますです。

ま、そういう意味では、今日の千秋楽の一番で豊昇龍関に、

最後土俵際でやられた…ってのは「まだまだ強い力士はいっぱいいる。今後も頑張んなきゃ」と気持ちを切り替える黒星になったでしょうし、何より大の里関にも尊富士関同様、「怪我と慢心だけには気をつけて」と言いたいですねー。もしかしたら早ければ来年の九州場所の頃には両力士が「横綱同時昇進」ぐらいしてるかもしれませんし。だから周りもちやほやするな…とは言わないけど、せめて次の場所の1ヶ月前ぐらいからは稽古に専念できるように配慮してやってください(苦笑)。

 

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