ミスターヴァンフォーレ・石原克哉選手曰く「いつ辞めても後悔すると思う」と。

いつ辞めても後悔する…Jリーガーにみた引き際のこだわり(スポーツ報知)

スポーツ報知にこのような記事が出てました。いろいろと考えさせられるな…。

2017年のJリーグが終わり、今年も現役引退、退団といった寂しさを伴う季節がやってきた。

 今季から担当した甲府では、17年間ヴァンフォーレ一筋だったMF石原克哉(39)が引退した。01年に練習生から入団し、J1昇格、J2降格など、クラブとともに歩んできたサッカー人生。引退理由でもある両膝の痛みで、「ここ1、2年は練習もろくにできなかった」と振り返ったが、それでも最終節・12月2日の仙台戦へ向けた練習で、フルメニューをこなした姿は印象的だった。

 クラブは目標のJ1残留を果たせず、来季J2を戦うことになったが、残留争いの中でも、石原の存在は大きかった。今季最後のアウェーとなった11月26日の大宮戦では、ベンチ外メンバーも敵地に乗り込んだ。「みんなで戦いたい。(ベンチ外の)自分たちが行くことで力が出るかは分からないけれど、何かがしたい」と石原が吉田達磨監督(43)に申し出た。試合に出られなくてもチームのために行動する姿に、ベンチ入りメンバーたちも勇気をもらっていた。

 シーズン終了後、チームの自主トレに参加した石原は、「僕はよく言うんですけれど、いつ辞めても後悔すると思うんですよね」と話した。できることならまだ現役を続けたい―。そんな思いが伝わってきた。

 今後については、具体的なことは決まっていないが、「もっとヴァンフォーレというクラブを知って、Jリーグ全体、スポーツ界全体の流れというか現状を知って、より良いクラブにしていきたい。今まではサッカーさえしていれば良かったですけれど、外から何かできるか。自分にとっても新しい発見もあると思うから、それを探りながら考えていきたいです」とクラブのために活動していくつもりだ。

甲府というチームは、親会社を持たないチームであり10数年前に経営難でチームが解散しかけたところから再出発している為に資金力が乏しく、有望な若手選手はことごとく他チームからオファーを受けて移籍されてしまう…という、ある意味の「宿命」のような課題を持ったチームでして…。

その中で、経営危機の頃に大卒で甲府でプロデビューして、J1昇格を3回(2005.2010.2012)、J2降格を3回(2007.2011.2017)も経験して、最後まで甲府一筋17年で、遂に今年現役引退を決意した石原克哉という選手はやはり「稀有」な存在だったんだよなあ、としみじみ感じる今日このごろですね。

以前も書きましたが、チームの地元県の出身であり、入団以後ずーっとそこのチーム一筋、という点では千葉ロッテの大ベテラン・福浦和也(彼は千葉・習志野高校出身)と共通してる話だったりします。石原克哉は山梨・韮崎高校出身で、大学は千葉の順天堂大学だったそうですが。

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「いつ辞めても後悔すると思う」

Jリーガーも引退する平均年齢が25歳前後なんだそうで、決して長くプレーできる選手ばかりとは限らないようです。下手すると1年で契約満了になったり、期限付き移籍でプレーしていて移籍先でも契約元でも契約満了になったりする選手も毎年何人も出てきてます。ゆえに現役を長く続けている選手でも移籍を繰り返しながらしぶとくプレーしている人が大半で、石原克哉のように入団したチームで10数年もそこ一筋で、しかもそこのチームで現役を引退できる、というのは極めて珍しい例、といっても過言ではないと思います。

で、調べてみたらそのような選手のことを「フランチャイズ・プレイヤー」という言い方もあるんだそうです。またサッカーでは「バンディエラ」という呼び方も(日本語で「旗頭」という意味だそうです)。そしたら、Wikipediaにその資料がありまして、現役選手としてはNPBではロッテの福浦和也が1994年入団最も現役生活が長く、しかも「出身地・出身校もフランチャイズ内にある」という注釈もありました。一方で、Jリーガーとしては、最も古いのは鹿島のGK・曽ヶ端準がユース時代から含めると1995年からプレーしているんだそうで…(ただしプロ野球と違い、ユースチームからカウントされている選手とか、デビューしたチームから移籍を経て、そこから長くチームに在籍してる選手も含まれてましたね。例えば遠藤保仁とか本間幸司とかの各選手も…)。

そんなレジェンド級の長く在籍してた選手をして、「いつ辞めても後悔すると思う」って言葉は凄いなあと思いますね。かつて、膝をひどく痛めて自分の相撲が取れなくなり引退を決意して会見に臨んだ「平成の大横綱」貴乃花が、引退会見で何度も「非常に清々しい気持ちです」「心の底から納得してるんで後悔はありません」という事を口にしてたのを思い出すにつき、何年プレーしてもそう考える選手もいるんだなあ、というのは改めて驚かされた次第でした。

本当にJリーグにもいろんなバックボーンを持った選手がいるわ…。

ちなみにスポーツ報知の記事には続きがありまして…。

昨季まで担当していたJ2金沢でも先日、学生時代に精巣がんなどを克服したMF大槻優平が、スパイクを脱いだ。まだ29歳だが、「サッカーを続けられると思っていなかった」という時を乗り越えてきただけに、「やりきった」という気持ちも強いという。

 金沢がJFLだった12年から所属していたが、チームがJ3優勝とJ2昇格を達成した14年は、両足の疲労骨折で、ほぼ1年をリハビリに費やした。度重なる逆境にも負けることはなかったが、約1年前の16年オフ、「引退も考えている」という話を聞いた。「J2ではやれても、J1では…。それだったら、子どもを教えるのも好きだし…」。サッカー選手としての自らの限界も感じると同時に、第2の人生のことも考えていたようだった。

 このときは、FW山崎雅人(36)から、「まだやれる」と説得され、現役を続行。この1年、相当な覚悟を持って過ごしてきたはずだ。最終節・11月19日の水戸戦では、決勝ゴールを決める有終の美を飾った。今後は指導者の道を目指すという。「挫折の方が多いけれど、そこからはい上がるということを教えたい」。説得力のある言葉だった。

 理由や時期は選手それぞれだが、プロである以上、引退は必ず訪れる。記者が小5のときに華々しく開幕したJリーグも来季は26年目。憧れの存在だったJリーガーは、ほとんどが年下となり、同年代の現役も少なくなってきた。寂しさを感じながらも、一人でも多く、納得のいく“辞め方”ができることを願う。(記者コラム・古川 浩司)

この大槻優平選手は、大学時代にがんを患い、大学を1年留年してがんを全摘手術で完治して、卒業後、記事にも書いてあるように当時JFLで戦っていたツエーゲン金沢に入団、JFL→J3→J2とチームが上のリーグに昇格した際の立役者の一人でもありました。ただ、怪我がちだったのが残念でしたけどね。現役最後の試合にゴールを決めて有終の美…なんて、本当に千葉ロッテの井口選手のような凄い去り方じゃないですか(^_^;)

実況氏はゴールを決めた大槻選手のことを「チーム最古参の」って言ってましたね。この大槻選手が金沢でプロデビューしたのは2012年。つまりわずか5年でチームの大半の選手が入れ替わってたということになります。まあ実際は石原克哉のいた甲府も似たようなもので、2012年のJ2優勝を甲府で経験した選手は(ベテランの保坂・津田両選手が今年契約満了になってしまったので)もう数えるほどしかいないんですけどね。

最近は結構忙しくてDAZNでJ1からJ3まで全試合を見れる環境であるにも関わらず、甲府戦、あとは甲府の次に応援している浦和戦ぐらいしか見ることができなかったんですが、個人的には「実は一番エキサイトするのはJ2の公式戦かもしれない」とも思ってるんで、来季はぜひ甲府がJ2でプレーするのもそうですが、他のJ2の試合とかも時間が許す限り見ていこうかなと考えています。

しかしいろんな選手が居て、いろんな事情で現役引退していくんですね…本当にお疲れ様でした。

 

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