千葉ロッテの井口新監督いわく「井口さんでいいよ」…と、甲府の石原克哉選手の引退会見の話。

sunny day - too hot!

いつも贔屓にしている(?)千葉ロッテとヴァンフォーレ甲府の話題をそれぞれ。

ロッテ井口新監督 呼び方“井口さん”OK 今季まで同僚ナイン苦笑い― スポニチ Sponichi Annex 野球

ある意味で、当時の横浜の権藤監督が「監督と呼ぶな。権藤さんって呼べ」って言ってたのも随分前の話なんだなーと隔世の感が(笑)

ロッテ・井口新監督が宮崎でフェニックス・リーグ視察を開始した。試合は雨天中止となったが、ナインを前に「(来春)キャンプでしっかりアピールできるように準備してください」と訓示。ブルペンで投球練習を見守った藤岡に声を掛け、打撃練習後にはボール拾いを手伝うなど精力的に動き回った。

 現役引退して即監督就任。藤岡は「まだ“監督”じゃなくて“井口さん”って言っちゃう」と苦笑いだが、指揮官は「呼びたいように呼んでくれれば。好きにしてください」と、「井口さん」と呼ぶことも容認。過去には98年横浜の権藤博監督が「監督と呼ぶな」と命じたことがあったが、井口監督もこれまで通り選手と近い距離で接していく。14日の就任会見で語った通り、コミュニケーション重視の初仕事となった。

まあそこは井口氏が監督としてキャリアを積んでいけば自然と皆、「監督」って呼ぶようになりますわ。来年のキャンプとかシーズン中に一発、カミナリを落とす時も来るんでしょうし。

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井口監督「うちは左腕投手が全然いない」

「うちは左が全然いない」/井口監督 – 監督談話 : 日刊スポーツ

それと左腕の藤岡投手なー。なかなか伊東監督の時は先発ローテでも中継ぎでもうまく行かなかったからなー。

ロッテ井口資仁監督がフェニックスリーグを初視察。雨天中止となったが、練習する選手をじっくり観察した。

 藤岡、成田の左腕2人の投球も視察。「うちは左が全然いない。頑張ってもらわないと」と期待していた。

ただでさえ先発ができる左腕が少ない中(チェンと成田翔ぐらいでしょう?古谷も自由契約になってしまったし。後は松永と、ルーキーの土肥あたりか…)、どうにか監督やコーチが入れ替わったわけだし、これをきっかけにここから再起して欲しいなーと思う次第。本来は右の唐川、左の藤岡で一時代築けるんじゃないのか、と思ってたぐらい才能は文句なし、なんだけどねこの選手は…。

ある意味で近々行われるドラフト会議の「戦略」もそこにかかってるんでしょうね。伊東監督の時は投手ばかり指名してましたが、さて?

「ミスター・ヴァンフォーレ」の引退記者会見。

【甲府】一筋MF石原が引退会見「17年間、地元のクラブでやれたことを誇りに思う」 : スポーツ報知

昨日のFC東京戦の試合後に行われました。

今季限りでの現役引退を発表しているJ1ヴァンフォーレ甲府のMF石原克哉(39)が15日、F東京戦(中銀スタ、1△1)後に引退会見を行った。

 韮崎高、順大を経て2001年に当時J2だった甲府に入団した石原。甲府一筋17年目の“ミスター・ヴァンフォーレ”は、「練習生から拾ってもらって、他のチームは一度も考えたことはありません。17年間、地元のクラブでやれたことを誇りに思います」と振り返った。

 引退決断の理由としては「ここ数年続いている膝の痛みで、100%の力を発揮できなくなったことです」と説明。ファン・サポーターへの感謝の言葉も並べ、「あと5試合残っていますので、最終戦に出たいと思い、トレーニングに励んでいます」とホーム戦となる12月2日の今季ラストゲーム(対仙台)での出場を目標に掲げた。

 また、自身が背負ってきた背番号7については、「これからもまた山梨県出身の選手につけてもらえたら」と話した。

で、こちらはネットでも中継されてまして、

これを見て、「あー、一つの時代が終わっていくんだな」としみじみ(´;ω;`)

ついでに書くと、冒頭の千葉ロッテの井口「新監督」の6月ぐらいに行われていた「現役引退記者会見」もネットで公開されてましたね。

「このレジェンド二人の引退が同じ2017年になるとはなー」と、千葉ロッテとヴァンフォーレ甲府を贔屓にしてる私としてはなんとも言えない気持ちになりましたな…。

17シーズンチーム一筋…初芝清みたいだ(感涙)

ちなみに石原克哉選手が在籍してたのは17シーズン。これって千葉ロッテでいえば誰あたりになるんだろうな…と、調べてみたら、初芝清選手が同じ17シーズン、ずーっとロッテ一筋でプレーしていて「ミスター・ロッテ」「ミスター・マリーンズ」と呼ばれてましたわ(そして福浦が更に長いロッテ一筋21シーズン…ここまで来るともう鉄人の域だわ(汗))。

で、この初芝選手が長らくつけてた背番号が「6」番(一時期は0番をつけてた頃もありました)で、初芝選手の引退後、球団が推薦する選手が出てくるまで3シーズンほど欠番だったんですが、2009年からその6番をつけたのが、メジャーから日本球界に戻ってきた↑の井口選手だった、という次第でした。

さて、この石原克哉がつけてた「7」番は誰がつけるんだろう。同じ山梨出身でヴァンフォーレのジュニアユースから育った堀米勇輝選手とかがつけるんだろうかね…。貢献度から行くと永久欠番にしてもいいぐらいの選手の背番号だし。

でも、そんな石原克哉選手にも何度かは他チームからのオファーはあったでしょうに(これだけ長くはスタメンを張ってて結果を出し続けてきたぐらいの主力でしたから)。それを断って甲府にずっと居続けてくれたってその気持ちが嬉しいですね(感涙)。

彼も引き続き「克哉さん」って呼ばれるんでしょう(笑)

おそらく石原克哉は現役を引退した後は、指導者のS級ライセンスを取りに行くことにはなるんでしょうが、チームのスタッフとして残るんでしょうね…。昨日も書きましたができれば、佐久間GMか、海野会長の「後継者」としてチームの顔のような立場で今後共甲府のために頑張って欲しいと思うんですが…。

でもやはり、仮にチームに残って、アンバサダーとか、GM補佐とかの肩書がついても、チームメイトからは「克哉さん」って呼ばれるんでしょうね、それこそロッテの井口新監督が「監督ぢゃなくて井口さんでいいよ」と言ったような事みたいな(苦笑)。

いずれにしましても、長い現役生活、特に経営危機・消滅危機もあった頃の甲府、J2のお荷物時代の頃もよく知っている、2度のJ2降格と3度のJ1昇格を全て経験した、いまや数少ない選手としても…物凄くお世話になりました。本当にお疲れ様でした。

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