阪神のノイジー選手は、今後ずっとバース様のような神様のような存在になるんだろう(笑)

阪神ノイジー“日本一決定球”キャッチ「ポケットの中に入れたよ」来日1年目「最高のチーム。最高の一年」(スポニチ)

いやー阪神38年ぶりのアレ(苦笑)。そして先制弾を打ったノイジー選手は今後何十年も阪神ファンからかつてのバース様のようなもてなしを受けるんだろうな(^_^;)

◇SMBC日本シリーズ2023第7戦 阪神7―1オリックス(2023年11月5日 京セラD)

 阪神は5日、「SMBC日本シリーズ2023」第7戦でオリックスに勝利し、4勝3敗で1985年以来、38年ぶり2度目の日本一を達成した。

 38年ぶりは史上3番目に長いブランクで、昭和、平成、令和と3元号をまたいだ日本一奪還は史上初。これまで日本一1回は2004年球団創設の楽天に並んで現存球団では最少タイだったが、悲願の2度目を達成した。また、今年66歳を迎える岡田彰布監督は、13年楽天の星野仙一監督に並ぶ最年長での快挙となった。

 4回に2戦連発となる決勝3ランを放ったシェルドン・ノイジー外野手(28)は、チームが日本プロ野球の頂点に立ったことに「今年一年、このためにプレーしてきた。すごくうれしいし、ここにいるこの機会を得られて本当にうれしい」と興奮気味に語った。

 優勝をつかみ取る9回2死一塁からの杉本の左飛をキャッチ。「チカモトの方を見たら何も言っていなかったので、僕がそれを取ると言って、取ったあとにポケットの中に入れたよ」とニヤリと笑った。

 家族へのメッセージは「家族には本当にこの1年間、自分のことを支えてくれてありがとうと伝えたい。自分のために遠い国まで来てくれて、遠征もずっとついてきてくれて、本当に多くの時間を自分のために犠牲にしてくれて、そのなかで僕を支えてくれたので感謝しているよ」とあふれる感謝の思いを口に。

 試合を振り返り、前日の山本撃ちに続く2戦連発の宮城撃ち。「得点圏の場面で2ストライクと追い込まれていたので、何とか前に飛ばして得点につなげたいなという気持ちで立った。(感触は)アメージング!」

 最高の結果となった来日1年目を振り返り「最高のチーム。本当に最高の一年になったし、この最高のチームと一緒に戦えてうれしい。自分にこういう機会を与えてくれたスタッフの皆さん、そして支えてくれた裏方の皆さんにも感謝しますし、本当にこのチームで戦えてうれしいよ」としみじみ。最後に岡田監督はどんな監督か聞かれ「答えるのは難しいけど、ここまで導いてくれた監督なので、僕たちを導いてくれた凄い監督だと思うよ」と笑顔でボスを称えた。

しかしあんだけ阪神とオリックスは競り合ってたのにこんなにワンサイドゲームになるとは思わなかったな…。オリックスからすればひょんなことからの「ボタンの掛け違い」みたいなとこから失点を重ねて阪神打線に飲み込まれていったってのが、うーん、野球ってスポーツの怖さを知りました。

ま、阪神も親会社が阪急と合併して、かつての阪神電鉄が親会社だった頃のケチくさい「優勝せんでも甲子園が満員だったら選手の年俸あげんでええわ」的な親会社の体質からは少しは脱却したと思われるので(ま、その阪急から身売りしてできたオリックスとの戦いってのも30数年前を知ってる身からすると「これもまた歴史的因縁だなー」って感じちゃうんですが)、多少の順位の浮き沈みはあるとは思いますが、次の優勝・日本一はそんなに38年も待たされることはないんじゃないですかね。ドラフト会議の趣旨的には6年に1回リーグ優勝できて、12年に1回日本一になれればなんて(^_^;)

しかしノイジー選手。今後は仮に現役引退してもたびたび日本に招待されて、バース様、そしてオマリー様のような尊敬の眼差しで神様のような感じになるんだろうな。いやー間違ってもたどたどしい日本語で六甲おろしを歌わされるのは(以下略)

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うちの祖父んとこに墓参りに行かないとなー(苦笑)

ちなみに前回、阪神が日本シリーズで優勝したのが昭和60年、38年前のことだったんですが、その年にうちの父方の祖父が亡くなってまして、阪神の日本一になった翌々週の週末に四十九日法要の納骨があったような記憶があるんですね。

で、その祖父が生まれたのが大正5年のことでして、今年は↓こんな出来事もありました。

107年前は世の中で何があった? 慶應の甲子園優勝は変革期!「アインシュタイン『一般相対性理論』を発表」「夏目漱石が死去」「明治製菓創業」(DIGEST)

こちらは8月末の記事なんですが、夏の甲子園で慶応高校が107年ぶりに優勝したという一件がありました。

第105回全国高校野球選手権記念大会は8月23日に決勝が行なわれ、慶應(神奈川)が連覇を目指した仙台育英(宮城)に8対2で勝利を収め、3486校が参加した夏の甲子園で頂点を掴んだ。

 慶應の優勝は大正5年の第2回大会以来、107年ぶり2度目。古豪の快進撃は試合を重ねるごとに強さを増し、ついに決勝の舞台まで勝ち進んだ。

 加えて、西武や巨人などで活躍した清原和博氏の次男・勝児(2年生)の存在やベンチ入りメンバーが帽子やヘルメットを脱ぐと前髪が爽やかにたれる「非・丸刈り」も話題を呼び、決勝の黄金カードは即完売。グラウンド外でも、系列やOBを加えた慶應のド迫力な応援がスタンドに集結。超満員のファンが選手を後押しし、前回王者を投打で圧倒した。
 
 慶応が初優勝を果たした1916年は、まだ第一次世界大戦の真っ只中。同年10月には寺内正毅が第18代内閣総理大臣に任命され、12月には『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『三四郎』などの代表作を執筆した近代日本文学の文豪のひとり、夏目漱石が胃潰瘍により死去している。

 他にも、チョコレートで有名な明治製菓が創業され、1905年に特殊相対性理論を発表したアルベルト・アインシュタイン(ドイツ)が『一般相対性理論』を科学界で発表するなど、国内外で大きな変革期を迎えていた時代だった。

 近年の猛暑対策として今大会から初めて「クーリングタイム」が導入され、慶應をはじめ、高校野球の代名詞とされていた丸刈りにしていないチームも多く出場し、時代の変化が見られた甲子園。107年ぶりの快挙は、高校野球の新たな時代の幕開けとなるのだろうか。

で、うちの祖父は大正5年の11月に生まれて、昭和60年の9月に亡くなっているので、「前回の慶応の甲子園優勝」も「前回の阪神の優勝」も生まれる直前と無くなる直前だったんで「厳密には同じ年だったんだけど、ビミョーに間に合わなかった」んですね。昔、何かの文献で「トムソーヤの冒険」の作者のマーク・トゥエインが、75年に1回の割合で地球に最接近するハレー彗星が到来した年に生まれて、次に到来した年に亡くなっているというなかなか興味深いエピソードを読んだ記憶がありまして「あー、なんかそれに近いな」と(苦笑)。マーク・トゥエインは亡くなった年のハレー彗星はぎりぎり間に合ったらしいんですけどね。

なので近いうちに久々に千葉の佐原にある祖父母のお墓にお参りして「いやーじいちゃん、今年は珍しいことが立て続けに起きたわ」とお墓参りに行こうかなと考えてますです。しかしそんな祖父が亡くなったのも38年前、69歳の手前で亡くなってるんですね。一方で当時11歳の手前だった私は明日の7日で49歳になるので、実質の年齢差が20歳になってしまうのがなんとも不思議な感じ。あと風貌が祖父と私とそっくりだったりします(^_^;)

以上です。

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