・年賀状の1月2日配達中止へ…人件費負担大きく (読売新聞) – Yahoo!ニュース
2013年に介護の都合等で退職するまで、前職がここだったんですけど、2004年までは1月2日がお休みだったんですよ。ある意味で懐かしい(苦笑)
日本郵便は、2017年1月2日の年賀状の配達を取りやめる方向で最終調整に入った。
人件費の負担が大きいと判断したとみられる。1日と3日の配達は継続する。
1月2日の年賀状配達は日本郵政公社時代の05年、顧客サービスの向上の一環として再開された。
しかし、電子メールの普及などで年賀状を書く人が減り、日本郵便が16年度に発行した年賀状は28億5329万枚と、8年連続で前年を下回った。ピークだった03年度に比べ、3分の2の水準だ。
年賀状の配達業務はアルバイトに頼ることが多く、近年は人手の確保も難しくなっていた。2日の配達を中止すれば、コストの削減につながる。親会社の日本郵政が15年11月に上場し、市場から収益力の向上を求められていることも影響したとみられる。
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「年賀状の文字で酔う」ぐらいひどい激務でしたわ…。
しかし「コスト削減」を理由に今更1月2日の配達を取りやめるってのは予想してなかったっすわ…。
この仕事、学生時代のバイトからちょぼちょぼと長らくやってたんですが(資格試験の勉強やりながらだったんで契約社員の立場のままでしたけどね)、まあ年末年始はとにかく毎年大変でしたね。最も忙しい時期で、朝の8時に出勤して、夜の9-10時まで年賀状の区分けで年賀状とにらめっことかでしたもの。
本来の私はメインは主に配達だったんですが、もうMAXの時になると「ああ、君たちは毎日配達に行ってここの地域精通してるから中にいて区分けしててくれ」と、正社員の上司が書留配達ついでに外に配達しにいって(これがまた「外の空気を吸ってくる」ってんでなかなかの気分転換になるんだから不思議でしたわ)、我々は中で高校生の区分けのバイトさんの指導とか、彼女らの組んだブツを確認しつつ、てめえでも区分けしたり…と、怖いのはだんだん昼夜の時間がわかんなくなってくるんですね。休憩時間はあるんですけど。
そして最後の頃には、
年賀状の文字で酔ってトイレで吐く
という経験もしたことがありましたわ。それ以降は、深呼吸しつつ呼吸を整えて「んないくらやったって終わらねえんだから、焦るな。いつもペースでやれ」と心がけて気持ちを楽にしてやるようになりましたね。結局、最終的には大みそかの午後にはどうにかなるんですけどね。もともと紅白歌合戦は好きではない番組だったんですけど、この仕事してた頃はほとんど見たことがありませんでした。
年末年始は8-9連勤&連日12-13時間労働できつかった。
で、2005年以降、家庭の事情で退職する2013年までほとんど年を年賀状勤務(?)をやってたんですけど、大概は年末年始8-9連勤って事が多かったです。その上、朝8時から休憩はあるんですが夜9-10時ぐらいまで。
近年は12月23日の天皇誕生日がお休みで、そこからは日曜も出勤になってたんですけど、早く休みを取った人、例えば12月24日に休みを取った人は次は1月2日がお休み、とか、12月28日ぐらいから全員出勤になるので、12月27日のぎりぎりに休みを取った人は次は1月5or6日がお休みとか…と、そこはある程度平等に休みが振り分けられてた記憶が。まあ他の班ではそういう暗黙のルールとかがないとこもあって、ケンカしてたとこもありましたけどね(苦笑)。
もっとも他の同僚に聞いたら民営化する前、公社化する前はもっといいかげんで、バイトは12月頭から1月1日まで休みなし、みたいなとこもあって、この1月2日のお休みが「最後の生命線」みたいな人もいたそうです。
あ、残業代はいろいろともらえるんで、一時的に懐はかなり温かくなるのは非常にありがたいのは事実なんですがね(当時は時給制でしたが、通常は毎月20数万円なところで最高で40万円台まで行ったことがありました(大汗))。今は知らんけど。
それにしてもどこの職場もひどかったですね、労働環境みたいなのが。みんな長時間労働&肉体労働で気持ちも空気も異様にピリピリしてて、ひどい時には怒鳴り声も聞こえてて女子高生のバイトさんとか怖がってたし。いっそラジオか有線放送とかで時計代わりに楽しい音楽やニュースとかを流せばいいのに、と思ったぐらいですわ。
で、うちら夫婦はその1月2日が「入籍記念日」なんです(笑)
私と妻はもともとはさだまさしと大江千里のファンつながりで知り合いになって(もともとは友達の友達ぐらいの関係だったようですが)、当時やっていたお互いのホームページに行き来して、掲示板に書いたりして、2年ぐらいした後に当時私が主催していた、さだまさしのラジオの深夜番組のリスナー仲間のサークル(これが後にクイズサークルになって25年続いたあげく、私が先日退会した会になるんですけど(苦笑))…の新年会に彼女が来てオフラインで初対面を果たした…というちょっと変わった方法で知り合って、付き合い始めて結婚したくちでした。ま、ある意味で当時では結構珍しい「ネットを通じて知り合った」というタイプだったんですけどね。
で、この初めてオフラインで初顔合わせ(?)したのが2001年1月2日のこと。なんでこの日がサークルの新年会になったのか、といえば、もうここまで書けばわかると思うのですが、
この日が年賀状の配達がお休みだったから
なんですね。まあなんとわかりやすい(笑)。
当時は私の母校の大学(横浜にある関東学院大学というとこです)が、全国区のラグビーの強豪校で毎年、大学選手権で優勝を争うぐらい強かったんで、1月2日に国立競技場で行われる準決勝の試合を見に行って、皆で盛り上がってどこかでボウリングとかカラオケとかをした後に、夕方に飲み会に行く、という流れがパターン化してました。
思えば当時の関東学院大学、うちらが毎年新年会が行われてた1999年から2004年まで、国立まで見に行ってたのは毎年ではなかったんですが1月2日の準決勝では負けた記憶がなく、見に行った試合は必ず勝っていたのでサークルの知り合いの、ラグビーに詳しくない連中も楽しんでたという側面がありましたね。在校時はチケットのタダ券配ってても全く見向きもしなくて母校愛なんかこれっぽっちもなかったのになんつー現金な(爆)
で、2007年を最後に途絶えたのは実は部員が大麻吸って逮捕されて出場を辞退したからで(号泣)
で、2004年1月2日というのが郵便局が「1月2日に年賀状の配達を休止した最後の年」になってしまったんですが、この日に私らは入籍をしたんですね。当時は小岩に住んでたのでアパートに仲間呼んでわいわいと騒いで(勿論テレビで大学ラグビーの中継を見たりして)、バスで江戸川区役所に行って入籍届を出したんですが、最後に胴上げされる始末で怖かったっす(号泣)。その後に神田まで出て居酒屋で新年会という流れで大いに盛り上がったんですけどね。これでもかなり体力的・精神的な休養にはなったので翌年からこの日も仕事と聞いて、思いっきりがっかりしたのを今でも覚えてます(なお翌年は仕事を1時間の残業で切り上げて神田の飲み会だけ参加したんですけどね)。
その後は試験勉強に専念してたり、椎間板ヘルニアをやって一時退職してた数年を除いて、2013年までほとんどの1月2日は支店での年賀状配達で過ごしてたんですが、実は1月2日に配達を入れると翌日の1月3日の配達分がこっちに回るので、多少余裕ができるせいか年末のような激務にはならなくなるものでして、ほとんど定時か夕方には仕事が終わって帰れる、というメリットもあったんですね。で、妻に職場近くまで来てもらってふたりでおいしいものを食べて帰る、みたいな事をやってました。結婚式を挙げた10月9日を「結婚記念日」と呼んで、こちらは「入籍記念日」と呼んでそれぞれささやかなお祝いをするようになったのは良かったのか悪かったのか(苦笑)。
でも結局1月2日の配達は本当に必要だったのか…。
1月2日の配達はそもそも「顧客ニーズに応える為」という事で始めたらしいんですけど、企業の大半はお休みで年末年始は支店に留め置いて仕事始めの日に一括して配達してましたし、年賀状の大半は元旦に配り終えてしまうので1月2日に来る枚数なんてたかが知れてますし、正直「翌日1月3日の配達量が減って、配達員がちょっと楽になる」以外は何もメリットがなかったような気がします。むしろ配達員も「元旦を頑張れば翌日は休める」という、体力的な回復ももちろんあるんですが、精神的な休養がそこに入ってる事によって助かってた側面もあったような気がしますね。
実際、1月2日の休みがなくなってから、なんとなくですが成人式の前後に連休になるんですけどここでガクーっと体調を崩してたような気がします。私も同僚も。これらを思うと、やっぱり休養という「メリハリ」は必要なんでしょうね。