・電撃ネットワークの南部虎弾さん 20日に脳卒中で急死 72歳 「ダチョウ倶楽部」元リーダー(スポニチ)
ほんの数日前にエスパー伊東氏の訃報の際にコメントを残してたんだがな、南部虎弾氏…。
死にそうなのに、知人たちにも会わせず。
亡くなってから連絡してきて、そりゃないだろう!
ひどい話だ!
エスパーがかわいそう
安らかにおやすみください!#エスパー伊東 pic.twitter.com/nXDaZVW04l
— 南部虎弾 (@nanbutorata) January 16, 2024
↑まさかその3日後に自らも「文字通り急に」亡くなるとは思わなかったろうな、合掌。
パフォーマンス集団「電撃ネットワーク」の南部虎弾(なんぶ・とらた、本名・佐藤道彦=さとう・みちひこ)さんが20日午後11時55分、脳卒中のため都内の病院で死去した。72歳。山形県出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。後日お別れの会を予定している。
グループは公式サイトで「突然ではございますが、電撃ネットワークを長年牽引してきたリーダー南部虎弾 昨日23:55 脳卒中の為、帰らぬ人となりました」と報告。
「通夜、葬儀につきましては、近親者のみで行わせていただきます。後日、お別れの会を予定しておりますので、詳細は追ってご報告いたします」とした。
突然の訃報にあたり「突然の悲しい出来事に、困惑しておりますが、ファンの皆様を大事にしてきた南部虎弾に代わり、思いをお伝えいたします。長い間、応援ありがとうございました」と記した。
2019年5月、妻をドナーとする腎臓移植手術を受けた。13~14年頃に糖尿病と診断され、主治医から人工透析を勧められたが、それを拒否し「透析をすると海外に行けなくなる。それなら移植の方がいい」と判断した。同年7月に仕事復帰し、再び活動に励んでいた。
南部さんは「ダチョウ倶楽部」結成時のメンバーで元リーダー。脱退後に「電撃ネットワーク」を結成した。
なんつーか南部虎弾氏の訃報に接した時の感想は「絶句」の一言に尽きましたね。うーん、あれほどの頑丈そうな人でもいきなり亡くなるんだなと。
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うーん、こういう事もあるんだねえ…としか。
・南部虎弾、エスパー伊東さんに面会できず「悔しくてしょうがない」事務所対応には「ひどい話だ」(日刊スポーツ)
こちらが4日前の日刊スポーツの記事でした。まさかこのわずか3日後にねえ…。
電撃ネットワークの南部虎弾(72)が17日までにX(旧ツイッター)を更新。親交のあった元お笑い芸人のエスパー伊東さん(本名伊東万寿男=いとう・ますお)を追悼するとともに、伊東さんと面会できなかった悔しさと怒りをつづった。
南部は「ああ、悔しくてしょうがない! エスパー伊東くんが亡くなったそうです!」と伊東さんの訃報に触れ、「ビトたけし君からは発表しないでくれ! と言われたのですが、あれほど会わせてくれと懇願して『コロナが終わったら、会わせてくれる』と言ってたのに ほんと、すぐ近くに親しい人もいたのに、施設の名前すら隠していた」と、伊東さんの所属事務所「オフィス庄屋」代表のお笑い芸人、ビトたけしから面会を拒まれていたと訴えた。
続く投稿でも「ビト君はこれからいろんな、言い逃れを考えてから、マスコミに発表し、葬儀あるいは、送る会とか開くつもりだろうけど、『エスパーのことは全部、自分が面倒見ます!』と公言しながら、酷い話だ。ちょっと前には抜け抜けと自分のライブをやり、エスパーが弱ってるにもかかわらず、、」と、ビトに対する不信感をあらわに。「死にそうなのに、知人たちにも会わせず。亡くなってから連絡してきて、そりゃないだろう! ひどい話だ!」と憤り、「エスパーがかわいそう 安らかにおやすみください!」と伊東さんを悼んだ。
南部は22年1月、伊東さんについてXで「連絡が取れない。事件性まで感じてしまう」と投稿して話題に。その後、ビトが日刊スポーツの取材に「大丈夫です。生きています」と説明していた。ビトによると、伊東さんは18年に右変形股関節症と診断され、人工股関節を入れる手術を受けた。その入院中に脳梗塞を発症。この時は外科手術でなく、薬で治療。その後に介護施設に移ったという。南部は4月の投稿で、ビトの仲介を受け伊東さんと電話で話すことができたと報告していた。
ここらへんはねえ、家族とか身内、関係者の都合もあるのと、コロナ禍も第5種に移行したとはいえ病院や介護施設の都合もあるので「なかなか面会が許されるとこではない」とこだったのかもしれないですしね。
余談としては2年前の今頃に老衰で87歳で亡くなったうちの義理の父の時は一番コロナ禍の対応が厳しい頃で、実の娘であるうちの妻ですら亡くなる数日前の病室での面会時間は30分まで、それ以上する場合はPCR検査を受けてください…みたいなこともありましたね。そして通夜・告別式も完全に家族葬で、隣町の瑞穂町にある火葬場の斎場で小ぢんまりと執り行われたほどでしたので。あの頃よりかは多少は「ゆるく」なってるかもしれないけど、それでも完全にコロナに対する危機感が零になったわけではないので、そこらへんのお見舞いとかの対応もまだまだ厳しいのかなと思ったりと。
で、この話で思い出したのは、少し前に落語立川流に所属していて談志師匠の筆頭弟子だった桂文字助師匠という人が亡くなったんですがこの人も晩年は体を壊して落語家活動もできずに立川流も脱退し、更に生活保護を受けて介護施設に入ってまして更に若い頃に離婚されててご身内がほとんどいないという状況下で、弟弟子の立川キウイ師匠がたまたまその介護施設に電話したら「×月×日に亡くなりました」という報告をされてびっくり、ということもありましたし。この時もキウイ師匠も完全な身内ではなかったんですが「弟弟子で身内みたいなものですから」とどうにか話を聞けて、それで初めて談志一門に訃報が流れた…ということもありましたので。
ちなみに個人的には「ダチョウ倶楽部」と同様に「電撃ネットワーク(海外では「トーキョー・ショック・ボーイズ」)」のパフォーマンスも大好きでしたね。なんつーかたぶん「わかりやすい」のが好きなんでしょうね、私。いっぽうでエスパー伊東氏は「かばんの中に全身を入れちゃうパフォーマンス」以外はさして存じ上げず(あれもかなり凄い芸なんすけどね)名前だけは存じ上げてましたが…という感じでしたが、Twitter(X)を見てると同世代や少し下のこれから還暦を迎えるぐらいの芸人サン・落語家の方々が若い頃、売れなかった頃に交流があって酔っ払ってケンカを売られたみたいなエピソードを語りつつも、物凄く人柄が良くて全く恨まれなかったという話を拝見しまして「うーん、身体を壊しちゃったのが惜しまれるなあ」としみじみ感じたものでしたがまさかその3日後にエスパー伊東氏の最期に会えなかったと憤ってた南部虎弾氏まで逝ってしまうとは思わなかったっすねえ。
しかしこれでまた「天国演芸場」は凄いことになりそうだ。
これはもしかしたら照れ屋のエスパー伊東氏が南部氏も一緒に連れてっちゃって…という感じもしないけど、なんか先にあっちにいった芸人さん、例えばダチョウ倶楽部の上島竜兵氏あたりが「え、南部さんもう来ちゃったの?」って困った顔をしてそうな(苦笑)。
しかしこういう芸人さん、明らかに談志師匠は大好きだろうから「また新しい新人が来ましたよ。しかもふたりも」と嬉々として迎えてそうな。そして「おい南部、金魚飲んで吐き出すあの芸やれ。エスパーはカバンの中に入れ」とか喜んでリクエストされてそう(^_^;)。なんかあっちの方の芸能界のほうがおもしろそうで、ここ数年で病気で40-50代で亡くなった旧友たちがなんとなく羨ましいかもしれないな(だからといって今すぐあっちの行けと言われても困るんだけど…)。
いずれにしても長い人生本当にお疲れ様でした。とりあえず今は三途の川の船の上で遭遇してケンカしてないといいなお二方。合掌。