夏休みの読書感想文はノンフィクション本一辺倒でして…よく母親と先生が苦い顔してました(^_^;)

夏休みの宿題の定番「読書感想文」課さない学校が増加 子どもの読書離れに懸念の声も〈AERA〉

読書感想文、あれ嫌いでしたねー(笑)。何しろ子供の頃から小説をほとんど読まないノンフィクション本一辺倒だったんで夏休みの宿題の読書感想文もそんなノンフィクション本一辺倒。母親や先生が嫌な顔してたのを思い出しますな(^_^;)

親を悩ませる夏休みの宿題のど定番“読書感想文”が必須課題から姿を消しつつある。親はホッとする半面、読書離れ、作文力低下を懸念する声もあがっている。AERA 2023年7月24日号の記事を紹介する。

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 夏休みの悩みの種の代表格“読書感想文”。夏休み前のこの時期、書店に行けば課題図書や指南本のコーナーも設けられる。ところがだ。近年は読書感想文を課さない学校が増えてきた。

 都内の公立小学校で6年生を受け持つ40代の男性教諭の学校でも、夏休みの宿題から読書感想文が消えた。3年前、コロナ禍をきっかけに、毎年学校として参加していた地域の文集が廃止されたからだ。

「事前に書き方の指導はしていましたが、それだけで書けるようになるとは思えません。読書はさせたいですが、嫌々感想文を書かせるのはできるだけ避けたかった。きっと真面目な保護者ほど、ケンカしたりしながら書いていたと思い、こちらとしても申し訳なく思っていました」

 男性教諭は、こうした本音を漏らしつつも、子どもたちのタブレット時間が増えたことと反比例して、読書時間や書く力、考える力が低下することを懸念する。

■ほぼ母が導いた作文

 強制ではなくなる学校が出てきたとはいえ、全員絶対提出の伝統を守る学校もまだある。福島県郡山市の40代女性は息子の読書感想文に毎年手を焼いてきた。一昨年、小学5年生の時に出された読書感想文の課題は原稿用紙4枚分。息子はもともと作文が苦手。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を選んで読み終えて原稿用紙に向かったものの、手は一向に進まない。

 丸一日かけて「ほぼ私(母親)が導いてあげた作文」が完成した。6年生になった昨年は自分で書けるようになり成長を感じたものの、さほど指導もなく家庭に丸投げされることにはもどかしさを感じている。

「4年生以上は作文2枚と感想文4枚が夏休みの必須課題になっています。困っている子どもも少なくないのでは」

 都内公立小学校で学校司書として長年子どもと関わる女性(54)は、高学年の課題図書のレベルが現実に見合っていないと感じることがあるという。全国学校図書館協議会などが主催する青少年読書感想文全国コンクールの場合、小学校部門は低・中・高学年に分かれ、4冊ずつ課題図書が設けられている。

「時代を映すいい本もありますが、ある程度の読書力が備わっていないと、ハードルは高いかもしれません。最近は、長くて分厚い本を読めない高学年の子どもが増えていますので」

 好きな本を選んで書く自由読書枠もあるが、これはこれで「選書」というハードルもある。

■不読者の割合は増加

 子どもの読書離れは今にはじまったことではない。2001年、子どもの読書離れを懸念した国は「子どもの読書活動の推進に関する法律」を公布、学校図書館の充実など、環境整備に力を入れた。前出の協議会が毎年全国の小・中・高校生を対象に実施する学校読書調査によると、小・中では1カ月あたりの平均読書冊数は推進法が公布された01年と比べて倍以上増えた。

 しかし、1カ月に1冊も本を読まない「不読者」はなかなか減らない。昨年度、国は不読者の割合を小学生(4年生以上)で2%以下、中学生で8%以下にする目標数値を掲げたが、実際の数字は小学4年生以上6.4%、中学生18.6%とかなり高めだ。もともと「不読者」の割合が高かった高校生にいたっては半数以上の生徒が月に1冊も本を読んでいなかった。

いや子供の頃から「読書」は好きだったんすわ。私自身の子供の頃は千葉県成田のニュータウンに住んでまして、確か小4の秋に今もある成田市立図書館がオープンしましてしょっちゅう通ってましたから(その成田市立図書館は来年で開館40周年を迎えるそうです…で、私は来年の秋に50歳の大台に(苦笑))。ただ小説はほとんど読んだ記憶はないですね。強いて言えば「ズッコケ三人組」シリーズと、司馬遼太郎先生の「坂の上の雲」をそれぞれ全巻読んだぐらいでしょうか。

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「その本の概要だけで全体の7-8割は書ける」のがサイコー(爆)

まあ何にしろ、我が家の環境が今から思えば「凄まじい」の一言でして、子供部屋に親父が買った「ゴルゴ13」の単行本が置いてあった(というかソファのとこに転がってた)ので、私なんかは小学校低学年の頃から「へー、イスラエルの特殊機関はモサドって言うんだー」とか「ヒトラーの後継者となったマルティン・ボルマンは南米に逃げた説が」みたいなのに触れ親しんできたので(苦笑)

↑そんな最初に触れたゴルゴ13の単行本はこの第53巻。全話全ておもしろいんですが、特に最初の「崩壊 第四帝国・狼の巣」のゴルゴ13のネオナチ殲滅作戦が秀悦です(笑)

ゆえに夏休みの読書感想文も、課題書なんかに全く目もくれず自由読書枠みたいなのを毎年チョイスしてノンフィクション系の本で原稿用紙のマス目を埋めてましたねえ。どーしても読みたくない本で感想文なんか書くと「上滑りしたことしか書けない」のと、ノンフィクション系の本だと、確か400文字詰め原稿用紙で10枚以上というのが小中学校の時の読書感想文のノルマだったと記憶してますが

その本の概要の説明だけで原稿用紙7-8枚は軽くいける

のが大きかったっすねえ。つまりは全体の7-8割はそれで埋まる、と。で、最後にちょろっと「世の中知らないことも多いんですねー、勉強になりました」的なことを書けば「はい、読書感想文の完成ーっ」みたいな流れでやってました。うーん、嫌なガキだ(^_^;)

で、元々夏休みの宿題は「中身はともかく、期限までに出しゃいいんだろ?」みたいな感じのガキンチョだったんでさしたる思い入れもなく、特に読書感想文は8月20日を過ぎたあたりに図書館(なお前述した成田市立図書館がまだオープンする前は、隣りにある中央公民館の2階に大きな「図書室」があったのでそこに通い詰めてました)に詰めて、おもしろそーな本を探してそれを3回ぐらい読んでから原稿用紙に書いてましたね。

むしろ個人的には大変だったのが、それを当時はまだ30代そこそこで若かったうちの母親がチェックするわけですが「こんなん読書感想文ではない」「これじゃ学校が読書感想文の大会で使えない」云々でかなりダメ出しをしてくるので、それでよくケンカしてました。でも私も頑固でそれこそ「中身はともかく、期限までに出しゃいいんだろ?」 と公言すらしてるガキンチョでしたので、毎年母親が折れて「先生に叱られても知らないよ」と言いつつも全く修正なしで出してましたねえ。

んで、学校に提出すると先生には軽くいやーな顔をされますが(「お前のは「読書感想文」ではない「読んだ本の解説」だ」みたいな意地悪いことをいう担任もいましたが、突き返されたことは皆無でしたし、通知表にはプラスにもマイナスにも全く響きもしませんでした)、いかんせん第二次ベビーブームの頃で児童がめちゃくちゃ多かった時代でそこまで細かくチェックすることもなく、学校外に提出する読書感想文コンクールみたいなのに選ばれるのは「文章がうまい、そして生真面目な優等生の子たち」ってのが決まりきってたので(そんな常連だった同級生に、成績優秀運動神経抜群で毎週の全校集会のたびに何かのコンクールに入賞した賞状贈呈で壇上にあがるようなすごい人がいました。で、団地の6畳間の居間にぐるり360度、賞状の額を飾ってて「すごいねーこれ」って言うと「ここに6枚ずつ入ってるんだ」としれっと言ってて「ひえー」と(苦笑))、学年を経るごとに読む本がマニアックになっていったのをよく覚えてます。

中2の夏休みは種村直樹の鉄道紀行本で読書感想文を(笑)

私自身、もっともよく覚えてるのが中2の夏休みの時に出した読書感想文が、

成田市立図書館の鉄道・紀行のジャンルの本棚にあった種村直樹先生の「日本縦断鈍行最終列車―消えゆくローカル線に愛をこめて」という本でした。

この本は国鉄が分割民営化する前年(1986年)の夏休みに最北端の北海道の稚内から、最南端の鹿児島の南大山(当時は沖縄のモノレールはありませんでした)まで鈍行を中心に種村氏のファンクラブの面々と一緒に乗り継いでいく…という旅行記だったんですが、 この数年来に消滅してしまうローカル線や長距離の鈍行列車とかが多数登場してきまして、異様におもしろかったんですね。で、この時も400文字詰め原稿用紙10枚以上という条件だったとこを20枚ぐらい書いて学校に提出したら、国語の教科担任の先生がダメ出しするどころか、「こりゃいいとこ攻めてるなー」となぜか物凄く大喜びしてくれたのにびっくりでした(笑)

で、この読書感想文を書いたのは中2の夏、1988年の夏休みだったんですがそれから10年ちょっと後に、後に鉄道好き仲間のサークルで知り合って、クイズサークルでもご一緒することになる三好誤服店氏という、この種村直樹氏のファンクラブにも入ってるほどのコアなファンの友人と仲良くなりまして、彼が種村氏の著作本のほとんどを持ってたのでこの本を改めて読む機会に恵まれました。そして改めて読んだ感想としては「よく100数十人、入れ代わり立ち代わりで一緒に旅をして大迷惑にならんかったもんだ」という実にアレな旅行記だった事が判明しまして…(笑)。

まああの当時では10年前、今からだと35年ぐらい前の昭和後期の「古き良き時代の旅鉄モノ」と思えば全然楽しく読めるんですが、最初に読んだ印象と全然違う、種村氏(とその取り巻きの面々)のアレっぷりの凄さにびっくりしたのが今でもよく覚えてますです。それはともかく結局、モノカキであれば、質はともかく量に関してある程度はアドリブも含めて「すらすらと書ける」訓練とその土壌はこういうとこで始まったんでしょうな、わし。

ま、読みたくもない感想文を取りまとめなきゃならん気持ちはわかるけど何より先生が好奇心の芽を摘んじゃだめだよねーとか思いつつ。以上です。

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