今日9月4日は息子の8歳の誕生日でした。8年前に妊娠8ヶ月の妻が妊娠中毒症からの切迫早産で地元の病院から世田谷区の国立のこども病院に救急車で搬送されて出産ということがあったり、それとは全く関係なく先天的なレアな障害があったり…と、まあいろいろありましたが、あっという間の8年だったなと思いますです。
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今日も8年前の9月4日も外は大雨でした。
ま、うちの息子は摂食障害と卵アレルギーがあるんで食べられないんですが、うちの妻が昨日地元の西友のコージーコーナーでケーキと「8」と書かれたろうそくを買ってきておりまして、
こんな感じで記念撮影をして、
食べられない(というか食べてくれない)息子の前で我々だけ食べるのはさすがにしのびないので息子に大好物のミルクをあげてから、我々もケーキをいただきました。まあ去年までだったら、妻の父と息子(初孫でもありました)のツーショットを撮ってから妻の父も一緒にケーキをいただくとこなんですが、今年の1月に老衰のため87歳で亡くなってしまったのでリビングの仏壇の遺影に黙礼して「いただきます」とひとりごちしてからショートケーキをいただいた次第です。
で、これを書いている今年の9月4日の我が家界隈は夕方から結構な本降り雨に。これで思い出したのがちょうど息子が生まれた日の夜も今日の雨に負けず劣らずの大嵐でした。もともと妻は妊娠8ヶ月の段階での妊娠中毒症の悪化で地元の産婦人科の病院に入院してたんですが「すぐに出産しないと母体ともども危ない」ということで世田谷区の国立成育医療研究センターという日本最大級のこども病院に緊急搬送された後(夕方の中央自動車道と環八を救急車に乗って運ばれました。で、私も付添で一緒にということで)、
4階に手術室と、新生児用集中治療室(NICU)と、その他の患者さんに集中治療室(ICU)かあってそこにめちゃくちゃ広い待合室があるんですが、ここで2時間半ほど待つことになりました。外は大雨、そして待合室は最初は10数人ほどいたんですが時間が経過するごとに人が減っていき、残り1時間半は夜の広い待合室にぽつーんとひとりで待つという始末に。
で、なぜか待合室の本棚には姉妹社版の「サザエさん」の単行本が。今では姉妹社は(長谷川町子先生の没後に)長谷川町子美術館に移管され、サザエさんの単行本は朝日新聞社から出てるんですが、(2019年に94歳で亡くなった祖母が施設に入ることになったため)2010年に取り壊された千葉・佐原の親父の実家には学生だった頃の親父が書い続けていたこの姉妹社版の「サザエさん」がありまして子供の頃によく手にして読んでました。なので「いやー、こんなとこでお目にかかるとは思わなんだ」とかひとりごちしながら目を通しつつも、心ここにあらず、「嫁さんどーなるんだろうなあ、で、子供は無事に生まれるんだろうか」なんて思いながら、そしてある程度は最悪の事態も想定しつつ「覚悟」も決めて、ずっと待ってたのが記憶に新しいです。
最終的には出産は1時間程度で終わったんですが、息子が仮死状態で生まれてその蘇生措置や、蘇生後は1200gちょっとの超未熟児で生まれたのでその保育器へのもろもろのやることが多く、私が看護師さんに「終わりましたので奥様の病室に戻ってください」と呼ばれたのは手術開始から2時間半後のことでした。
そして最終的には息子は2ヶ月、ここの病院のNICUでお世話になって退院するんですが、「どうもなかなか首がすわらない。どうやら発達障害があるぞ」という事が判明し(もともと早産・超未熟児はそういうリスクが高かったので、生まれた直後から理学療法士さんのリハビリは受けてはいたんですけども)、改めて遺伝子検査をした結果、染色体異常が原因の「全世界で数十人しかいない」という実にレアな障害持ちだったことがわかるのが2歳に入ってから…ということになります。あまりにもレアな、ここの日本最大級のこども病院かつ研究機関でもある国立成育医療研究センターのベテランのお医者さんでも「この障害を持った子は私が診たのは2例目です」と言われたぐらいで、まあ結果を告げられた時は私と妻は文字通り「( ゚д゚)ポカーン」となってしまったぐらいでした、はい。
…ま、そんなわけで8歳を迎えた息子ですが、車椅子を使って通学バスで平日は隣町の都立の小中高一貫の特別支援学校に通ったり、週に3回は放課後等デイサービスに行って楽しく過ごしているようです。ちなみにクラスメートは男の子3人だけでそれぞれ全く違う障害持ちなので先生方が間に入って楽しくやりとりをしてるそうで、今のところは転校とかがなければその3人が高校3年生までずっとクラスが一緒で過ごしていくということにもなります。
それと息子は多少、自閉症の症状もあって人見知り・場所見知りもそれなりに激しいんですが(といっても泣いたりするわけではなく、じーっと様子をうかがってノーリアクションになるというパターンです(苦笑))慣れるとそこからがもう早くて、そのクラスメートの2人とは曜日によっては放課後等デイサービスも一緒なもので顔なじみで喋れない割にはコミュニケーションもしっかり取れて和気あいあいになってるようで、お医者さんも「全く成長しないということはなく、他の人よりもゆーっくりと成長していくので、そのゆーっくりとした成長を喜んであげてください」とおっしゃってますし、その言葉に甘えて、我々も長い目でゆーっくり育てていこうと考えている今日この頃です。
息子の車椅子の空気入れと拭き掃除をしてあげました。
で、数日前に北海道旅行から帰ってきてちょっと車椅子のタイヤの空気が弱くなったかなあと思いまして、「あ、新学期の前に車椅子の空気入れと、拭き掃除をやろう」と、
Amazonで、自転車用の空気入れではありますが車椅子にも使えるので購入しました。これで両輪の空気を補充したり、
地元の西友の中にあるキャンドゥという100均で購入してきたぞうきんを使って1枚は濡れ拭き、もう1枚は仕上げの乾拭きをしてあげまして、
椅子の部分や、ベルトの部分は仕上げにファブリーズをたっぷり吹きかけてあげました。
で、こんな感じに。いつもだと愛車(日産セレナの福祉車両の中古車を乗ってます)の一番後ろのリフターのとこに固定して置きっぱなしなんですが、
↑いつもはこんな感じでリモコンでリフターを動かして車椅子の出し入れをしています。
玄関のほうが空気の通りはよいし、9月1日の朝登校の通学バスにはこのまま玄関の外におろしてそのまま息子を乗せて押していけばいいや…ということで2日ほどこのまま、乾燥させて始業式の日を迎えたのでした。ま、その始業式の帰りのお昼過ぎからほとんどずーっと雨続きで、またしばらくしたら拭き掃除やファブリーズとかをやってあげないといけないんですけどね(^_^;)
なおこれは余談なんですが、ここで早産した妻は息子同様、半年に1度の割合でここの母性内科の診察や検査等々をしに通ってたのですが、8年も経過してとりあえずの異常は見つからなかったという事で次回からはうちの近所の総合病院に紹介状を書いてくださって、こっちの病院に通院することになりました。
で、息子は(言葉は悪いですが)生まれた病院の研究所にとっては実にレアな発達障害のサンプル例でもありますので、こちらは今後も毎年3月と9月(今月末になります)の年に2回、神経科の先生の診察を受けて発達状況とかの報告をするというのは今後も続くことになります。なのでいつも車の運転で付き添っていた私はここの病院に来るのが、最大で年4回から2回に減るため、とにかく息子が生まれたばかりのNICUにいた頃は最大で週6、退院後はリハビリ等で月1-2回通ってましたので、「あー、いよいよ本当にここに来る機会が減るんだなあ」と、そんなことをしみじみ思った次第でした。
しかし8年、長かったのか短かったのか。とりあえずまた明日から親として頑張りますです。以上です。
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