いつも両国国技館の向正面に陣取ってた、五輪おじさんが逝くとは…(;゚Д゚)

五輪おじさん自ら低価格ホテルも開業、貫いた五輪愛(日刊スポーツ)

内田裕也氏に続いて(実際の亡くなった日は少し前らしいんですけど)、五輪おじさんの訃報にも接するとは…。やはり元号が替わる前後5年は、あまりにも訃報が多くなるなあ(泣)

金色のシルクハットに日の丸の扇子-。「五輪おじさん」の愛称で親しまれた実業家の山田直稔さんが、9日午後2時55分、心不全のため東京都内の病院で死去した。92歳だった。1964年(昭39)の東京大会から2016年リオデジャネイロ大会まで夏季オリンピック(五輪)連続14大会に現地入り。派手なコスチュームで日本選手に声援を送る姿は、世界からも注目を集めた。葬儀は家族葬で行われ、誕生日の4月16日に都内のホテルで「お別れの会」を開く。

   ◇   ◇   ◇

「ニッポン応援団の顔」が急逝した。「これが最後の五輪。応援人生の集大成にしたい」。あと約500日に迫った20年東京五輪に、最期までに思いを高ぶらせていた。10年前に心筋梗塞で手術を受けていたが、その後に回復。今年1月の大相撲初場所でも、升席で元気な姿を見せていた。

2月10日から体調を崩し、同月下旬に都内の病院に救急搬送された。それでも容体は、亡くなる前日まで安定していたという。家族によると「9日も朝食を全部食べ、元気になっていた」という。「早く家に帰ろう」と話したほどだったが、同日午後に容体が急変、帰らぬ人となった。

五輪愛を貫いた。夏季は64年東京大会を皮切りに14大会連続で現地入りし、声援を送った。日本が不参加の80年モスクワ大会、治安が懸念されたリオ大会も現地入りした。98年の冬季長野大会でもおなじみのいでたちで登場し、各大会で海外メディアにも紹介される人気者だった。

応援で世界中を旅した経験から「東京には安く滞在できるホテルが少ない」と自ら低価格ホテルを開業した。4月にお別れの会を開く、東京木場ホテル(江東区)もその1つだ。大相撲の大ファンでもあり、升席での派手な衣装とパフォーマンスはテレビ中継でもおなじみだった。

郷土愛も強かった。出身の富山県南砺市の観光施設に、自身が応援に使った国旗や記念メダル、写真など約200点を展示。開設・維持費用は自ら負担し、無料入場としている。同市の前身、井波町生まれであることから、次男将貴さんの長女には「伊奈美(いなみ)」と命名したほどだ。

「5人の孫と一緒に応援するのが楽しみ」と話していた地元五輪の夢は、かなわなかった。【大上悟】

◆山田直稔(やまだ・なおとし)1926年(大15)4月16日、富山県井波町(現南砺市)出身。日大工学部卒後、60年にワイヤロープ加工販売などを手がける会社を設立。亡くなるまで代表取締役会長を務めていた。

実はうちの父方の祖母がこの五輪おじさんと同じ大正15年生まれで(1月生まれなのでもう93歳にはなってるんですが)、長らく、認知症と近年の体力低下で入院してるんですが、先日、親父から「長くてもあと2ヶ月ぐらいって医者に言われたんで、そのつもりで覚えといてくれ」という連絡を受けました…しかも先日のクイズサークルの例会中に(大汗)。

なので、「あー、オリンピックおじさんって、うちのばあさんと同い年だったのか」と、軽くびっくりすると共に、帰宅後、家族と「うちのばあさん、平成の次の元号の時まで生きてれば、大正・昭和・平成・次の元号…と4つに跨がるのかー。間に合うといいなあ」と話してたのを思い出しますね。

たぶんこのオリンピックおじさんも、もしかしたら老衰とか誤嚥性肺炎などで体力が低下ぎみでご家族にはお医者さんから「もって3ヶ月or半年」みたいな話があった…ような気はするんですね。でも2月の時点で「もって3ヶ月」だったら、ギリギリ、平成が終わって次の元号がわかるぐらいまでは生き続けるんじゃないか、って思ってた矢先に、というような気がします。

ゆえになんとなく他人事じゃないですねー。特に、うちの両親は介護施設や病院に月イチで会いに行ってるんですが団塊の世代とは言えもう70歳を過ぎてますし、「老老介護」の問題がいろいろと取り沙汰されるようになって久しい昨今、このオリンピックおじさんとこも、息子さんか娘さんかは存じ上げませんが、もしかしたら「老老介護」になってたかもしれないわけで、数年前に「ばあさんより先にこっちの方が先に逝ってもおかしくないかもな」なんてうちの親父が冗談めいて言ってたことがあったんで、たぶんオリンピックおじさんとこの御遺族としては、亡くなって悲しいのが半分、また(いい意味で)ようやっと逝ってくれた…が実は半分ってとこかもしれませんね。

…でも、このオリンピックおじさん、どうもえらいお金持ちらしいから、遺産相続とか相続税の処置とかにも困りそうな(苦笑)。

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東京場所の大相撲中継の楽しみがなくなっちゃった…。

個人的には、もともと、父方も母方も大相撲が好きで「おじいちゃんちに行くと、必ず大相撲中継とプロ野球中継は見ている」環境だったので、子供の頃から相撲好きになってしまったんですが、こと近年は、両国国技館で行われる1月・5月・9月の大相撲の本場所の中継で、向正面の砂かぶりの席から枡席のあたりの「とてもいい席」のあたりに高確率で座っているこのオリンピックおじさんを探すのが楽しみだったんですけどね(笑)。

なので私としては「オリンピックおじさん」という名前でありながら、おなじみなのは五輪の応援風景ではなく、毎年1-5-9月の大相撲東京場所の向正面のいい席で座って目立ちまくってるあのおっさん、というイメージなんですね。なので以下も「大相撲」の話が多いです。すみません。

いや、数年前に気づいたんですが、昼間にNHKのBS1で放送されている三段目・幕下の取り組みの中継を見ていると、さすがに毎日…ではないんですが、結構な確率で、まだ比較的がらーんとしている幕下や三段目の時間帯からあの向正面の枡席で見てたんですわ、あのおじさん。「ああ、本当にこのおっさんは大相撲が好きなんだなあ」と思わず微笑んでしまうんですが、それはそれとしても、まあ単純に考えて、本場所の15日間のほとんどをあの向正面の物凄くいい席で見れたってことは、どこかの相撲部屋のタニマチで(または枡席を保有している相撲茶屋の大常連さんかで)、その相撲部屋or相撲茶屋からあれだけの枡席のチケットを斡旋してもらってほぼ15日間の毎日を見ていた…というのも「事実」だったわけで、「あのおっさん、会社経営とかやってるって話は知ってるけど、結局、何者だったんだ…」と。

つまりは私としては長らく、「謎のおじさん」だったわけですね。その後、何かの雑誌のインタビューに答えていて疑問が氷解するわけですが。しかもよくよく考えてみれば、もの凄いのは、毎度毎度「向正面」って場所なわけで、あそこはしっかりと「テレビには映る」ポジションで、それはそれでおいしいんですが、その半面、相撲観戦的には、

横綱土俵入りはいつも「後ろ姿」しか見えん。

…というある意味で「困った席」でもあるわけで(爆)。あえて向正面を指定して座ってたとしたら、あの目立ちたがり屋の根性はもう国民栄誉賞モノでしょうなー(苦笑)。

私自身はこのおじさんが大相撲をいつ頃から生観戦し始めたのかは全く存じ上げませんが、もしかしたら相当古くからの「好角家」だとしたら、さすがに戦前期の(おじさんがまだ10代の頃だった)双葉山・照国・安芸ノ海の時代はない…と思いますが、栃若(栃錦・初代若乃花)、柏鵬(柏戸・大鵬)、北の富士、玉の海、輪島あたりの昭和30-40年代も見ていた可能性はありますし、北の湖、千代の富士、北勝海、大乃国、旭富士、曙、若貴兄弟、武蔵丸…などがいたのある意味での昭和50年代から平成初期の頃の大相撲フィーバーの時代はたぶん見ていたでしょうし、それに近年の朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜…とモンゴル全盛期の後にどうにか出てきた「久々の日本出身の横綱」だった稀勢の里の横綱昇進と現役引退を「確実に見届けて」から最後、大阪場所の前日に逝ってしまうだなんて、好角家としてはなんと凄いタイミングだったのか、と(汗)。

※個人的には北の富士勝昭サンのような「久々の日本出身の横綱」的な言い方は好きではないんですけどね。まあここは便宜的に使わせてもらいますです。

なんとなく五輪に関しては「あと1年でまた東京に夏季五輪が来たのにね…56年ぶりに。あまりにも惜しいっ」って非常に残念に思うんですが、こと大相撲に関して言えば「そうか、東京場所の初場所は間に合ったんだな。それはそれで稀勢の里の引退は見れてよかったね…」って思ってしまうのは、同じ好角家(その度合は生観戦とテレビ桟敷の大きな差はありますが(笑))としては、なんだかこのおっさんらしいわ…と。

あの世の「大相撲」「五輪」もメンツがおもしろそうだ…(苦笑)

で、おじさんがこれから行くあっちの世界では、最近あっちに行った北の湖さんや千代の富士さん、輪島さんとかもいるでしょうし、もしかしたら双葉山さんが未だにドンと構えて栃若コンビを従えて(?)「あの世での日本相撲協会」を仕切ってるかもしれませんし(苦笑)。無論、あの世に行った往年の五輪の名選手も何人もいますし、なんかそれはそれで、あっちはあっちで楽しく応援し続けてるような気もするんですけどね…。

おそらくたぶん「本業たる」会社経営も、若い頃は自分で設立していろいろと辛いことも多かった分、それで「趣味」として五輪や大相撲観戦に夢中になって頑張ってこれたという人生だったんでしょうし。もうおじさんを見つけることはできなくなるのは寂しい限りですが、東京場所の大相撲中継の際には、向正面の枡席付近で相変わらず目立ちまくってる五輪おじさんを探す習慣は今後共続けていきたいですね(笑)。

いずれにしても92年という長くそして濃ゆい人生、本当にお疲れ様でした。ご冥福をお祈りいたします。

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