・訃報:丸田祐三さん死去95歳=元日本将棋連盟会長、九段 – 毎日新聞
朝、訃報を知って、「えっ」とびっくりした。ちょうど、数日前に加藤一二三九段の「新手(といっても晩飯に弁当2個食べたという話なのだが)」の際に、加藤一二三九段があと2年で更新する「現役最年長記録」の保持者がこの丸田九段だったからで。
奇しくも私が知ったのはその加藤一二三九段のツイートだった。
77歳の現役最年長記録、そして73歳にてNHK杯戦予選突破、本戦第1回戦勝利という未だ破られていない最年長記録を思うとき、自分などまだまだと痛感致します。長きに渡り棋界に尽力され、誠実に生き抜かれた丸田祐三さんの御冥福を、謹んで、心よりお祈り申し上げます。
— 加藤一二三 (@hifumikato) 2015, 2月 17
ま、鉄道ファンの人たちにはカメラマンの丸田祥三さんのお父上、と書いた方がわかりやすい、という説もあるんすけどね。
将棋界の第一線で長年活躍し、日本将棋連盟の発展に尽くした将棋九段の丸田祐三(まるた・ゆうぞう)さんが17日夜、多臓器不全による肺炎のため死去した。95歳。葬儀日程は未定。喪主は長男祥三(しょうぞう)さん。
長野市出身。1936年に平野信助七段門下で奨励会に入り、38年に初段。徴兵のため修業を中断したが、戦後の46年に四段に昇段し、棋士となった。
制度ができたばかりの順位戦で昇級を続け、48年には八段と、2年で当時の最高段に達したスピード記録を持つ。51年には第1回王将戦七番勝負に登場、木村義雄十四世名人に敗れた。歩を巧みに使うことから「小太刀の名手」と呼ばれ、「ひねり飛車」戦法の新手を編み出したことで知られる。
61年の名人戦挑戦などタイトル戦登場は4回。A級在籍は24期、棋戦優勝は10回。96年引退。77歳まで現役継続し、現在も最年長記録となっている。
戦後間もなく日本将棋連盟理事を務め、順位戦の制度整備や、棋戦の契約などに尽力し、69?73年まで会長を務めた。大山康晴十五世名人と共に連盟運営の中核を長く担った。
毎日新聞紙上では王将戦、A級順位戦の解説を務め、詰め将棋を出題していた。
81年藍綬褒章、95年勲四等旭日小綬章。
つい先日亡くなられた将棋棋士であり将棋ライターでもあった河口俊彦八段の名作「大山康晴の晩節」には、大山名人の盟友として丸田九段の話もかなり出てくるのですが。河口八段の説では「(大山名人の兄弟子の)升田幸三名人が、日本将棋連盟の会長になれなかったのは、丸田九段の抑えがあったから」という話もあったりする。
で、この升田名人と丸田九段もいろいろと因縁があり、特に有名なのが升田九段が王将戦で当時の木村義雄名人との対局を拒否した「陣屋事件」というものがあった。
舞台となった陣屋のホームページに、この事件のくだりが紹介されている。
陣屋事件とは、昭和将棋史に残る事件で一躍将棋対局の場「陣屋」を有名にした事件でもあります。
「時は、昭和27年 木村義雄名人との対決となった第一期王将戦七番勝負第六局。対局前日の2月17日 升田八段はひとりで新宿から小田急線に乗り、鶴巻温泉駅から歩いて対局場の陣屋に向かった。 後の升田の主張によると、玄関のベルを押したが、だれも出てこない。番頭が通りかかったが、取り合わない。 大事な将棋を指すはずの旅館なのに、宴会の騒ぎが聞こえる。30分ほど待ったがだれも出てこない。 我慢が限界に達し、近くの別の旅館にあがった。「今晩はここに泊まり、あすの朝、対局場にいこう」。 いったんはそう決めたが、説得に来た理事らとのやりとりの中で怒りがぶり返し、「旅館を変えてくれんのなら、絶対に指さん」と爆発、そのまま対局を拒否し、東京に帰った。日本将棋連盟の理事会は22日、升田を1年間の出場停止処分にし、理事全員が引責辞職した。
しかし、連盟が戦前に分裂騒ぎを起こした時の脱退組の流れをくむ棋士たちや関西の棋士たちが、世論の後押しも得て猛反発した。 問題を一任された木村名人が「升田、理事会双方が遺憾の意を表明し、升田は即日復帰、理事の辞表も受理しない」という裁定を下し、解決した。
升田は第六局を不戦敗となったが、平手番の第七局に勝ち、第一期王将となった。木村はこの後名人戦で大山康晴に破れ、引退した。
この時の「説得に来た理事」こそが丸田九段(当時は八段)で、升田と丸田が大喧嘩して結局物別れになり、あまりに升田の傲慢な態度に頭にきて強行にペナルティを課そうともしたらしい。で、当時は升田は関西在住で(この3年後ぐらいに東京に移住してそこから名人など全タイトルを奪還するようになっていくのだが)、東京対大阪の対立が今よりも全然厳しかった頃で、それが文章後半の喧々諤々の猛反発に発展し、最終的には木村名人の裁定につながったという次第に。
で、これに気づいたのはツイッターでのフォローさせてもらっている方のコメントで、
@muroktu そして今まさに陣屋事件の舞台となった王将戦の真っ最中とは、なんともできすぎた話ではあります。
— ィ為@にせもの (@itamemono) 2015, 2月 17
と。確かに今、渡辺明王将と郷田九段の王将戦ってやってるなあ。と。で、日付を調べたら、ちょうど今日2月18日の出来事だったんだなあ、と驚いた。ついでに書けば、丸田理事が説得に訪れて結局ケンカ別れになったのはこの「前夜」、つまりは2月17日の出来事だったと推測ができ、その63年後の2月17日に当の丸田九段が95歳の大往生で亡くなった、といえるわけで。
…いやあ、なんだこの因縁。背筋が寒くなりましたわ(号泣)
なお余談としては、升田八段と旅館の陣屋は後日仲直りの一局が組まれて(読売主催の九段戦という説もあるようで)、塚田元名人との一局がこの陣屋で行われたそうで、その時に記録係をつとめていたのが当時奨励会に入ったばかりだった河口俊彦6級。対局はあっさり終わって対局者や関係者でおいしいお昼ご飯を食べて、将棋連盟に戻って丸田理事に報告したら「あー、無事に終わってよかった」と、ソファの上で飛び跳ねんばかりに喜んだ…とかで。ある意味で、河口八段、丸田九段と、「陣屋事件」のような将棋界にとっては伝説の大事件の歴史的証人の人が立て続けに亡くなってしまったのと、こういう日付的な「因縁」を思うと、凄い世界だよなあ、としみじみ思ってならないす。
いずれにしましても長い人生、お疲れ様でした。ご冥福をお祈りいたしますです。