しかし将棋の藤井聡太五段、棋戦初優勝でもう六段に昇段かよ…(;゚Д゚)

さきほどの記事では「藤井五段が羽生二冠を撃破した」という事を書いたんですが、あれは実は準決勝だったんですね…。

将棋 藤井聡太五段 棋戦初優勝 六段昇段(NHKニュース)

いやあ凄い。

つい先日に「史上初の中学生で五段に昇段」とかで話題になってたのに(^_^;)

中学生の将棋棋士、藤井聡太五段が17日、羽生善治二冠らトップ棋士2人を連破して、トーナメント戦で初優勝しました。藤井さんは同時に中学生として初の六段になり、60年以上更新されていなかった棋戦の優勝と六段昇段の最年少記録を塗り替えました。

去年、デビュー戦から29連勝して将棋の最多連勝記録を30年ぶりに更新した藤井聡太五段(15)は、今月1日、棋士のランクを決める順位戦で昇級を決め、中学生で初めての五段になりました。

藤井さんは17日、東京都内で朝日杯将棋オープン戦の本戦トーナメントに臨み、準決勝で、公式戦で初めて羽生善治二冠(47)に挑みました。この対局を制した藤井さんは、決勝で、順位戦で最も上のA級に在籍する広瀬章人八段(31)と優勝をかけて対局しました。

午後2時半に始まった対局は、それぞれの持ち時間が40分と短い中、藤井さんが序盤から攻めをつないで押し切り、午後4時半ごろ、広瀬さんが117手までで投了しました。

藤井さんは、多くの棋士が参加して優勝を争う棋戦で初優勝するとともに、「全棋士参加の棋戦で優勝」という条件を満たして五段になってからわずか半月余りで六段になりました。

「朝日杯将棋オープン戦」というのは、名人戦・竜王戦などの通常のタイトル戦と違い、持ち時間が短い棋戦でして、通常のタイトル戦は持ち時間が6-8時間程度あるんですが、この朝日杯はお互い40分しかなく、使い切ると1分1手で指さないとならないので後半になればなるほど「考える時間が減る」んで、相手にいい手を指されると余計に追い込まれる、という事になるそうなんですね(その代わり、丸一日かかることはなく、大概は数時間で終わることになるので1日2局とか3局指しができるわけです)。

それにしても羽生二冠を撃破するだけでも世紀の大勝利であり本人もかなりの披露の蓄積はあるだろうに、更に決勝でA級棋士の広瀬八段も撃破するとは…。

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まさに「神武以来の天才、再び。」なんだろうな…。

記事の続きに戻りますと、

最年少記録を更新

日本将棋連盟によりますと、棋戦で優勝したこれまでの最年少記録は、昭和30年に加藤一二三さんが当時あった「六・五・四段戦」で優勝した15歳10か月です。

次いで、谷川浩司さんが昭和54年に当時の「若獅子戦」で優勝した16歳10か月。羽生善治さんが昭和62年に同じく「若獅子戦」を制した16歳11か月などとなっています。

藤井さんは現在15歳6か月で、加藤さんが優勝したときより4か月若く、63年ぶりに最年少記録を更新しました。

一方、六段への昇段も、これまで加藤さんが最も早く、昭和31年に打ち立てた16歳3か月が最年少記録となっていました。

藤井さんは、この時の加藤さんよりも9か月早く六段になり、62年ぶりに記録を更新しました。谷川さんは17歳11か月、羽生さんは19歳0か月で六段に昇段しています。

つーか、「最年少記録」を持ってた加藤九段の「15歳10ヶ月で棋戦初優勝」ってのも凄いわ(大汗)。

調べたらこの「六・五・四段戦」は共同通信社主催の棋戦で、この名前では2回しか続かなかったらしいんですが、その後に「古豪新鋭戦」や「名棋戦」といった(コロコロと名前が変わってたそうです)、ランキングが下位の棋士向けの大会だったそうなんですね。なので同時に上位棋士には「九、八、七段戦」、「日本一杯争奪戦」、「最強者決定戦」…という名前はコロコロ変わっていったんですがそういう名前の棋戦も行われていて、それが現在の「棋王戦」に繋がるルーツとなっていたようです。

ついでに書くと、加藤九段はこの三年後の18-19歳の時に「日本一杯争奪戦」にも優勝されています。やはり凄い…。

で、その加藤先生は、というと。

え、最前列で観戦してたんすか?(;゚Д゚)

…あ、本当だ(汗)。

そういえば加藤九段は戦後間もなくの頃に「天才」と呼ばれていた升田幸三名人に物凄くかわいがられていて、升田名人が嘱託で入社していた朝日新聞にやはり同じように嘱託で入社して在籍してたことがあったんですね。

戦前から昭和40年台の頃までは、朝日・毎日・読売・産経などの新聞社が主催する将棋のタイトル戦や棋戦が「紙面」でえらく盛り上がってた時代で、升田名人が朝日新聞で、その他の歴代の名人経験者は、木村義雄名人は報知新聞、大山康晴名人は毎日新聞、塚田正夫名人は読売新聞…と、有名棋士を嘱託で入ってもらって(というか言葉は悪いですが「囲い込んで」)、専門解説や観戦記などを執筆してもらってたんですね(そしてその収入も将棋棋士にとってはかなり莫大な金額でかなり大事なものだったそうです)。

ま、自分が嘱託で入っていた朝日新聞に引き込むぐらいですから、そのぐらい升田幸三名人からめちゃくちゃかわいがられていて、結婚式で仲人を引き受けたり公私ともどもに交流があった上に、「わしの後継者は加藤くんだ」と広言すらしてたそうで、たぶん加藤九段からするとそのような感じで「藤井くんは私の後継者みたいなもんですから」って微笑ましく彼の将棋を見てるんでしょうね、きっと。

結局のところ、升田名人も生涯でほとんどお弟子さんを取らなかった人でしたし(その数少ないお弟子さんのひとりで、近年、株主優待券で有名になった桐谷広人七段がいらっしゃいます(笑))、加藤九段も最終的にはお弟子さんを取らなかった人だったんで…いやあそう思うと、若き頃の加藤九段と今の藤井六段の対局は見たかったかもしれないですねー。そして大山・升田の両名人がその激戦を見て「まだまだ若手には負けん」と発奮したりして、とか(笑)

↑いやいやいやご謙遜を(汗)

で、その加藤九段。中学生でデビューして順位戦を毎年連続昇級して18歳の、高校在学中の段階で「優勝すれば名人戦の挑戦者になれる」A級順位戦まで駆け上っていくんですね。その時についた名前が「神武以来(じんむこのかた)の天才」。当時は(新聞誌上での将棋記事が今よりも注目されていた時代だったので)物凄く話題になったんだそうですね。まさにその再来、というかそれ以上のものを感じますねー。

全ての最年少記録を更新しても不思議ではないな、こりゃ。

現在だと、名人戦は従来通り「A級順位戦まで昇格して優勝しないと出れない」のは変わりはないのですが、実は加藤九段が若い頃にはまだ無かった「竜王戦」(当時は「九段戦」(のちに「十段戦」)という名前のタイトルでした)は、一番下の組で優勝してトーナメントで勝ち上がっていくと、理論的には竜王戦の挑戦者決定戦にも進出できて、更にそこでも勝つと竜王戦の挑戦者にもなれます。

いやあ、これは史上最年少八段・九段もありうるぞ?

無論、持ち時間が長い将棋にも耐えられれば、の話ではありますがね。で、さきほどTwitterでフォローさせてもらってる方がつぶやいたんですが、

のあとに、

…になるんだそうです(苦笑)。更に理論的には5組で優勝してそのまま本戦トーナメントに勝ち上がって、竜王戦の挑戦者になって更に竜王(←ちなみに現在の竜王は今日対局した羽生善治二冠)を倒すとそこで八段に、更に翌年その竜王位を防衛すると九段に…という事になるようで。

いやあこれらも冗談抜きで「やりかねない」から恐ろしい。

もしかしたら我々は「同じ時代に生きていること自体が物凄く幸せ」と思えるとんでもない怪物のような天才を見てるんじゃないのだろうか、と思うぐらいに。以前、ボクシングの井上尚弥チャンピオンの記事でもまったく同じことを書きましたが、フィギュアスケートの羽生結弦といい、体操の内村航平、囲碁の井山裕太(無論、将棋の羽生善治永世七冠もそうですが)などなどを見てると…なんつーか、「自分が死んだ後、リアルタイムで見たことがない人たちにも伝説になる人達」を今こうして見てるんだろうな、って気持ちになりますなー(笑)。

余談

↑それはほんとにお気の毒に…(苦笑)

 

 

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