自宅の収納庫から、38年前の「プロ野球選手名鑑」が出てきてびっくりした(笑)

嫁さんが自宅の収納庫を整理してたら、どうも読売新聞で貰った、昭和53年(1978年)の「プロ野球選手名鑑」がでてきてびっくりしました(苦笑)。

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当時の長嶋監督、今の私と同い年(大汗)

今から38年前、私が4歳になった年で、成田空港が開港して成田の公務員団地に引っ越したのと、うちの弟が生まれた年でもありましたわ。

長嶋さんの第一次政権の頃で、この時の長嶋さんの年齢と私の年齢が同い年なんすけど(大汗)。

また当時の選手名鑑は、選手や監督コーチの個人情報は正直どーでも良かったらしく、「ファンレターは自宅へ」みたいな考え方だったらしく、フツーに住所が載ってました。で、「うちに来るのは困る」という人は「球団着付」という選択肢を選んでたみたいです。今じゃ全く信じられない話ですけど…。

さすがに一戸建てだとそこに住んでる可能性も高いので伏せましたが…。

阪神にはラインバックの名が。懐かしい(苦笑)

で、当時はロッテ「オリオンズ」でした。

で、当時はロッテはロッテ「オリオンズ」でした。たぶんこの年あたりからジプシーロッテが川崎球場固定になった頃だったような…。

で、監督はカネやんこと金田正一氏でした。この方も平成の頃にもう一度監督に就任するので、これが第一次政権、ということになります。

それとロッテの選手をずーっと眺めてたら、

野村克也氏が南海からロッテに移籍してきた年だったようです。南海のプレイングマネージャーから、ロッテの選手になったので「生涯一捕手」をモットーにされてるようです(ちなみにこの後、西武に移籍して通算3000試合出場を達成してそこで現役を終えることになるのですが)。

あ、元AKB48の倉持明日香嬢のパパだ(笑)

で、この選手名鑑、さすがスポーツ報知が作っただけにセリーグ→パリーグの順番で構成されてました。一番最後のチームの名前を見て「おおっ」と。

「クラウンライターライオンズ」ですわ(;゚д゚)。西武の前身球団になりますね。確かこの翌年ぐらいに西武に身売りされて埼玉・所沢に移転したと思うのですが。

…で、このクラウンライターの選手名鑑を見てたら、「あれ、こんな人がここ」と。

「あれ、炎のストッパー・倉持明サンぢゃん」(^^;)

後にロッテで「炎のストッパー」として最優秀救援投手賞を受賞する…というよりも、チバテレビのマリーンズナイターの解説、そして元AKB48の倉持明日香嬢のお父さん(笑)の倉持明投手がここに。

実は経歴的には、ノンプロからロッテに入り、いったんは1977年にトレードでクラウンライターに移籍して、更に1979年に再びトレードでロッテに戻り、1983年に三度トレードで今度はヤクルトに移籍して、そこで現役引退をされてるんだそうです。

この頃はFAとかがなかったんで、かなり頻繁にトレードは人事異動のようになされてたようで、倉持氏の場合、ロッテ→クラウンライター→ロッテへのトレードは2度とも2対2の交換トレードだったそうです。そして二度目のロッテの時に、抑えに転向して「9回裏2満塁、0ストライク3ボール」という絶体絶命のピンチ、というよりも1球とてミスが許されない状況で5度も抑えることに成功したので、「炎のストッパー」という異名がついたんだそうですが…。

あれ、ONと一緒に表紙に写ってるのって…。

それと、先ほどの表紙をしげしげと眺めてまして、

「あ、このミスターと王選手と一緒に写ってんの、張本サンぢゃん」と(笑)。あのサンデーモーニングでモーロクしたことばっか言ってるジジイ、もといおっさんにも若い頃はあったんだな…(苦笑)。