「ゴルゴ13」でおなじみの、さいとう・たかを先生が亡くなるとは…。

『ゴルゴ13』さいとう・たかをさん、すい臓がんのため死去 84歳 本人の遺志を継ぎ連載は継続へ(オリコン)

まあ84歳という高齢ってことはあるとはいえ、この訃報には声を出してびっくりしてしまった。いやー、ゴルゴ13の連載終了よりも先に亡くなるとは…。

『ゴルゴ13』などの作品で知られる漫画家さいとう・たかをさんが、すい臓がんのため24日に亡くなった。84歳。なお、さいとうさんの生前の遺志により、『ゴルゴ13』は今後も、さいとう・プロダクションや脚本スタッフなどが協力し連載を継続することも発表された。

 『ゴルゴ13』を連載中のビッグコミック編集部は「本誌にて『ゴルゴ13』を連載いただいております劇画家のさいとう・たかを氏が、2021年9月24日 膵臓がんのため逝去されました」と発表。

 「氏には創刊の年から53年続く看板連載作品『ゴルゴ13』のご執筆のほか言葉に尽くせにお力添えを賜りました。生前のご功績に心から賛嘆と感謝を申し上げ、謹んで氏のご冥福をお祈りいたします」と悼んだ。

 さらに「だが、物語は続く」とし、さいとうさんの遺志をついで『ゴルゴ13』の連載を継続することも発表。「さいとう氏は生前から「自分抜きでも『ゴルゴ13』は続いていってほしい」という、いわば分業体制の究極とも言えるご希望を持たれ、さいとう・プロダクションを、そのような制作集団として再構築されました」と説明した。

 その上で「今後は、さいとう・たかを氏のご遺志を継いださいとう・プロダクションが作画を手がけ、加えて脚本スタッフと我々ビッグコミック編集部とで力を合わせ『ゴルゴ13』の連載を継続していく所存です。どうか今後とも、ご愛読ご声援をよろしくお願いいたします」と呼びかけている。

 さいとうさんは1936年11月3日生まれ。和歌山県出身。1955年、『空気男爵』で漫画家デビュー。1968年「ビッグコミック」創刊号にて『探し屋はげ鷹登場!!』を連載。同年、同誌にて『ゴルゴ13』の連載を開始し、同作で第21回小学館漫画賞、日本漫画家協会賞「大賞」、第50回小学館漫画賞審査委員特別賞を受賞。2003年に紫綬褒章、2010年に旭日小綬章を受賞。2018年には『ゴルゴ13』連載50年、2020年には画業65年を迎えた。

ついこないだは、ゴルゴ13の初のスピンオフ作品で、銃職人のデイブ・マッカートニーの話がビッグコミックの別冊で掲載されて「新しいネタをここで出してくるとは、さいとう先生、恐るべし」と唸らされたんすけどねえ…。

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どのぐらい人生に、影響を受けた作品かわからないぐらいに。

もっともさいとうプロの場合はプロダクション設立時から分業体制がしっかりしていて、特にゴルゴ13に関してはその脚本もしっかりと作れるブレーンが揃っていて、ゴルゴ13がずっと人気を維持続けられれば、仮にさいとう先生ご本人が亡くなられても全然続けられるようには最初からやってたんですけどね。でも、連載開始時に既に構想済みだったと言われていた最終回のプランは果たしてどういう感じだったのかは知りたかったなあ。

個人的には5年前の秋に、大阪で行われた、

連載50周年記念の「ゴルゴ13」展を大阪まで見に行ったことがありまして、

ちょいと大阪まで「命の洗濯」をしに行ってきました(その2「ゴルゴ13特別展」編)

2017年10月27日

思えば小学生の夏休みにたまたま親父が古本屋で買ってきて読んだままほったらかしにしていたゴルゴ13の第53巻を手にして読んだのがファースト・コンタクト(?)でもありました。

で、モサド(イスラエルの諜報機関)やら、第4帝国やら、ネオナチやら、フリーメイソンやら、レーガン大統領暗殺未遂事件やら、ヨハネ・パウロ二世狙撃事件やら…と、後年、小説の類を全く読まずにノンフィクション本ばかり読むようになり、クイズという趣味を始めてからは「怪しい事件史だけには強い」と揶揄されるようになった「原点」がまさにここにあったわけで。たぶん「ゴルゴ13」と出会ってなかったら、今の自分はいなかったんだろうなあとしみじみと思いますです。

それと個人的には好きなゴルゴ13の言葉としては、

ふと、ゴルゴ13が言った「10%の才能、20%の努力、30%の臆病さ、40%の運」の意味を思う。

2015年9月30日

この「運が40%である」という部分ですね。幸いにもうちのブログでは6年前に更新した記事なんですが、未だによく読まれる記事のトップ10にしょっちゅう入っておりまして、おそらく最もロングヒットな(?)記事のひとつになっております。この運の部分が低すぎず、それでいて高すぎないという絶妙なバランスを鑑みて、これまでのゴルゴ13、特にリイドコミックス版の202巻まで改めて読み返してみると、さらに味わいが増すのではないか、としみじみ思います。

しかしご高齢に膵臓がんという事ではたぶん最晩年までご無理をなさってたんでしょうが、いつも中央快速線の中央特快や青梅特快に乗る際に、高井戸駅前に見えるさいとう・プロダクション(リイドコミックス)の本社ビルを眺めては「おおー」と反応としちゃっておりました。…というのは大概、コロナ禍前の中央特快・青梅特快ではいつも混雑していて大概は座れずに進行方向左側が、牛浜から新宿までの間では、中神・東中神・国分寺・新宿しかドアが開かないんで、ほとんどは高円寺では「さいとうプロ」のビルの方のドア前に立って外を眺めていたんですね。まあそれを思うと、今後、高円寺駅前を中央線快速で通過する度に「あー、もうさいとう先生はいらっしゃらないのか」と改めて寂しい思いになるんだなあ…と、そんなことも思ったり。

最後に心からご冥福をお祈りいたします。長い人生、長い漫画家生活、本当にお疲れさまでした。