・千葉県で震度4 津波の心配なし その後も相次ぐ(NHKニュース)
ここ数日、千葉県の東方沖を震源とする中くらいの地震がぼちぼち発生してまして…昔、中学生の頃にここを震源とする授業中物凄く大きな地震があったのを今でも思い出すんですけどね…。
2月下旬以降、千葉県東方沖やその周辺を震源とする地震が相次いでいて、2日未明には千葉県で震度4の揺れを観測しました。
政府の地震調査委員会は、今後数週間から数か月は震度5弱程度の揺れを伴う地震が起きる可能性があるとして注意を呼びかけています。
千葉県で震度4の地震(01:49)
気象庁によりますと、2日午前1時49分ごろ千葉県南部を震源とする推定でマグニチュード5.0の地震がありました。
この地震による津波はありませんでした。
各地の震度は以下のとおりです。
▽震度4
千葉市若葉区、千葉県いすみ市、一宮町、睦沢町、長生村、白子町、長南町。▽震度3
千葉市花見川区、千葉市美浜区、船橋市、茂原市、成田市、東金市、習志野市、勝浦市、市原市、鎌ケ谷市、君津市、山武市、大網白里市、九十九里町、長柄町、大多喜町また、震度2から1の揺れを関東甲信越や静岡県の各地で観測しました。
千葉県東方沖やその周辺では、2月26日以降地震活動が活発になっていて、2日に入ってからも震度1以上の地震の回数は午前4時時点で5回にのぼり、震度4と震度3がそれぞれ1回、震度2が3回となっています。
政府の地震調査委員会は、今後、数週間から数か月は震度5弱程度の揺れを伴う地震が起きる可能性があるとして注意を呼びかけています。
昨晩の地震は都内多摩西部の我が家では「あれ、建物がみしっていったような」ぐらいの感覚でした(図書館から借りてた本を読んでてスマホ等は見てなかったので、朝起きたら知った次第でしたが)。しかしこのあたりの地震、かなり昔から「そのうち来るかも」とは言われてるあたりではあるんですが、震度4程度の地震が続いてるってのがなんか不気味というか…。
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学生時代、唯一「授業中に机の下にもぐった」経験がある地震でしたな…。
で、ここのあたりの地震で思い出すのが、1987年(昭和62年)12月に発生した「千葉県東方沖地震」でしたねー。Wikipediaに項目があったので引用させてもらいますと、
千葉県東方沖地震(ちばけんとうほうおきじしん)は、1987年(昭和62年)12月17日11時8分17秒に千葉県房総半島、九十九里浜付近を震源として発生した地震である。
震源は、千葉県房総半島九十九里浜付近の北緯35度22.5分、東経140度29.6分、深さ57.9km。
地震のマグニチュードは6.7(Mw 6.7)。
断層様式は、逆断層成分を含む右横ずれ。
本震の約15秒前に、M 2.7 の前震があった。
津波は観測されていない。発生要因
関東地方南部の地殻構造は、表層の北アメリカプレートに対し、相模湾(相模トラフ)からもぐりこむフィリピン海プレート、日本海溝からもぐりこむ太平洋プレートの3層からなる複雑なものであるが、この地震は2層目のフィリピン海プレートの内部で断層運動が発生したスラブ内地震であった。
被害状況
千葉県の広範囲で震度5の強震を記録し、千葉県総務部消防防災課資料によれば死者2名、重傷26名、軽傷118名、建物全壊16棟、半壊102棟、一部破損6万3692棟、火災3棟を出した。山地崩壊 102箇所。被害の中心は千葉県であったが神奈川県三浦半島でも斜面崩落による自動車の埋没などの被害を生じている。
関東地方の比較的広い範囲で大きな被害が発生した地震としては1923年の関東地震およびその余震である1924年の丹沢地震以来であり、その点でも当時、注目を集めた地震である。道路の陥没・傾斜地の崩壊・屋根瓦の崩落やブロック塀の倒壊などの住宅被害が、千葉県九十九里浜沿岸地域を中心に発生。また、九十九里浜沿岸・東京湾沿岸・利根川流域沿岸などでは液状化現象により被害が発生した。
当時は、各市町村に自動計測機器(計測震度計)が設置されていなかった為、最大震度5とされているが、震源地に近い自治体では、被害状況から、現在の震度階級で震度6弱以上の揺れを観測していたと思われる。
…とまあ、結構大きい地震でした。当時は震度5-6が強・弱では分かれてなかったので(あれができたのは確かこの8年後の阪神・淡路大震災の前後からだったような記憶があります)、最大震度は5でした。
で、この時は私は中学1年生。成田ニュータウンの公務員団地に住んでて地元の中学校に通ってました。たしか期末試験の理科の答案用紙が戻ってきた時の授業の真っ最中にかなりでかい地震が来まして、
マジな話、授業中に地震で机の下にもぐった唯一の経験
…だったような気がします。さんざん防災訓練で椅子につけている防災頭巾をかぶって…みたいなことはやってたんですけどね。結局、小中高の12年間でこれが唯一の経験だったのでやけに覚えてるのかもしれませぬ。あとはあまりにでかい地震だったので校長先生が校内放送で震度の連絡をしてきたことと、結局グラウンドには避難はしなかったような薄ぼんやりとした記憶も。まあこれを書いてて驚いたのはもう37年前ぐらいの話なんだなーという点だったりと(ノД`)シクシク
で、私自身はこの後はこれほど揺れが大きくそして長かった地震はなかなか経験したことがなく(今でいうとこの震度5強・弱ぐらいの「大きい揺れ」というのは何度かあったんですが、揺れが数分も続く「長い揺れ」というのはあまり経験はなかったです)、結局、大人になって30代なかばの頃に今の多摩西部の自宅で経験した震度5強程度の東日本大震災の本震まで一度もなかったですね。この時は自宅の茶箪笥がマジで倒れそうになるぐらいで妻が必死こいて抑えてくれてどーにかなったんですが、あれほど数分も長い揺れを経験したのは本当にこの2度しかなかったので…。
※その結果、我が家の茶箪笥などには天井からの突っ張り棒みたいなのを取り付けることになりました(^_^;)
ちなみに成田の実家はその後、公務員団地から近隣の一戸建てに引っ越したのですが、母親が東日本大震災の本震で震度6弱を経験してリビングから庭に飛び出すほど凄まじい地震を経験したのと、親父は親父で当時は公務員だったんですが65歳の定年退職直前の最後の人間ドッグで都心の虎の門病院に行った帰りによりによって帰宅難民になるという経験もしたそうで(大汗)。
しかしいずれにしても気をつけといて越したことはないと思うので…何卒ご用心を。以上です。