佐々木朗希のメッセージを見て立川談春師匠の「赤めだか」を思い出した。

ロッテ朗希 休校になった少年少女へメッセージ「時間をうまく活用して」(スポニチ)

しかし去年引退した「25年選手」の苦労人・福浦御大が言うならまだしも、まだ18歳の高卒ルーキー・佐々木朗希がこういうメッセージを発することができるとは…やはりプロになるまでにいろいろあったんだねえ。

ロッテのドラフト1位・佐々木朗(大船渡)が4日、全国の少年少女へメッセージを送った。新型コロナウイルスの影響で政府から小中高校へ休校要請が出て学校に行けない、野球をできない子供たちに18歳が訴えかけたのは、自らの頭で考えることの重要性だ。
 「やることが与えられない時に自分で考えてやることが求められる。その方が野球だったり勉強だったり、伸びると思う。時間をうまく活用してほしい」

 その言葉の裏には自らの成長過程での体験がある。小3時に東日本大震災で被災し、中学では腰を疲労骨折。練習できないつらさを味わった。高校は公立で、私立の強豪校のように施設面などの環境は恵まれていない。その中で全体練習は短く自主練習に多くを費やした。「自分を理解しないとそういう時間をうまく使えない。時間をうまく使えたから伸びた」。自分を見つめ、足りないものを補う努力をしたからこそ最速163キロを出すまで成長を遂げた。

 さらに、「自分ができなくても今の時代、いろいろなものを見られる。見て学ぶというのも必要」と説いた。テレビやネット動画などを見て、プロの技術や理論を学ぶ手段は山ほどある。この日は2軍戦でチャート係を務め、自ら「見て学ぶ」を体現した。

 1日に卒業式に出席し、3日から2軍に合流。この日はさいたま市のロッテ浦和球場のブルペンで、立った捕手を相手に33球を投じた。6日ぶりのブルペン投球に「日にちが空いてしまったので感覚を取り戻すことと強度を上げて投げたいと思った。少しずつですけど感覚を戻せた」と好感触。ファンの前での晴れ舞台に向け、成長を続ける。

そいつにしてもこれ、18歳の青年が発したメッセージとしては重すぎるなあ…。

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立川談春師匠の「築地修行」の話を思い出してしまった(笑)

これを読んで思い出したのが、落語家の立川談春師匠の「赤めだか」という自伝本でしたね。

赤めだか

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立川 談春
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立川談春師匠が高校を中退して16-7歳の頃に談志師匠に弟子入りした直後に、当時は落語協会を出て立川流を創設したばかりの頃ゆえに、弟子が何人もいても寄席修行に行くこともできずに行儀や作法を学ぶ場がなくてどうしようもないとこに、兄弟子であり談志一門の惣領弟子(=一番落語家としてのキャリアが長い弟子)でもあった桂文字助師匠の、顔見知りの築地市場近くの焼売屋や包丁屋、お寿司屋さんなどに前座のお弟子さんを預けることになって、この談春師匠も焼売屋さんで仕事をすることになった…というエピソードがあるんですね。

ところがここのお店で接するご主人・おかみさんやその他の店員さん、そしてお客さんとのやりとりで格段に行儀や作法を学ぶことができて、兄弟子が開く落語会で前座として入ったら「物凄く使える前座になったね」と褒められるようになったんだそうですね。しかも日常的に使われていた数え歌、というか商品を数える方法とかが意外に落語で使われるやり方と同じだったりと、結果的にはそれが後々大いに役に立ったんだそうで…しかも中には、修行に入ったお店のご主人からひどく気に入られて「落語家を辞めて店を継いでくれ、うちの娘と結婚して婿養子になってくれ」と、落語家を廃業してそこのお店を継ぐ人まで出てきたという後日談もありまして(苦笑)。

つまり何が言いたいのかというと、佐々木朗希の言うとこの「やることが与えられない時に自分で考えてやることが求められる。その方が野球だったり勉強だったり、伸びると思う。時間をうまく活用してほしい」とは、一見、自分のやりたい事とは無関係のように思うことでも、実際には草の根のように「どこかで共通点があったり、つながっていることも」意外に少なくないんだよ、という事だと思うんですね。そしてその無関係な事がきっかけで人生も大きく好転することもあるんだよ、という事でも。

おそらくどこぞの先人がこういうのを経験して「急がば回れ」とか「人間万事塞翁が馬」という言葉を思いついたんだと考えるんですが、 確実に人生のどこかでうまくいかない時期は訪れるわけで、そこで自分で能動的にどう「活かす」かがポイントなんですよ…というのが、いやあ「深い」なあとしみじみと(笑)。そしてこれがなかなか怠けるという行動も確実に行動パターンとしてプログラミングされている(?)人としては「言うのは簡単だけど、やるのは結構難しい」という次第で(^_^;)

ついでに書くと、談春師匠の前後の兄弟弟子のほとんどは築地の「修行」を経験してたそうですが、ただひとりだけ「ボクは絶対に嫌です。かといって破門されるのも嫌です」と断固拒否して、かの談志師匠がその剣幕に(?)「そこまで言うんじゃ仕方がねえ、好きにしろ。ただし周りからひんしゅくも買いかねないから、しっかりやれ」…と認めてしまい、最終的には築地に行かずに(当然のことながら兄弟弟子からはひんしゅくもかなり買ったそうですが)、しかしその後、真打ちに昇進して売れっ子にもなって「大成」した兄弟弟子もいたんですね。それが「あの」立川志らく師匠だったそうで(笑)大変だな、文春砲を喰らって…。

バルガス氏にとって日本での経験が「糧」になる事を祈る。

元ロッテ・バルガスが米誌に激白 日本野球は「合わなかった」「練習をたくさん…」(Full-Count)

個人的には陽気な選手で好きだったんだけどなー。しかしあれだけ苦手の低めばかり投げられちゃ適応するのは至難の業だったねえ。

昨季ロッテでプレーしたケニス・バルガス内野手がタイガースとマイナー契約を結んだ。メジャー通算35本塁打を放っている29歳は招待選手としてメジャーキャンプに参加することはなく、マイナーのスプリングトレーニングで再起を図っている。ロッテでは35試合出場にとどまり、打率.179(84打数15安打)、1本塁打、6打点。僅か1年で日本球界を去ることになったバルガスは「彼らはたくさんトレーニングをする」などと日本の野球に合わなかったことを激白している。米紙「デトロイト・ニュース」が伝えている。

「デトロイト・ニュース」は「タイガースはケニス・バルガスにキャリア再生のチャンスを与える」とのタイトルで詳報。プエルトリコ出身のバルガスは2014年にツインズでメジャーデビューした当時は、レッドソックスの主砲として活躍したデビッド・オルティス氏と比較されるほど期待されていたことに言及。今季はタイガースとマイナー契約し、スプリングトレーニングへの招待は含まれていないと伝えた。記事内でバルガスはこう語っている。

「ただ仕事が欲しかった。仕事があるところに行ったんだ。去年日本に行き、それほど合わなかったよ。こっちに戻ってきて、タイガースが機会を与えてくれた。その機会を活かすためにオフに懸命に取り組んだよ」

 バルガスは2018年にツインズ傘下3Aロチェスターでプレーした。記事は「良い成績(130試合出場、21本塁打)を残したにも関わらず、メジャー昇格は果たせなかった。そのため、日本の千葉ロッテから連絡を受け、3Aの2倍となる年俸をオファーされた時、彼は荷物をまとめて世界の反対側に飛んだ」と伝えている。

 記事は「それはうまくいかなかった」と指摘。本人は「彼らはたくさんトレーニングするんだ。体が大きいとキツイよ。本当に良い人たちだったけど、慣れることができなかったんだ。誰にでも合うわけじゃない」と語っている。バルガスは196センチ、131キロの巨漢選手だ。

 バルガスは日本の投球に慣れることもできなかったと記事は改めて指摘。29歳のプエルトリカンはこうも述べている。「本当に違ったよ。日本で打撃のメカニックを変えなければならなかった。アメリカに戻ってきて、またここでの打ち方を学ばなければならないんだ。直球の球速に慣れるためにオフに懸命に取り組み、プエルトリコのウインターリーグでプレーした。スイングが戻ってきたと感じるよ。この機会にただ感謝している」。

 日本野球に順応できず、米球界に再び戻ったバルガス。再び花を咲かせることができるか、注目される。

そう考えるとマーティン様とかはよく練習もするし、研究熱心だしで、いい時と悪い時の差は激しいけども「よく日本野球に順応してるなあ」と感心しちゃう点は多いですね。

ただ、日本人選手が例えばMLBにしろ、サッカーの欧州リーグにしろ「合う、合わない」の差が激しくて期待されたほど活躍できずに日本に戻ってきてしまう例も少なくないわけで…きつかった日本での経験をバルガス氏にとって糧になる事を祈ってます。

以上です。

雨ン中の、らくだ

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↑こちらは志らく師匠の自伝本。談春師匠の「赤めだか」と併読すると非常におもしろいです(笑)

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