【千葉ロッテ】今年引退する元ロッテの大松尚逸の記事…泣かせるなあ(感涙)

ロッテ背番号「9」福浦の背中 愛弟子・大松が幕を下ろす共にした傷だらけの選手人生(Full-Count)

千葉ロッテ広報の梶原氏のコラムが出てたんですが…いやあ本当にいい記事で泣かせるわー(苦笑)

ロッテで12年、ヤクルトで2年、BC福井でプレーした大松尚逸

 背番号「9」福浦和也選手が9月23日のセレモニーをもって引退する。習志野高校から地元の球団・ロッテに入団し、一筋26年。今季は球界最年長も経験した。多くの同志、はたまた後輩を見送ってきた男が、ついにその花道を用意される立場となる。“その時”を迎えたとき、監督は、選手は、そして福浦選手は…… ロッテの名物広報・梶原紀章さんが、6回にわたって綴る。

 背番号「9」を師と仰ぎ続けた男は野球人生に自らピリオドを打った。大松尚逸外野手。ロッテで12年。ヤクルトで2年。そして今年、BCリーグの福井ミラクルエレファンツでプレーをした。最後の時は突然やってきた。8月17日の新潟アルビレックスBC戦。6回の第3打席で右飛を打って一塁に向かって全力疾走をした際、左膝が悲鳴を上げた。もう歩くことすら出来なかった。診断結果は左ひざ半月板の断裂。全治まで3か月とされる大怪我に引退を決断した。すぐに背中を追い続けてきた福浦和也内野手に連絡を入れた。

「よく頑張ったな。お疲れさん」

 その一言にすべてから解き放たれた気がした。今まで背負ってきた重圧がすべて消え去った。もう現役への未練は残っていなかった。

「自分がプロに入ってずっと追い求めてきた人に『よくやった』と言ってもらえた。もうそれで十分だった。気持ちの整理がつきました。スッキリしました。ここまで精一杯やってこれたかなあと思います。悔いはありません」

 ロッテに入団をした時からチーム内の同じ左打者の福浦に憧れ、参考にしながら、プレーをしてきた。あれはプロ2年目が終わった06年のオフ。なかなか思い通りの結果が出ずに苦しむ大松は意を決した。11月に行われた球団納会で大先輩のいる席に足を運んだ。ビールを注ぎながら、お願いをした。

「福浦さんが引退する今年、一緒のタイミングでユニホームを脱ぐことになった。十分やったと思います」

「一緒に練習をさせていただけませんか。自主トレ、連れて行ってもらえませんか!」

 その言葉には強い決意が感じられたのだろう。だから、福浦も二つ返事で承諾をした。「ありがとうございます!」断られることも覚悟の上だっただけに、あの日の事は一生、忘れることができない。それほど嬉しかった。

練習では、すべての動きを注視した。アドバイスを聞き漏らさないようにしようと公私ともに、いつも近くにいた。そして、その後も師弟関係はずっと続いた。08年、大松はついに開花する。24本塁打、91打点。チャンスに強い打撃で「満塁男」と言われるまでになった。その年から3年連続の2桁本塁打をマーク。福浦もそんな後輩が活躍する姿を自分のことのように喜び、共にさらなる練習に明け暮れた。

 しかし、順風満帆な日々は続かなかった。度重なる怪我もあり出場機会が減り苦しんだ。そんな大松に「オレより先に辞めるなよ」と福浦は独特の言い回しで励まし続けてくれた。16年オフに戦力構想から外れた。真っ先に電話を入れた相手は大先輩だった。「こんな嫌な報告で申し訳ありません」そう言って謝ると涙がこぼれ落ちそうになった。今後の道に悩む大松に電話口の向こうにいる憧れの先輩は優しく励ましてくれた。

「オマエの今の気持ちに正直に生きろよ。まだ出来るという思いがあるなら、その気持ちを大事にしろ。やるのはオマエ。今の気持ちを大切にしてくれ」

 その言葉に励まされ、新たな世界への挑戦を決めた。5月に右アキレス腱を断裂し、9月になって、ようやくリハビリを終えたばかり。そんな逆境はどこ吹く風とばかりに、力強く走り出した。2017年、ヤクルトへの入団が決まると勝負強い打撃で見事に1軍の舞台に返り咲いた。この年は2本のサヨナラ本塁打でチームに貢献した。2019年からは現役続行を模索しBCリーグの福井ミラクルエレファンツに入団。NPBでプレーをすることを夢見る若い選手たちと一緒にプレーをした。ハングリーさが求められる環境で模範となるべき姿を見せ積極的にアドバイスを続けた。そこには自分が福浦に憧れ追い求めてきた経験が原点としてあった。

 8月に大先輩に引退する決意を伝え9月8日に発表された。引退の挨拶のため古巣の本拠地・ZOZOマリンスタジアムに姿を現した大松の表情は清々しく見えた。

「福浦さんにはつねづね『自分より先には辞めるなよ』と励ましてくれた。そして福浦さんが引退する今年、一緒のタイミングでユニホームを脱ぐことになった。十分やったと思います」

 大松は思い出の詰まるウェイトルームにも顔を出した。そこは試合後もシーズンオフも毎日のように背番号「9」と汗を流し続けた思い出の沢山詰まる場所。青春そのものだった。深く一礼をしてその場を離れた。師弟ともに新たな人生を歩みだす。

本来だったら、アジャ井上が台頭してくる際の「壁」として中距離砲として頑張って欲しかったんですけども…伊東監督の頃は怪我もあったし、出場機会も減ってたしで。でもブレイクした頃はチャンスにも強かったんで「これで千葉ロッテの中距離砲は5年は大丈夫だ」なんて思ってたんすけどね。

でも思えば…ボビー・バレンタイン監督の末期の頃の話ですからもう10年ぐらい前の話だったんすね。

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「大のヤクルト嫌い」だった私を克服(?)させてくれた(笑)

で、個人的には…実は大松選手がロッテを退団してヤクルトに入るまでは、基本的には「嫌いなチームは作らない」のをモットーにしてた私なんですが、唯一、ヤクルトだけは長年、大嫌いだったもんで(苦笑)

それは「子供の頃、祖父と見に行った神宮球場の巨人戦での私設応援団のヤジの汚さで嫌いになった」のと「なぜか歌手のさだまさしが応援していて、さだの熱狂的ファンがヤクルト以外の球団を口汚く罵ってたのを目の当たりしたから」がきっかけだったんですが、その他にも「不思議と、自分の周りのヤクルトファンの知り合いが嫌な奴ばかりだった、というか、ぶっちゃけ嫌な奴しかいなかった」のもあったんですね。

なので若い頃は、そんな周りのヤクルトファンの知り合いにわざわざ優勝した直後に、「へー、ヤクルトは毎回毎回、優勝してフジサンケイグループがちやほやして次の年はあっさりBクラスですか。今度のオフは調子に乗るなよ?プロなんだからさ」みたいな事を平気で言ってましたし(←今から思えば物凄い嫌味だ…いやいや優勝したんだから年内のオフぐらいは調子に乗らせてやれよ<当時の俺(爆))、で、大松選手が入団した頃は、私の知ってるヤクルトの選手が主砲だった畠山選手ぐらいしか知らなかった…ぐらい毛嫌いしてたんすね。あとは山田哲人選手がちょうどブレイクしはじめた頃だったような気がします。

ところがそんなヤクルトが大松選手を拾ってくれた上に、

2度も延長のいい場面で起用してくれて、サヨナラホームランを打たせてくれたんすね。

勿論、そこのバッターボックスに立つまでの体の準備・心の準備もあったでしょうし、ロッテにいた最終年にはなかなかの大怪我もやって体が満身創痍に近い状態だったこともあったんでしょうけど…しかし延長のあの場面で大松選手を送り出したヤクルトの首脳陣の心意気もありがたかったですし、それにこんな最高な形で恩返しする大松選手も…ねえ(感涙)。

あれ以来、ヤクルトも一気に「好きなチームのひとつ」になりましたね。最終的には大松選手はヤクルトも退団することにはなってしまったんですが、「満身創痍な大松を拾ってくれて、しかもあんな晴れ舞台で仕事をさせてくれて本当にありがとう」と今でもヤクルトには感謝してます、はい。なので今はどの球団のどの対戦カードの中継(CS、ネット中継問わず)ものんびりと見るのが何よりも最大の息抜きになりましたね。

いやーなんとか大松選手にも引退セレモニーをやってあげてほしいですね。今在籍している福井ミラクルエレファンツでもそうですが、もしできれば来年のオープン戦で対戦するだろう、ロッテ対ヤクルト戦でも。…で、もしできれば長年の苦労や怪我の経験を活かして、ロッテを含めたどこかの球団ないし野球界から離れずに、後進の指導とかに携わってほしいなあと思いますです。

本当に長年お疲れ様でした。あ、できれば福浦御大の引退試合に顔を出してくれないかなあ(笑)

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