黄色いメガネでおなじみの笑福亭笑瓶師匠が亡くなるとは…。

落語家の笑福亭笑瓶さん死去 急性大動脈解離 66歳(スポーツ報知)

黄色いメガネでおなじみの…まさか「噂の!東京マガジン」で共演してた森本毅郎氏よりも早く逝ってしまうとは…。


落語家の笑福亭笑瓶(しょうふくてい・しょうへい、本名・渡士洋=とし・ひろし)さんが22日午前、急性大動脈解離のため死去した。66歳だった。

 笑瓶さんは1980年大阪芸大芸術学部文芸学科卒業後、笑福亭鶴瓶に弟子入り。毎日放送「突然ガバチョ!」「ヤングタウン土曜日」など関西の番組で活躍。1987年に東京に拠点を移し、日本テレビ系「鶴ちゃんのぷっつん5」のウィッキーさん役、フジテレビ系「ものまね王座決定戦」のサリーちゃんのよしこちゃんのものまねで人気を博した。TBS「噂の東京マガジン」や医薬品の「コンタック」のCMでも親しまれた。

 2015年12月にもゴルフのプレー中に急性大動脈解離を発症してドクターヘリで救急搬送され、約2週間入院していた。

いや、個人的には「同じ誕生日」の有名人ってことで非常に馴染みがあったんすけどねえ。ちなみに友人筋には同じ誕生日の芸能人・著名人のネタで「伊集院光、チームナックスの戸次重幸、あと黄色いメガネでおなじみの笑福亭笑瓶師匠に世界の盗塁王の福本豊選手」って紹介すると「なんだそのラインナップは」とウケるので鉄板でしたねえ。ちなみに個人的には師匠のネタで大好きだったのは魔法使いサリーに出てくるよしこちゃんでした(苦笑)

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2度目の大動脈解離ですか…。

笑福亭笑瓶さん死因は大動脈解離 7年前にドクターヘリ出動した同じ病で… 21日に突然自宅で倒れ(スポニチ)

数年前に同じ大動脈解離でドクターヘリのお世話になったという話は知ってたんすけどね。再発するとは…。

べっこう色の眼鏡がトレードマークでバラエティー番組などで活躍した落語家でタレントの笑福亭笑瓶(しょうふくてい・しょうへい、本名渡士洋=とし・ひろし)さんが22日午前、急性大動脈解離のため死去した。66歳。大阪府出身。通夜、告別式の日取りは未定。

 スポニチ本紙の取材では21日に自宅で倒れ救急搬送。大動脈解離と診断され、治療を受けたが、22日午前に息を引き取った。家族がみまもる中で静かに旅立ったという。

  1980年に大阪芸術大を卒業後、笑福亭鶴瓶(70)のラジオ番組「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」のトークに魅せられ、弟子入り。バラエティー番組「突然ガバチョ!」など、関西で活躍した後、東京に進出。「ものまね王座決定戦」で「魔法使いサリー」のキャラクター、「よし子ちゃん」のものまねを披露して人気に。BS-TBSの情報番組「噂の!東京マガジン」のレギュラーでもお茶の間で親しまれた。ものまねのレパートリーは広く、「ヤッターマン」のボヤッキー、ウィッキーさんなどで明るい笑いを届けた。

 2015年12月には千葉県のゴルフ場で同じ大動脈解離で倒れ、ドクターヘリで搬送されて治療を受けていた。この時はプレー中に突然「胸が痛い」と訴え、一緒にコースを回っていたゴルフ仲間の神奈月が介抱した。その後、約3週間入院していた。

 その後は仕事に復帰。最近では、17日深夜放送のテレビ東京「きらきらアフロTM」にリモート出演し、師匠で番組司会者の笑福亭鶴瓶(70)に弟子入りしたきっかけについて話したばかりだった。それだけに、仕事関係者に衝撃が走っている。

 ▽大動脈解離 大動脈の内壁に亀裂が入り裂ける病気。本来流れていない場所に血液が入り込み、胸や背中に激しい痛みが走る。大動脈剥離とも呼ばれ、循環器疾患による突然死としては心筋梗塞に次いで多いとされる。突然発症する場合が多く、車の運転時に襲われ事故につながる例も少なくない。福田医院(横浜市)の福田伴男院長は「多くの場合、高血圧や動脈硬化など何らかの予兆があるもの。もし運転中に発症したら、意識があればできるだけ安全な場所に止め、助けを求めてほしい」と話している。

10年ぐらい前にクイズサークルの友人が例会中にこの大動脈解離を発症して倒れて、救急車で運ばれてそのあと3回手術して退院したのが半年後…ということがありました。今も元気でやってますし今も付き合いも深いのですが、ご本人から聞いたら「半端なく痛かった」んだそうです。そして予兆というものに関してはどうもその直前の職場(当時はガテン系の仕事をされてました)の健康診断で「ちょっと気をつけたほうがいいですよ」とは言われてたそうでね。

むしろ友人の場合は、緊急搬送された病院でその原因がわからず、原因がわかった後もそこの病院の緊急外来では対応できないという事でもっと大きな病院に搬送されての手術となってました(私はサークルの責任者のひとりだったので(当時の会長さんと共に)その再転送の病院まで救急車に同乗して付き添ってました)。「その後」の方が大変で、敗血症による多臓器不全を起こして腸を切除したり…などで何度か危篤状態になってご家族には「今夜が峠です、覚悟してください」と、3回ぐらい告げられたそうで。友人の場合は6月に入院して退院したのが翌年のお正月明けでしたが、退院後もなかなか体力が戻らずにそれもかなり大変だった…という話を聞かされて思わず絶句してのを覚えてますです。

なのでその友人の話を聞いている(そして倒れた瞬間は目の前で見ていて緊急搬送も付き添って、半年後の退院直前も入院先にお見舞いに行って話を聞いている)ので、たぶん笑瓶師匠も「1度目の時はかなり大変な手術・入院生活」だったんだろうな…と思うのと同時に、あの病気をやってからかなりご自身でも食生活とか生活全般を改めて発症しないように気をつけていたとも思うんですが、まさか約7年後に今回も「いきなり」発症するとは思ってなかったんでしょうね。

…しかしあの陽気なキャラがもう見れないのは実に寂しい。そして66歳、まだまだ若いのになあ。そして年は近いとはいえ師匠の鶴瓶師匠よりも先に逝ってしまうとは…合掌。