・村田兆治さん急逝 ロッテが公式HPで追悼コメント「マサカリ投法と呼ばれファンに愛されました」(スポニチ)
しかし今朝方の自宅の火事で意識不明で緊急搬送、のち死去のニュースに接して本当に言葉を失いましたわ…。過日の羽田空港での一騒動から2ヶ月も経ってないのに。
東京オリオンズ、ロッテオリオンズに在籍、1968年から1990年まで22年間活躍された #村田兆治 氏が11/11(金)未明、お亡くなりになりました。(享年72歳)
ここに故人のご冥福をお祈りし、謹んでお知らせ申し上げます。▼https://t.co/PAskhXS8kR#chibalotte pic.twitter.com/uedilAAySY
— 千葉ロッテマリーンズ (@chibalotte) November 11, 2022
ロッテは11日、チームの公式サイトで、この日未明の火災で死去した元ロッテ投手の村田兆治さん(享年72)の追悼コメントを掲載した。
「訃報」と題した投稿で「東京オリオンズ、ロッテオリオンズに在籍、1968年から1990年まで22年間活躍された村田兆治氏が11月11日(金)未明、お亡くなりになりました。(享年72歳)」と伝え、「ここに故人のご冥福をお祈りし、謹んでお知らせ申し上げます」と哀悼の意を示した。
さらに「村田氏は通算215勝を挙げ、その独特でダイナミックな投球フォームはマサカリ投法と呼ばれ、ファンに愛されました」と、現役時代の功績を記した。
11日午前3時10分ごろ、東京都世田谷区成城の村田さんの自宅2階から出火し、約40平方メートルが焼けた。警視庁などによると、意識不明で病院に搬送された村田さんの死亡が確認された。
チームは村田さんをしのび、この日、ZOZOマリンで行われた秋季練習で半旗を掲げた。
しかし本当に「いきなり亡くなる」ってこともあるんですねえ…。本当にびっくりしました。
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ロッテ及び村田投手を知ったのは実は「初代ファミスタ」でした。
個人的には…小学生の頃(確か小6だったような)に買ったナムコの野球ゲーム「ファミリースタジアム」、通称「ファミスタ」。確か一番最初のシリーズは選手が実名(といってもひらがな3-4文字程度の名字のみでしたが)で、当時は熱心な巨人ファンだったのにも関わらず、なんか巨人の選手の性能があまり強くなくて最終的にチョイスしてたのが「むらた」という投手のフォークボールがバンバン三振が奪れることと、「おちあい」という打者がとにかくホームランを打てるってことで、当時のロッテと日ハムを足した「フーズフーズ」というチームをよく使ってました。奇しくも巨人ファンをやめたきっかけはその「おちあい」、つまりは落合博満選手を西武から清原和博選手をFA獲得するために自由契約にして巨人がチームから追い出したことと、千葉ロッテファンに鞍替えしたのは、その2年後にぐらいに勃発した千葉ロッテの18連敗…だったんですが。
そう考えると当時は「ロッテオリオンズ」でしたが「ロッテ」というチームを知るきっかけになり多少なりとも愛着を持てるきっかけになったのはファミスタの「おちあい」選手とそして「むらた」投手、つまりはこのロッテのレジェンドともいえる村田兆治氏だったんだなあ…と思うと、やはり感慨深いものもありますです、はい。
※ちなみに余談としては調べたら発売日は1986年(昭和61年)12月10日で、やはり私が小6の時でした。この時も大人気でなかなか手に入らずに発売日を迎えてから数週間ぐらい後、当時通院していた耳鼻科のそばの成田・表参道ぞいにあった「キョウマス(店主の方が「京増さん」という方だったようです)」という老舗のおもちゃ屋に何度か通い詰めて、そしたらたまたまその日に入荷したてだったソフトが売られていて狂喜して買って帰った記憶があります(私自身がそこまでして購入した経験があるゲームはこの「初代ファミスタ」とこの3年ぐらい後に発売された「ドラクエ3」ぐらいでしたねえ、たぶん)。ついでに書くとそこのおもちゃ屋、今では「きょうます」というひらがな表記に改められ物凄い雰囲気の良い和風のお土産屋になってリニューアルされてました。まあ今から36年も前の話ですしねえ…(^_^;)
その後、サントリー主催のプロ野球OBによるドリームマッチのチケットが抽選で当たりまして東京ドームに何度か見に行ったりした時に、当時はもう還暦手前ぐらいだった村田投手が本当に130キロぐらいの剛速球を投げてたのにもびっくりしました。しかもあのマサカリ投法で。残念ながらリアルタイムで現役時代はほぼ見れなかった(たまにUHFのローカル局のロッテ戦中継は見てたのでその時に見たような記憶もありますが)んで、「あの初代ファミスタのフーズフーズの「むらた」投手のモデルはこの人だったのか」と「いつまでも元気なおっさんだなあ」という感心かつリスペクトすらしてた次第ですが…しかし今年は羽田空港の検査場でトラブって警察沙汰になるわ、そしてそれから2ヶ月もたたぬうちにこのような事で亡くなってしまうとは、と。どういう経緯で火事になったのかはさだかではないのですが、まだまだやりたい事、特に野球の普及の側面ではやり残したこともあったろうにと思うと、なんとも言えない気持ちになっている今日この頃です。
最後に長年、プロ野球で活躍され引退後も野球界に多大な貢献をしてくださったことに感謝いたします。そしてご冥福をお祈りいたします。
以上です。