確かに”本当に具合の悪い時”に病院に行くのは「きつい」ですよね。

本当に具合が悪い時にどうやって病院に行ったら良いかわからない – MIKINOTE

いや、まあ確かに「本当に起きれないぐらい体調不良時に病院に行くってのは気力体力的にはかなりきつい」ってのはわかるなあ、と読んでて思ったブログさんの記事ですた。

自分が「マジで病院に行けないぐらいきつかった」みたいな高熱を発したのがここ20年で2回ほどありまして、1回は大学生の時にかかったインフルエンザ、あと1回は結婚して福生に住み始めて数年後にかかったアデノウイルス、でした。

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インフルエンザの時は…。

当時は大学4年の春休みでした。実は4年になった時点で「単位が足りなくて5年目突入が確定」してた時期で、春休みはバイト三昧でしたね。本当は北海道へのひとり旅でもしたかったんですが(苦笑)。

で、バイト先で伝染されて、5日間ぐらい寝込みましたね。最高で39度4分だった6分だったか。体温計を脇に差し込んで30秒もしないうちにデジタル数値が38度をあっさり突破した時の絶望感と来たら。いや、見なきゃいいんだけどね単純に(泣)

んでこん時は下宿しててボロアパートに一人暮らしでした。そんでもって初日に37度8分ぐらいまで上がった時点で食べ物は味がしないし、水も何か味が変。でも食べないときついし…ということで、原付で近所のファミマに行って、ポカリスエットの2リットルのペットボトルと、コッペパンと、レーズンパン(コッペパンの中にマーガリンが仕込んであるやつ)を多めに買って、それを5日ほどちびちび飲んで食べてました。ま、「なんでコンビニ行って病院行かなかったんだ?」という疑問はあるんですが、実は発熱した日が日曜日だったんですね。緊急外来という選択肢はなかったですね。ソファに座るのもきついぐらいだったんでたぶん待たされるのが嫌だったんでしょう。

結局、5日目の金曜日に熱が下がったんで病院に行って2時間点滴を打ってもらいそこから回復していったんですが、この数日間、一番きつかったのは高熱とか下痢とか食欲不振ではなく、「全身の痛みで眠れない」ってことでしたね。結局、ベッドの枕元に「クッキングパパ」の単行本を10冊ぐらい置いてそれを読みながら、ラジオを流しっぱなしにして、横になるだけって感じでした。

ちなみにバイト先で私にうつした先輩社員さんは、5日後に私が点滴を打ちに行った病院でお会いしたんですが、私よりもひどかったらしくその日から1週間入院、という次第に。それ以後、手洗い・うがいはしつこいようにするようになりましたね、私。

あ、そうそう、木曜日ぐらいにちょっと熱が下がったってんで、原付で近くの床屋に行ったんですね。そしたら座ってられなくて、トイレでゲーゲー吐いてしまい、床屋のマスターから「お金は後日でいいから、また熱が下がったらおいでよ」と言われて帰ってきたことがありました。結局、帰宅したらまた38度台後半になってて寝込んだんですけども…病院で点滴した翌日にまた床屋に行って散髪してもらったんすけどね。

アデノウイルスの時は…。

2008年の1月だったんで今か8年前。いつものクイズサークルから戻ってくる途中に、電車の中で太ももとかの筋肉痛がひどくなり、一緒に行ってた嫁さんにお願いして、最寄り駅の隣の駅からタクシーで帰らせてもらったんですね。最寄駅から自宅までには緩やかな上り坂があるんですけど、それすら辛いぐらいに。

で、翌日(仕事はお休みでした)鼻水ずるずるで37度5分の熱が出たので「あー、これは風邪だ」と、耳鼻科に行きまして、鼻水を吸引してもらって、ひとまず薬を貰ったんで、薬飲んで寝る前に、昨晩汗かきまくったからシャワー浴びてから寝た…ら、その日の晩に39度の高熱が(;゚д゚)。

で、火曜日から木曜日の深夜まで39度と40度の間をいったりきたりしてました。しかも耳鼻科で貰った薬が一切効かない(!!)という始末。当時は営業回りをしてたんですが、水曜日に大雪が降ったんですね。「うわー、仕事に穴をあけて更に雪かー、申し訳ねえ」とか呟きながら寝てました。とにかく悪寒がひどくて。パジャマ着てフリースきて、布団も毛布までかぶって寝てるのにまだ寒い、と。最後はワッチ帽をかぶって体を丸くして寝てましたしね。最高で40.8度まで行きまして、「(当時の)日本最高記録の気温と同じじゃーん。いや、これ死ぬかもな」とか自嘲気味に苦笑いしてました。この時は嫁さん一家と同居だったんで、嫁さんに例によってポカリスエット(どうも高熱になるとこれしか口に合わないようで<私)と、コッペパンを買ってきてもらって、それをちびちび食べながら、ラジオ聴きつつ、たまにガラケーでmixi見てました(苦笑)。

で、意外だったのが、高熱で頭痛もひどくて、たまたま家にあったバファリンを飲んだらそれで一気に高熱が下がって、ひと眠りしたら40.3度→37.8度まで落ちたってことでしたね。「凄い、バファリン恐るべし」って驚愕しましたわ。ついでに頭痛も全身の筋肉痛も取れましたしね。

そして最後は嫁さんも発熱し一緒に病院へ…

で、最後は金曜日の朝、嫁さんが発熱しまして、「これはいかん。また症状が軽いから病院に行こう」と、徒歩で駅前の病院に行ったら、血液検査か何かをしたら「アデノウイルス」だと判明したわけです。私も嫁も。医者曰く「すぐに来てくれれば点滴と薬ですぐに治ったのに」と。いやいやいや、40度オーバーで通院は無理っす(泣)

結果、夫婦そろって数時間点滴を打ってもらって、私は平熱に戻り、嫁さんは更に薬の服用で高熱にはならずに翌日には治ってしまったんですが、後から散々「あなたは私にうつして治ったしね」と嫌味を言われる始末でした(;´Д`)

その後、緊急外来の付き添いで何度も病院に…。

その後、私も仕事中の労災で肉離れをやったり、同居してるおじいちゃん、おばあちゃん、のちに生まれた息子、そして嫁さん…と家族全員が地元の総合病院の緊急外来のお世話になるんですが、私は自分の時はもちろん別にしても、家族全員の付き添いの為に緊急外来の待合室に何度も行く羽目になり、そこの総合病院に家族が入院したこともあったので「勝手知ったる」ぐらいの感じになってしまったのは(;´・ω・)。

で、この緊急外来も実は結構「待つ」んですね。おじいちゃんがこの3年で2回ぐらい救急車のお世話になって入院したりしてたんですけど、お医者さんがそれほど多いわけでもないし、検査もしなくてはならないんで、付き添いの家族はめちゃくちゃ待ちます。

自分の経験では、嫁さんが謎の腹痛で日曜日の昼間に緊急外来に行った時は、点滴打って帰れるまでに6時間とか、おじいちゃんが軽い脳梗塞などでそのまま入院した時は(しかも2回もありました)、一度は休日の昼間で5時間、もう一度はド深夜でほぼ徹夜、みたいな感じでしたね。ちょうどソチ五輪のフィギュアスケートの羽生選手が金メダルを取った日で、入院手続きをしてる間に入院病棟の家族待合でテレビを見てた記憶があります。深夜の4時ぐらいに。

勿論、お医者さんが他の患者さんにつきっきりの時は、患者さんも待たされるので、パジャマ姿で発熱したか何かの子供さんとかがパパさんママさんによっかかって苦しそうにソファで横になってたり…とかもしてましたし。付き添いでそれを見ていて「いや、自分が40度近い高熱で、這う這うの体で病院に来て、更にここで待たされるってのは…それは無いなあ」と思ったほどでした。

ま、何度も付き添うと、パターンはわかってくるので、私の場合はスマホの充電器と、何時間でも滞在できるように分厚い本を持参するようになりましたね(泣)

結構救急車を呼ぶには高いハードルも…。

で、リンク先の方も書いておられるんですが、救急車を呼ぶってのがどうも抵抗があるんですね。サイレン鳴らされるのも嫌ですし、大袈裟ですしで。ちなみにおじいちゃんを搬送してもらった時はサイレンを鳴らさないようにお願いしました…が、うちの自宅前の道が狭くて、救急車が入れずにストレッチャーで通りまで運ばれるとか、かなり大事(おおごと)になってました(-_-;)。それに付き添ってくれる家族もいない一人暮らしの人にはちょっときつい話ですしね。

ま、本当はね、アニメの「サザエさん」さんの世界のように、お医者さんが家に来てくれるみたいな制度がもっとあればなーと考えることはありますね。たぶんむずかしいんでしょうけどね。いずれにしてもいざ罹患してしまった際には本当にお大事に、ということですな…。

※追記:ちなみに上記の「お医者さんが家に来てくれるみたいな制度」。この数年後に、うちのおじいちゃんが「訪問診療」のお世話になりまして、毎週末にお医者さんと看護師さんが自宅に来てくれるようになりました(苦笑)

以上です。