遂に大横綱・白鵬も引退する日が来たのか…。

大相撲 横綱 白鵬 現役引退の意向固める 史上最多45回優勝(NHKニュース)

朝起きてTwitterでこのニュースを知った。7月場所が照ノ富士と競り合った末に優勝、9月場所が宮城野部屋で新型コロナの患者が出て休場…という流れでここで「引退」ってのはちょっと驚いた。


大相撲で史上最多となる45回の優勝を果たした横綱 白鵬が現役を引退する意向を固めたことが関係者への取材でわかりました。

“今後本場所で横綱として15日間土俵を務めることはできない”

白鵬は、右ひざの手術の影響などで休場が続き、去年の11月場所後に横綱審議委員会から「休場があまりにも多い」として「引退勧告」の次に重い「注意」の決議を受けていました。ことし3月の春場所は、再び右ひざのけがで3日目から途中休場して場所中に手術を受けました。

白鵬は、7月の名古屋場所に進退をかける意向を示し、リハビリとともに土俵上での稽古を再開したうえで、6場所連続休場から復帰しました。その名古屋場所では、初日から連勝を重ねて史上最多を更新する45回目の優勝を全勝で果たしました。
直後のNHKの取材に対して「体もあちこちぼろぼろだ。先のことはゆっくり考えたい」などと話していて、秋場所に向けた合同稽古に姿を見せたもののその後、同じ部屋の力士が新型コロナウイルスに感染したため秋場所は初日から休場していました。

関係者によりますと、白鵬は痛めた右ひざの状態などから、今後本場所で横綱として15日間土俵を務めることはできないと判断し、現役を引退する意向を固めたということです。

また、白鵬はことし5月には、年寄名跡を取得していますが、親方になるための正式な手続きは近く行われる見通しだということです。

白鵬はモンゴル出身の36歳。15歳で宮城野部屋に入門し、天性の体の柔らかさに厳しい稽古による力強さや卓越した技を兼ね備え、平成19年夏場所後に69代横綱に昇進しました。

通算の勝ち星は1187勝、優勝回数45回、横綱在位はおよそ14年に渡る84場所でいずれも史上最多を記録していて現役生活20年で大相撲の記録を次々と塗り替えてきました。

おととし9月には日本国籍を取得し「強いお相撲さんを育てることが1つの恩返しだと思う」と話し将来は親方として後進の指導に当たる意向を示していました。

ま、考えてみれば白鵬関も今年で36歳。あの「昭和の大横綱」の千代の富士関が引退した年齢になってたんすね…。まあ千代の富士の場合は横綱になったのが26歳ぐらいとやや遅咲きで、そこから全盛期を迎えて一時代を築いたわけで。そしてその頃に千代の富士と共に「4横綱」として君臨してたのが、北勝海・大乃国・旭富士で、いずれも今や協会の大幹部になってますし。そこでも時代の流れの速さを感じるんですが…。

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で、ゆくゆくは相撲協会の理事長を目指すんだろうかね?

で、記事の続きに戻りますが…。

決断に至る背景は

平成27年初場所で33回目の優勝を果たした白鵬は、優勝回数で昭和の大横綱、大鵬を抜いて以降は、本場所ごとに優勝回数や通算の勝ち星数などみずから目標を設定してモチベーションを維持する状況が続きました。

そのころから白鵬は「取って変わるような若手が出てくれば自分は退く」と周囲の関係者に口にするようになりました。

しかし、白鵬のあとを追って横綱に昇進した日馬富士と、鶴竜、それに稀勢の里の3人は、いずれも白鵬よりも先に現役を引退し、台頭する若手も脅かす存在までには至りませんでした。

優勝や勝ち星に関わる記録のほぼすべてを塗り替えてきた白鵬は、ここ数年、「東京オリンピックを現役として迎える」ことを目標の1つに挙げてきました。モンゴル相撲の英雄で、レスリングでも前回の東京オリンピックに出場した父のムンフバトさんと同じ舞台に関わりたいという思いが理由でした。

その思いの影には、ライバル不在の状況が続く中で、土俵外のことに目標を定めるしかモチベーションを維持する方法がなかった白鵬の心情が見て取れます。

しかし、ここ3年はけがによる休場が目立つようになりました。両ひざに加えて、足の親指などを相次いで痛め、満身創いの状態となります。

それでも、休場明けの場所で優勝するなど健在ぶりを見せてきましたが、去年11月場所までの12場所のうち8場所を休場。横綱審議委員会から「休みがあまりにも多い」として「注意」の決議を受けました。
4場所連続で休場したあと、ことし3月の春場所には出場しましたが、右ひざの痛みから3日目から休場し右ひざの2回目の手術を受けました。

ひざの皿の裏にある軟骨の損傷した部分をなめらかにするなどの処置を受けた白鵬は、その後、軟骨の再生医療を取り入れ、4月からはひざの周りの筋肉を刺激して強化するリハビリを行い、6月には土俵上で相撲を取る稽古を再開しました。

7月の名古屋場所直前には関取の炎鵬などとも申し合いを行って調整し、急ピッチな仕上げで復帰の場所を迎えました。

場所前には、複数の関係者に名古屋場所で15日間相撲を取りきることに強い覚悟を示していたほか、宮城野部屋の宿舎に飾られた七夕の短冊にも「15日間取り切る」と書き、相撲人生をかけて場所に臨みました。

序盤は、危ない場面もありながら、持ち味の対応力と素早い相撲で勝ち星をあげ、中盤以降は力強く寄り切る相撲も見せて初日から連勝しました。

一方で、本来は右足で踏ん張り左足から踏み込むのが白鵬の立ち合いですが、今場所は、手術した右足への負担を考慮してか、すべて左足で踏ん張って右足から踏み込んでいました。

関係者によりますと、場所中も毎日、取組後には右足を中心に入念なケアを受け、疲労をためないように、朝稽古で稽古場に降りない日もあったということです。

こうしてすべてをかけて臨んだ復帰場所で全勝優勝を果たし、みずからこだわったきた強い横綱としての貫禄を示すことができたと判断し引退を決断したものとみられます。

かつては、新横綱になった直後に大怪我をして長期休場そして引退に追い込まれた稀勢の里関と共に、「とにかく休場をせずにほぼ毎場所出場する」力士だったんすけどね。今では全く信じられないでしょうが(苦笑)。

とにかく朝青龍関が引退した後は「ほぼ1強」状態で、時折、稀勢の里関や日馬富士関に黒星をつけられる程度で、それが両横綱が引退した後、残る唯一のライバル横綱だった鶴竜関も怪我がち、大関以下がなかなか歯が立たないで、やっと大関から怪我で序二段まで降格し、そこから這い上がって大関、更に横綱になった照ノ富士関がやっと大横綱と拮抗して戦えるかな?と思ってた矢先にこの引退を決めたというニュース。まあ言動などが年々アレになってきて「もうちょっとうまくやればいいのに」と思うことも多かったんですが、まあ願わくば、照ノ富士関がかつての朝青龍、そしてこの白鵬の「両大横綱」のような一強状態にならんように、他の力士、幕内上位勢の面々は必死に頑張って欲しいですね。

で、問題はそもそも「親方株」を取得して相撲協会に残れんの?という話ですが、こういう話も。

親方になるための審査は

力士が親方になる際は、通常105ある「年寄名跡」のいずれかを取得したうえで、相撲協会の「年寄資格審査委員会」に襲名を認められなくてはなりません。

白鵬は、ことし5月に年寄名跡を取得していますが、襲名が認められるかどうかは秋場所後の「年寄資格審査委員会」で議論されることになります。

白鵬は過去に取り口や言動が繰り返し批判を集めているだけに議論に影響することも考えられ、親方になることが承認されるかどうかが今後の焦点となります。

一方、白鵬が親方になるにあたっては「一代年寄」が認められるかも注目されていました。成績や功績が特に優れている横綱の場合、しこ名のまま親方の資格を得る「一代年寄」となることが認められてきました。

これまでに大鵬と北の湖、それに貴乃花の3人が認められていて、白鵬もかねてから一代年寄への希望を口にしてきました。

ただ、ことし4月、相撲協会が大相撲で守るべき規範を検討するために設置した有識者会議が提言をまとめ、その中で一代年寄について「名乗りを認める根拠は見いだされない」などと否定的な見解が示されました。

こうしたことから一代年寄が認められる可能性は低いとみられています。

「年寄資格審査委員会」…か。初めて聞いたな、それ。

もともと旧法の財団法人時代からなんとなく存在してたのか、公益財団法人になったから作られたのか、少し前に貴乃花親方をやめさせる前に「親方は既存の一門に所属してないといけない」みたいなルールを取ってつけたように作ってましたが、これまた白鵬向けに作ったのかはさだかではないですけどね。ただ、昔も、八百長の中盆をしてた(と言われているし、本人も実質認めていた)板井関が相撲協会に残れなかったのは現役時代のもろもろの言動もあり、当時の相撲協会上層部に睨まれたからという逸話もありましたし、なので公益財団法人になってきっちりと定められる前から、実は制度化はされてなくても「協会幹部や一門の総帥などの胸三寸」な感じでなんとなくあった制度なのかもしれませんね。実際にそれなりに指導力も政治力も兼ね揃えてたと思われてたのに、所属先の親方と不仲で現役引退してすぐに相撲協会を辞めた力士も数多くいますから。

と考えると、あそこまで言動がアレで明らかに協会幹部連中に睨まれていた白鵬は見た感じ一代年寄は無理そうで(あれももともとは「昭和の大横綱」大鵬に引退を促すための策だったらしいですしね)、一応、横綱経験者は5年間は現役時のしこ名で親方として残れるルールもありますし(ゆえに現在は鶴竜関は「鶴竜親方」として残ってます)、どこぞの噂では先代以前がことごとく早世したり大病したりして「呪われた親方株」と言われている「間垣」をこれまで稼いだ億単位のカネを出して既に取得してるという話もあるんですが、そもそも相撲協会に残してもらえんだろうかね、この人。

それと同時に思うのは、結局の所、師匠の宮城野親方(あと数年で停年になるそうですが)の年寄株を襲名できないようで、やはり師匠とは不仲だったんだな…と。あそこの相撲部屋ももともとは戦後まもなくの頃に苦労の末に横綱になった吉葉山という栃若ブーム直前の当代随一の人気力士が引退後に立ち上げた「吉葉山道場」がルーツで、その気になれば白鵬が自ら取得した年寄株と、宮城野親方の年寄株を交換して、白鵬が宮城野部屋を継承する、という選択肢も考えられなくはないんですがそういう話も出てこないで、何人もいる内弟子と共に独立が前提で話が先行してるってのは「まあ、そういうこと」だったんでしょうね。

いやー、現役時代の実績でいえば、大鵬・千代の富士・北の湖・貴乃花を凌駕しているものを持っているがゆえに本人は本人で「本気で相撲協会に残るんであれば」、相撲協会の理事長も目指す気もあるんでしょうが、現役時代にやりたい放題やって反感や恨みを買いまくって結局、親方になって出世できなかったり、肝心な場面(特に理事選挙、理事長選挙)で足を引っ張られた元横綱の相撲協会の幹部までなった人もいましたので、果たして白鵬にそういう「政治力」が備わってるのか否か。特に現役後半はモンゴル人互助会でどっぷりだったがゆえにさて、その手腕をごろうじろ。という見方もできなくはない…のですが、まあいずれにしても平成後期の大相撲を牽引した大横綱の引退、「遂にこの日が来たか」という意味ではやはり寂しいですね。

長い現役生活、お疲れさまでした。以上です。

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