・【中日】中田翔〝スピード決着〟の背景 ポランコとの交渉難航で消えた「幻の移籍候補」(東スポ)
世界の東スポさんに「らしい」記事が。しかし夕刊紙ならではの中身(?)とはいえ、シブチンなロッテ球団とか正鵠を射てる感じなのはさすが(^_^;)
巨人から自由契約となり、3日に中日への移籍を決断した中田翔内野手(34)。ゼロからの新天地探しに当初は長期化も予想された中で、ふたを開けてみれば2日に「交渉解禁即ラブコール」を送った中日への移籍を即決するなど、意外にもスピード決着となった。その裏では〝幻の移籍候補〟も存在していた。
相思相愛の移籍劇となった。中日サイドは立浪監督が同席のもと、交渉解禁となった2日に中田へ即アタック。2年6億円プラス出来高払い、日本ハム時代の背番号6を用意する三顧の礼で大砲の決断を待つと、その心意気に打たれた中田は翌3日には移籍する意思を伝えた。
チームの得点力不足に加え、ビシエドの成績低迷により一塁手の大砲候補が急ピッチで探されていた中で白羽の矢を立てられた中田。自身にとっても出場機会の増加が見込まれる点や、誠意ある条件提示がスピード決着の大きな要因ともなったようだ。
その一方で、当初から獲得に色気を見せていた大本命・中日以外にも「幻の移籍候補」があった。
「ロッテですよ。すでに一部でもうわさされていましたが、家族の生活を考える中田にとっては転居の必要がない千葉は好条件ですし、DHもあって出場機会の増加が見込めます。一発を打てる選手はチームとしても求めているタイプの一つでしたから」とはあるパ球団関係者。
では、なぜ大砲のロッテ入りは実現に至らなかったのか。そこには元同僚の「あの男」の存在があった。
「巨人から移籍して今季本塁打王を取ったポランコとの交渉が難航しているんですよ。ポランコの意思としては『来季も残りたい』としながら、条件面で渋ちんな球団との折り合いがつかず…。退団が早い段階で決まっていれば、ロッテも中田獲得に動いた可能性は高かったはずです」(前出関係者)
ポランコは中田と時を同じくして契約保留選手名簿から外れて自由契約となった。ロッテ側は今後もポランコとの交渉を継続する見通しだが、タイミングや条件などさまざまな事象が重なり合うプロ野球界。かくして「幕張の大将」誕生は幻となったようだ。
ま、真偽はさておき(笑/何しろ「日付以外は全部ウソ」でおなじみの世界の東スポさんですし…)、他の選手の年俸とのバランスから行くと「いきなり3億」はロッテからは出しづらい。中村奨吾や益田直也の新旧選手会長よりも「高い」んじゃやりづらいだろうし…と。
しかしポランコ様との契約交渉はどうなってるんだろう。レアード様・マーティン様が最後の年あたりでは確か(日本円で)2-3億円ぐらいまで行ってたような記憶があるし、せっかく30数年ぶりにロッテにホームラン王のタイトルをもたらした貢献者でもあるしできれば来季も…とは思うけど、これが4-5億円ぐらいふっかけられてたらそりゃ二の足も踏むかも知れないな。もっともロッテの場合は近年は「意外な掘り出し物」な選手獲得もうまくなってきてたので、新しい新外国人選手との出会いとその活躍も期待しちゃいたいんすけど(そういう意味ではブロッソー氏は気の毒だったが…)。
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パラ支援プロジェクトは他人事とは思えませぬ。
・【ロッテ】パラ支援プロジェクトで山口航輝、藤原恭大ら4人が千葉県内の特別支援学校で野球体験型授業(中日スポーツ)
うちも息子が先天的な発達障害持ちで特別支援学校に通ってるので、こういう企画はありがたいなーと(笑)。いろいろと励みになりますしね。
ロッテは4日、社会貢献活動プロジェクト「MARINES LINKS」の活動に盛り込まれている「パラ支援プロジェクト」の一環として。松川虎生捕手、小川龍成内野手、藤原恭大外野手、山口航輝外野手が千葉県流山市の千葉県立特別支援学校流山高等学園を訪問し、高等部3年生90人を対象に野球体験型授業を行った。
「パラ支援プロジェクト」は千葉県内の特別支援学校への訪問または球場への招待を実施し、球団が提供する「野球」や「ダンス」に特化したコンテンツで児童、生徒に体を動かす楽しみや喜びを味わってもらうことを目的としている。プロジェクトのパートナーとして、医療・介護用ベッド、医療福祉機器の製造・販売を運営するパラマウントベッド社と共に今年4月から2025年までの3年間で県内37校の特別支援学校と取り組みを実施予定。
「MARINES LINKS」はロッテの選手が中心となって行う社会貢献活動を球団がパートナー企業とともにサポートする社会貢献プロジェクトで、選手を中心にファン、地域住民、行政機関、パートナー企業などの球団に関係する人々全員を「LINK(リンク、つなげるという意味)」させたいという思いが込められている。
山口は「こういった機会はなかなかないので、参加できて良かったです。学生の皆さんと楽しい時間を過ごすことができましたし、野球の楽しさを改めて感じることができました」とコメントした。
で、一口に「特別支援学校」でも、小中高一貫なとこもあるし、小中と高が別だったり、肢体不自由児と知的障害児とあとは盲学校とかいろいろと種類があるんですね。ちなみにうちの息子が通ってるとこは、都立の小中高一貫で肢体不自由児と知的障害児の2つの部門が別れてるんですが、近年はいろいろとあって知的障害児の部門の児童・生徒が物凄く増えてるんだそうで、息子の通ってるとこは知的障害児部門の校舎を増設工事しています(都内でもかなり郊外なのと、元々廃校になった全寮制の都立高があった場所なので土地は問題ないんですね)。で、校舎もグラウンドも今の2倍ぐらいの広さの校舎になるそうですが日に日に新しい建物ができているのがわかるので「いやー、凄いのができるなー」と。
そしてここもコロナ禍前までは、プロスポーツやパラリンピックの日本代表の選手が授業で来たりしていて体育館などで出前授業などをしてまして、いろいろと正面玄関のとこには記念写真のパネルとかが飾られていて「あー、これはいいなあ」と(そして実際にここの学校が母校であるパラリンピックの代表選手もいるんだそうです)。もっともうちの息子が小学校に入った年がちょうどコロナが始まった年でそれ以降はそういうのは開催されてないんですが、もしかしたら今後は復活するかもしれないので、いい思い出づくりとして来てくれると嬉しいかなと思ってます。
以上です。
↑年俸激減した翌年の税金の支払いが大変だったろうな…。
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