・ロッテ佐々木朗希「初」の158キロ 新球も解禁し後半戦へ進化進める(日刊スポーツ)
うーん、エキシビジョンマッチゆえにノビノビと投げられたってのもあるんでしょうが…やっぱり佐々木朗希、ポテンシャルは半端ねえ(^_^;)
本日の #エキシビションマッチ は5対2で勝利しました!#chibalotte #広報 pic.twitter.com/33H1IR9OFU
— 千葉ロッテマリーンズ (@chibalotte) August 3, 2021
<エキシビションマッチ:中日2-5ロッテ>◇3日◇バンテリンドーム
ロッテ佐々木朗希投手(19)が後半戦に向け、期待を一気に高める投球を披露した。
無観客のバンテリンドームに、木製バットの鈍い音ばかりが響いた。「天候(条件)とか風もなかったので投げやすかったです」という初のドーム球場での登板で、中日打線を5回1安打に。芯で捉えられても、球威で食い込ませた。
5回無死一、二塁でも153キロでガーバーのバットを粉砕し、併殺にした。「指のかかりは良かったと思いますし、甘いところにいっても安打にされず、打ち取ることができて良かったかなと思います」。150キロ台中盤の球速を当たり前のように投げ込んでいく。
気配が漂う中でやはり、プロ入り後実戦での自己ベストも更新した。158キロ。初回、高2夏に関西方面への遠征で試合をしたこともある中日岡林(当時は菰野高)を直球、変化球で追い込み、ウイニングショットの直球が「158」と表示された。4回も岡林の初球に158キロを投げ、空振りさせた。
本人は「(今までと)1、2キロしか変わらないので」と話すのみ。大船渡高時代は157キロや160キロや163キロはあったが、実戦で158キロを計測するのは高校時代も含めて“初”。この夜は157キロも投げ、155キロでカウントを整え、直球平均球速も154・9キロとなった。
2回、オープン戦で直球6球のみで見逃し三振を奪ったビシエドには、今回はプロ入り後初解禁となるカーブから入った。エキシビションマッチならではのトライにも積極的だ。
前半戦は5試合に先発し1勝2敗、防御率は3・76。試合中盤に崩れるケースがあった。中6日での登板をクリアし「前半戦はふがいない投球が続いていたので、後半戦はいい投球ができるように頑張りたいです」と意気込む。シーズン後半も前半戦と同じペースでの登板になる見込み。ただ、着実に進化を進めている。
常時160キロとか163キロとか…はたぶん無理でしょうけど、それでも常時150キロ台後半以上出てるストレートに、そこに意表を突く緩急をつけたカーブとかを投げられるようになると再来年あたりは本当に楽しみになりそう。問題は種市投手みたいに投げ過ぎで肘を痛めて手術とかになってブランクができる事ですかね。そこらへんのケアと予防もしっかり頼みますです。
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ルーキーの河村投手に「まずはストレートをしっかり投げろ」と吉井コーチが。
・吉井コーチに説かれた“良い投手”の条件 ロッテドラ4右腕が2軍降格へて得た自信(Full-Count)
現在、千葉ロッテには190cmを超える長身の日本人投手が4人いるそうですが、そのうちのふたりが前記の佐々木朗希、そしてこの河村説人…なんですが、せっかくなんで長身を武器にしたいい投手になっちゃえ、と(笑)
中継ぎとして開幕1軍、7月に先発転向し初先発初勝利
悔しさ、嬉しさ、いろいろな感情を味わった。ロッテのドラフト4位ルーキー河村説人投手は、初めて過ごしたシーズン前半戦を冷静に振り返る。プロ初のキャンプを1軍で完走。練習試合、オープン戦ではリリーフとして6戦連続の無失点投球でアピールを続け、見事開幕1軍を掴んだ。
プロ初登板はいきなりやってきた。3月26日のソフトバンク戦、3点を追うの7回に敵地PayPayドームのマウンドに上がった。「オープン戦とは雰囲気も違いますし、緊張感がありました」。公式戦は打者の目つきが違った。“勝負の世界”の入り口に立ったと感じた、強烈な経験だ。
その初登板こそ失点したものの、続く5試合は無失点投球を続け「あまり考えずに、怖がらずに投げられていたと思います」。ただその後は9試合で計9失点と打ち込まれ、井口資仁監督に2軍での再調整を告げられた。
降格前、吉井理人投手コーチに声をかけられた。「良い投手はやっぱりストレートがいい。まずはストレートをしっかり投げろ」と。自身が武器にしてきた角度ある直球がもっと良くなれば、カーブやフォークなどの変化球をもっと生かせる。投球時の下半身の使い方などを見直しながら、直球の質にこだわった。
チーム事情もあり、将来的に挑戦したいと思っていた先発に挑戦
同時に「将来的には挑戦したい」という気持ちのあった先発での調整も始めた。1軍の先発ローテーションからは石川歩投手が右肩のクリーニング手術で離脱、美馬学投手も2試合連続で10失点という乱調で2軍落ちし、チーム事情が河村には“追い風”となった。2軍での先発3試合で計14回を投げわずか2失点。防御率1.29と適性を証明すると、1軍でのチャンスもすぐに回ってきた。
七夕の7月7日に初先発、相手はプロ初登板と同じソフトバンクだった。初めて本拠地ZOZOマリンのまっさらなマウンドに足を踏み入れると、自然と緊張感が走った。「リリーフとはマウンドからの見え方も違いましたし、全く違う感覚でした」と口にはしても、表情には出さない。いつも通りのポーカーフェイスで、192センチの長身から長い腕を淡々と振った。2軍で意識して取り組んできた直球の“質”にも手応えがあり「粘り強く投げられたと思います」。5回を投げ被安打2本、1失点という好投でプロ初勝利を挙げた。
「開幕1軍でいけたのは良かったですけど、思った通りにはいかなかった。1軍のバッターに数を投げることができましたし、(先発とリリーフ)両方できたのは凄くいい経験でした。1勝できたのがスタートだと思います」
37勝34敗の3位で東京五輪の中断に入ったロッテは、先発投手の不調に苦しんできた。先発に限った防御率は4.41でパ・リーグワーストだ。首位のオリックスとはまだ2.5ゲーム差で、再開後も激しい優勝争いが予想される。1974年以来となるパ・リーグ1位、さらに2010年以来の日本一へ、先発適性を示した長身右腕がまだまだ伸びしろを見せる。
○河村説人(かわむら・ときと)1997年6月18日、北海道勇払郡むかわ町出身。23歳。小学3年時に野球を始め、白樺学園高では3年時に夏の甲子園に出場。初戦で下関商に敗れた。その後は亜大に進学するも1年夏に中退。翌年星槎道都大に入学し、4年秋にはリーグ優勝に貢献し、最高殊勲選手賞を受賞。2020年のドラフト会議でロッテから4位指名を受け入団。192センチ、87キロ。右投げ右打ち。
ま、個人的にはわくわくさん・五右衛門のダブルエースだったり、ボルシンガー様が孤軍奮闘してた数年前を思えば、ドラフトの中・下位で高卒の二木・岩下・種市の3投手をしっかり鍛え上げて先発ローテの一角を占めたり…と、千葉ロッテも少しずつ「世代交代」と「新勢力の台頭」がなされてきてなあと思うと、感慨深いものもありますね。
将来的にはもしかしたら唐川とか佐々木千隼のように中継ぎをメインな戦場にしていくことになるかもしれませんが、願わくば投手コーチや監督をして「誰を先発ローテに入れて投げさせようか」と悩んじゃうぐらいの多士済々な新しい若い選手が出てくる事を祈っておりますです。
余談:オリンピックもすごい時代になってきたもんだ…。
こちらは余談ですが…。
・スケボー四十住さくら 金メダルの涙!大技「540」1本目で2度決めた(日刊スポーツ)
いやー、夏季オリンピックで日本人選手が1-2フィニッシュを達成する時代がまた来るとは(^_^;)
<東京オリンピック(五輪):スケートボード>◇4日◇パーク女子◇有明アーバンスポーツパーク
予選4位通過の四十住(よそずみ)さくら(19=ベンヌ)が金メダルに涙した。1本目の滑りでジャンプしながら1回転半する大技「540(ファイブフォーティー)」を2度成功。60・09点を記録し、両手を挙げて喜んだ。
銅メダルとなったスカイ・ブラウン(13=英国)とは、プライベートでも仲がいい間柄。写真撮影時には「スカイが泣いたから、泣いたんだよ、さくら」と口にし、うれし涙を流した。
で、もっとびっくりしたのが、
・スケボー12歳の開心那が銀メダル 西矢椛抜き日本人最年少(日刊スポーツ)
銀メダルを獲得した開選手が、先日、同じスケボー競技で金メダルを取った西矢選手の13歳10ヶ月という最年少記録を更新してました。まさか29年も破られなかった当時14歳の水泳の岩崎恭子選手の記録をわずか数週間で更新するとは…(;゚Д゚)
<東京オリンピック(五輪):スケートボード>◇4日◇パーク女子決勝◇有明アーバンスポーツパーク
12歳の開心那(ここな、=WHYDAH GROUP)が、銀メダルを獲得した。12歳11か月のメダル獲得はストリート女子の西矢椛(13歳10か月)を抜き、日本人史上最年少記録を更新した。
競技に出会ったのは幼稚園児だった5歳。スケートボードを見るのが好きだった母が「家族で一緒にできるスポーツをさせたかった」のがきっかけで、苫小牧市内の練習場に通い始めると「新しい技ができるようになったとき、誰かと一緒に滑ると楽しい」(開)と夢中になった。指導者はいない。小さなスケーターは先輩ボーダーを手本に新技を覚え技術を磨いてきた。
かつて自分の目標について、「世界で活躍できるかっこいいスケートボーダーになりたい」と無邪気に話していた天才少女。物おじしないライディングを見せた夏季五輪日本人最年少出場者は、真夏の東京で大きな偉業を成し遂げた。
◆開心那(ひらき・ここな)2008年(平20)8月26日、苫小牧市生まれ。5歳で競技を始めた。日本選手権は18年4位、19年優勝。趣味は絵を描くこと。得意科目は図工で上海の大会に出場した経験から、授業では針金で上海タワーを作った。好物はカレーうどんとカレーラーメン。名前の由来は南国好きの母が「ココナツ」から付けた。146センチ、34キロ。家族は両親と弟。血液型はO。
2008年…(大汗)。北京五輪の年に生まれたのか。それは若い、若すぎる(苦笑)
↑なんつーても、NHKの五輪特番に出てた水泳の北島康介選手が平泳ぎで2冠を達成した年に生まれてるってのがまた凄まじい(苦笑)
以上です。
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