・竜王戦 羽生竜王が敗れる 平成3年以来の無冠に(NHKニュース)
ある意味で「勝てばタイトル100期目、負けたら27年ぶりに無冠」というのが空前絶後すぎる…(;゚Д゚)
将棋の羽生善治竜王が、八大タイトルの1つ、竜王戦で敗れてただ1つ保持していた「竜王」のタイトルを失いました。羽生さんは平成3年から27年間続けてきたタイトル保持者の地位を失って、無冠となりました。
第31期竜王戦の七番勝負は、タイトルを持つ羽生善治竜王(48)と挑戦者の広瀬章人八段(31)が、3勝3敗の五分のまま最終局を迎えました。
最終局は山口県下関市で20日から行われ、互角の形勢が続きましたが、21日夕方以降、広瀬八段が攻め続ける展開となり、午後6時50分ごろ、167手までで羽生竜王が投了しました。
敗れた羽生さんはただ1つ持っていた「竜王」のタイトルを奪われ、平成3年から27年間続けてきたタイトル保持者の地位を平成最後の竜王戦で失って、無冠となりました。
また、前人未到のタイトル通算100期の達成は持ち越しとなりました。対局のあと羽生さんは、「結果が出せなかったのは、自分自身の実力が足りなかったからだと思います。また力をつけて、次のチャンスをつかめたらと思います」と話しました。
一方、勝った広瀬八段は初めて竜王を獲得し、平成23年に「王位」を失って以来7年ぶりにタイトル保持者となりました。
広瀬さんは「これほど注目される舞台は棋士人生ではないかもしれないので、とにかく悔いが残らないようにと思っていました。久々のタイトルなので、その名に恥じないようにしたいと思います」と話していました。
羽生竜王の足跡
羽生善治竜王は昭和45年に埼玉県に生まれ、小学6年生のときには全国の小学生が競う将棋大会で優勝して「小学生名人」になりました。
昭和60年、中学3年生で、加藤一二三さん、谷川浩司さんに次ぐ史上3人目の中学生棋士として15歳2か月でプロ入りを果たしました。
それから、わずか4年後の平成元年には、初めて挑んだタイトル戦の竜王戦を制して、当時の最年少記録となる19歳2か月で自身初のタイトルを獲得し、早くもトップ棋士の仲間入りを果たします。
その後も徐々にタイトルの数を増やし、平成8年、25歳の時に、当時の七大タイトルすべてを独占する史上初の「七冠」を成し遂げました。
若手棋士が台頭する中でも常にタイトルを保持し続け、去年12月には、現在7つある将棋の永世称号の資格をすべて獲得して、前人未到の「永世七冠」達成を果たしました。ことし2月には、将棋界で初めて国民栄誉賞を受賞しています。
一方で、最近は若手棋士の台頭を受けて、この3年間で「名人」「王位」「王座」「棋聖」のタイトルを奪われ「竜王」のみの一冠に後退していました。
平成3年以来…。クイズサークルの友人で、クイズと同様に将棋が大好きで地元の将棋クラブに通って段も取っているという人がいるんですが、彼が生まれたのがこの平成3年。しかも生まれる直前からこの羽生竜王の記録は続いてたらしいんで、彼にとっては「人生で初めて、羽生善治が無冠になった瞬間」を見ることになったんだな…と。
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まさに「勝って騒がれるよりも負けて騒がれる人」だな。
この「勝って騒がれるよりも負けて騒がれる人になれ」の言葉の意味を説明しますと…かつて戦前の昭和の大横綱・双葉山が現在も最高連勝記録として破られていない69連勝を引っさげて前人未到の70連勝をかけた一番(昭和14年1月場所)で、出羽海部屋の新進気鋭の力士・安芸ノ海との初顔合わせの一戦で遂に連勝がストップしてしまう…ということがありました。
この世紀の大金星の後、安芸ノ海は国技館から出羽海部屋に帰る途中に観客や群衆にもみくちゃにされながらどうにか部屋に戻ってきて、大喜びで部屋の師匠に報告したそうなんですね。その際に出羽海親方に諭されたのが、
「勝って騒がれるのではなく、負けて騒がれる力士になりなさい」
という言葉だったそうです。つまりは「はしゃぐな。お前の相撲人生はまだ先が長いんだぞ」と。
その後、安芸ノ海は「あの双葉山関に勝った自分がみっともない相撲は取れない」と更に一念発起して、更に稽古を重ねてこの3年後の昭和17年に横綱に昇進するほど大成することになるわけですね。ちなみに現在は年6場所制なんですが当時は1月場所と5月場所の年2場所しかなく、実質的にはこの大金星から9場所後に横綱に昇進して双葉山に「追いつく」ことになった次第でした。もっともこの一番以降、双葉山には一度も勝てないままだったそうですが(汗)。
でもあっさりと「名人位」を最年長記録で奪還しそうだ(^_^;)
…てな逸話を思い出しちゃいましたね。まさに「負けて騒がれる」存在になるこの凄さたるや。もっとも羽生前竜王は名人戦挑戦権がかかる順位戦でも好調をキープしてるようですし、来年秋には49歳になるので来年もし名人戦に進出して名人を奪還すると、かつての米長邦雄名人が持っている「49歳の最年長名人記録」に追いつき、その防衛すればその最年長名人記録も更新するとこまで来てるんですね。
ちなみにその米長名人、他のタイトルは比較的に容易に勝っていて「名人以外で3冠王、4冠王」とかの時代もあったそうですが、ライバルだった中原誠名人や、大先輩にあたる大山康晴名人の「壁」に跳ね返されていて、この49歳での名人位獲得が「最初で最後の名人位」だったそうです。そしてその米長名人から初防衛戦でいきなり名人位を奪ったのが、当時24歳の名人戦初挑戦の羽生竜王だった…というのがまた(苦笑)。いやあここらへんの歴史や因縁は調べれば調べるほど「おもしろい」ですわ、ええ(苦笑)。
しかしこれで羽生氏が終わるとは到底思えないなあ…。さすがに年齢的な意味では棋力は少しは落ちてるかもしれないし、平成生まれ・下手すりゃ21世紀生まれ新進気鋭の棋士がどんどん出てきてるのも事実なんですが、還暦過ぎてもタイトル戦にひょっこり顔を出して平然とタイトルホルダーになってるような気がしてならんですわ。
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