ちょいとしたトリビア的な話なんですが、そういえば…と、思い出した話として。
数日前に、mixiやFacebookで、旧知のさだまさしファンの知り合いが同じことを話題にしてました。この2016年8月11日という日についてなのですが。
かつての大ヒット映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー2」で、主人公のマーティーがタイムマシンのデロリアンで未来に行く、というストーリーがありましたが、その未来に訪れた日が2015年10月21日で、厳密には2015年10月21日午後4時29分…という時間だったそうですが、それに合わせて映画館でイベントが行われた、という話でした。
まあ映画の世界では「ジョーズ19」という3D映画が流れてたんすけどね。スピルバーグ監督の息子さんが作った、とかいう。それと1980年代を模したカフェではマイケル・ジャクソンの映像が流れてて「ああ、マイケルは2015年を迎えられなかったんだなあ」とか、軽くしんみりしたりとか。
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さだまさしの「空缶と白鷺(しらさぎ)」という曲で…。
まあそれと似たような話が、一部の、しかもコアなさだまさしのファンの中で話題になってました。
それは1984年11月に発売された、さだまさしの「Glass Age ―硝子の世代―」というソロ9枚目のアルバムがあるんですが、その6曲目の「空缶と白鷺(しらさぎ)」という曲の歌詞の話題でした。
こんな歌詞、なんですね。
白鷺が一羽 一輪の白菊の様に
汚れた河のほとりで 空缶に埋もれ
静かに 水をみつめてるかくれんぼを知らない子供が増えたって
誰かが話してた
ひとり暮らしの老人達が増えたって
誰かがつぶやいた
僕がこんな風にお前を抱きしめている時に
何処かで誰かが お腹を空かせて死んでゆく
ああ いつだって
彼らを追いつめているのは僕だった
そう そのくせに
手を差しのべるふりするのも僕だった
それが時代の正体だと嘘を承知で
笑える程に 大人を演じ
ふと気がつけば 僕は卑怯な顔になった世論調査では国民の九割が
中位満足してるって
何かとひきかえにこの国も
一流の服だけ手に入れた
僕がこんな風にお前を抱きしめている時に
何処かで誰かがピストルに射たれて死んでゆく
ああ いつだって
失くしたくないものたちが多すぎて
そう そのくせに
失くしたあとで気づくものばかり
それが幸福の証しだと嘘を承知で
悲しみながら 迷いながら それでも
精一杯に 誰もが 現在を生きている2016年の夏に子供が
今の僕の歳になる
その時代は彼に自由に唄を
唄わせてくれるだろうか
卑怯な顔になって生きることに
彼が迷う頃に
僕は何かの 答えを出せるだろうか
この当時、さださんは32歳。シンガーソングライターとしては最もコンサート回数をこなし始めてた時期で、翌年1985年にはソロになって通算1000回目のコンサートに到達することになります。
ちょうど映画「長江」の大借金を抱え始めた頃でした…。
ところが、実はこの数年前に、さださんは中国大陸を流れる大河を舞台にしたドキュメント映画「長江」を監督・制作した際に、当時の日本のドキュメント映画としてはそこそこヒットした…んですが、あまりにも映画製作費がかかりすぎて、約28億円、金利を含めると約35億円の負債を抱えてしまい、最も多い時期で年間150-160回近いコンサートツアーを強いることになってしまった、というその初期の頃の歌でした。
…ついでに書くとその借金は20数年かけて完済することになります。更に結果的にはこの借金返済の為のハイペースなコンサートツアーの回数の結果、1993年には通算2000回、2002年には通算3000回、2013年には通算4000回目を達成することになるわけですが、よりによって4000-4001回目のコンサートを日本武道館で2デイズで開催する、という快挙も達成することになり、「日本で最もコンサート回数をこなしている歌手」というどえらい記録も持つことになってしまったんですけどね。
「2016年の夏に子供が今の僕の歳になる」→そして時間が追いついた。
…そんな頃のアルバムだったんですが、この1984年に息子さんが授かったばかりだったそうです。
で、歌の後半部分に、
2016年の夏に子供が
今の僕の歳になる
その時代は彼に自由に唄を
唄わせてくれるだろうか
卑怯な顔になって生きることに
彼が迷う頃に
僕は何かの 答えを出せるだろうか
という歌詞がありまして…。
で、今日、2016年の8月11日がさださんの子供さんのお誕生日であり、その子供さんの年齢が、今日、その当時のさださんの年齢に追いついた…ことが話題になってたわけです。なお、さださんにはお子さんが二人いて、そのうちの第一子である息子さんの方にあたるわけですが…。
では、その「さだまさしの息子さん」は…というと。
そのさださんの息子さんは、というと、現在はヴァイオリニストとして活動されていて、現在は「TSUKEMEN」というヴァイオリン×2、ピアノ×1の音楽ユニットで活躍されています。
お父さんのさださんが、当初はヴァイオリニストを目指して中学生になったのと同時に長崎から上京するもそれを果たせなかった(主に音楽系の高校に進学する受験に失敗した、とか、己との葛藤でヴァイオリンを手放したなど)…という苦い経験があるんですが、息子さんの方はしっかりとその道を歩んでクラシック音楽のヴァイオリニストとして活躍されています。
で、年齢が倍になったさだまさし氏は未だにご健在で(汗)
…で、さださんの方もあの歌から32年たってその頃の年齢の倍になったんですが、まだまだ現役バリバリですし、毎月1回、NHKの深夜のテレビ番組に出て、
こーんな紙を掲げて公共放送で勝手な事をパアパア言っておるわけですが(笑)。
で、最近はこの「生さだ」などのおかげで若い層のファンも増えたんですけど、さださん自身、歌手生活40年を超えて、ファンもそれなりに歳とファン歴も重ねてる(苦笑)んで、昔聞いた楽曲を聴きなおしたり、アルバムのライナーノーツの歌詞などを改めて見直したりして、「あっ、そういえば!」って気づいた人も少なくなかったみたいですね。
※しかしすげえなあと思うのは、この日が今年から祝日になるなんて(←関係ねえよw)
さだファンも20年30年40年聴き続けてる人が多いもので…。
かくいう私もさださんを知ったのは中3の時のラジオの深夜放送(文化放送で「セイヤング」という番組をやってました。今の「生さだ」が毎週放送されてたような感じでしたね(笑))でしたし、この曲が入っている「Glass Age ―硝子の世代―」というアルバムをはじめて聴いたのは、高3の時の地学の先生が、たまたまさだファンだったことを知って理科の職員室に訪れて話をした際に「心して聞けよ」とか言われて借りた思い出があるんですね。それですら、もう24年前の話ですから…。
いやあ思うに、30年40年とファンを続けてるコアな人たちからすると、さださん親子のご活躍ぶりを思うに、目を細めていろいろと考えてるんでしょうね、今日この日は。
余談:我が家の場合は…。
これは余談なんですが、うちの息子が今の私の年齢に達するのは39年後の9月4日。西暦で言うと2054年9月4日ということに。うちの夫婦は結婚してから10年目でやっと子供を授かったので(1度流産も経験してますので)、ちょっと遅くにできた子供なので…生きてれば私は81歳に。うーん、その頃まで生きてる自信がまったく無い(号泣)。