・「プロ野球90年」ぺこぱ・松陰寺太勇さんのマリーンズ愛 「俺たちがついてるぜ」の横断幕を見て「かっけーな、ロッテファンやめんとこ」と思いました(47NEWS)
昨日、ぺこぱの松陰寺師匠の記事を拝読してまして「うん、わかる。優勝したら一緒に泣きたいねこの人たちと」としみじみと(感涙)
えらく引用が長くなるんですが「どこを切るのも惜しい」いい記事なんで、ちょっと分けてご紹介しますね。
発足から90年を迎えたプロ野球への思いを聞くインタビューシリーズ。お笑いコンビ「ぺこぱ」の松陰寺太勇さんは大のロッテ好き。熱い応援で知られるマリーンズファンの心情を熱弁してくれた。
▽前髪の長いファースト
おやじが巨人戦を見ていたので、最初は必然的に巨人ファンでした。駒田徳広、原辰徳、クロマティ、あとはモスビーとかバーフィールドとか。あの辺は覚えています。岡崎郁がサードをやっていて、センターが緒方耕一。それが一番最初の野球の記憶かな。
2年生のころに少年野球チームに入りました。捕れなかったボールが捕れるようになったときとか、芯に当たって打球が内野の頭を越えたときに、やっぱり野球楽しいなあと。決してうまくはなかったんですけど、夢中になってやっていましたね。プロ野球選手になるっていう夢を文集に書いた覚えがあるなあ。
野球歴はちょっと変わっていて、少年野球から中学校で野球部に入ったけど、高校ではバンドがやりたくて丸刈りがいやだったので入らなかったんです。3年生の時に野球部の部員が足りなくなって、経験者だったのでキャプテンから声をかけられました。その野球部は丸刈り推奨で、長くてもスポーツ刈り。僕はバンドをやっていたので、前髪が命じゃないですか。「丸刈りじゃなくてもいいなら」と答えたら、「それでもいいから頼むから入ってくれ」と言われて入りました。野球部の顧問はめちゃくちゃ怖かった体育教師だったんですけど、「本当にありがとう」と頭を下げてくれましたね。
ポジションはファースト。先輩から代々受け継がれていた伝統のファーストミットがあったんですが、前髪が長いやつがその伝統のミットで守っていました。
今は統廃合でなくなってしまった山口県の光が丘高校という学校で、夏の大会の最高成績の3回戦までいって、甲子園にいった宇部商に負けました。キャプテンは本当に大変だったと思います。人がいないところから何とか10人まで集めて。最終的に3回戦までいって負けたんですけど、終わった後にめちゃめちゃ泣いてましたね。悔しさもあるだろうし、ちょっとやれたという充実感もあっただろうし。僕は思い出が2、3カ月だったので、全く涙は出なかった(笑)。
いやー本当に松陰寺師匠、野球少年だったんすね…。
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なんかロッテファンになった経緯とかが「他人とは思えない」(^_^;)
で、この次辺りから千葉ロッテが出てきます。
▽ロッテって何や
小さいころは巨人ファンだったんですけど、スーパーファミコンで野球のゲームをやるようになって、そこでパ・リーグというのがあるのを知った。チームを選択する画面の端っこの方にロッテっていうのがあって、「ロッテって何や」と思って選んだらユニホームがピンクなんですよ。弱そうだなと思ってプレーしてみたら、聞いたこともない選手がいっぱい。でも弱いチームで優勝したいと思って使うようになりました。
テレビのニュースでは「その他の試合の結果です」みたいな感じで紹介されて、だいたい負けてる。「また『ロ』負けてるやんけ」と思いながら、新聞で成績をチェックするようになって、たまにBSで中継があるときは「初芝(清)ってこんな顔なんや」とか、「堀(幸一)ってこんな打ち方なんや」とか、どんどん気になるようになって気付いたらファンになってました。
地元の山口県に住んでいた時は、福岡が近かったので夏休みによくダイエー対ロッテを見に行きました。あのときのレフトスタンドのマリーンズファンは格好良かった。今のようなビジター席の仕切りがない時代で、20~30人ぐらいしかいないんですけど、めちゃめちゃ声を出して応援するロッテファンを見て、途中からそこに交じって応援してました。やっぱりあの応援が、好きになるきっかけの一つでしたね。ただゲームで使っているだけだったら、ここまで好きになってはいなかったかも。ロッテの応援歌は歌詞が覚えやすい。鳴り物がなく、手拍子と声だけで選手に届ける応援スタイル。ビジターのドーム球場で応援するのが結構好きですね。音が反響するのが気持ちいい。もちろんZOZOマリンスタジアムのライトスタンドもいいんですけど、ビジターでホームを圧倒する応援をするのはすごく楽しいです。
不思議なもので、弱いチームということに慣れすぎているので、首位に立つとそわそわします。2021年にマジックが点灯したけど、「いつ誰が迫ってくるんだ」って落ち着かなかった。もちろん勝ってほしいし、優勝してほしいんだけど、落ち着くか落ち着かないかで分類するとBクラスの方が落ち着いちゃいます。2017年は鈴木大地以外は誰も打たなくて絶望的に弱かった。これだけ弱いと応援する気もなくなるかなと思いかけたけど、でも「俺がやめたらこの子は誰からも応援されなくなっちゃうんじゃないか。俺がやめちゃだめだ」って妙な責任感を感じた。
もちろんプロ野球記録の18連敗があった1998年も応援してました。黒木知宏が打たれて、膝から崩れ落ちて。あの時もつらかったけど、テレビのニュースでロッテファンが掲げる「俺たちがついてるぜ」という横断幕を見て、「ロッテファンかっけーな。絶対ファンやめんとこ」と思った。今もめげずにやっているので、もう一生ロッテファンだと思います。
調べたら、松陰寺師匠は私よりも9歳年下なんですね。にしても元は巨人ファンでした、ってとこも含めてまるで他人とは思えないエピソードでびっくりでした。
私の場合は最初のロッテに触れたきっかけは小学校高学年の頃に出た「初代ファミスタ」。最初は巨人を選んでたんですが途中からロッテ+日ハムの「フーズフーズ」を選んで遊んでましたね。というのは「おちあい」が猛烈に打つのと「むらた」のフォークボールが誰も打てずにびっくりでしたので(笑)。たぶん小学校低学年だった弟が巨人が良いと駄々をこねて仕方なし選んだのが「フーズフーズ」だったと思うんですが…なお弟は後に阪神→ロッテファンに鞍替えしてましたが(苦笑)。
で、松陰寺師匠の最初が「スーパーファミコン」だったのが9歳差のほんのちょっとの時代のズレを彷彿とさせるようでいいなあと思いましたね。あとこれは余談ですが、息子が通っている特別支援学校(都立の小中高一貫校です)では歴代の小学部の6年生は卒業作品を作って長く廊下の壁に飾られているんですが、ある年の卒業制作のタイトルが「平成時代のゲーム機」というやつで、一番最初がスーパーファミコンなんすね。「おい待て、昭和時代のファミコンやPCエンジンは無視かよ」と最初はツッコミを入れてたら「平成時代の」というキャプションで「ま、そうだな。この子たちの親世代が子供時代のものだしな」と妙にその世代のギャップと時間の経過に驚いてしまったということがありましたが…あ、話がズレた。
なんか「同じ時代を生きてきたんだなあ」感がいいですねー。
で、記事に戻ります。このあたりはもうリアルタイムだったので…。
▽優勝で歓喜の歌
印象深かったのは、ボビー・バレンタイン監督が率いて日本一になった2005年。プレーオフの第2ステージは福岡ドームでしたが、さすがに福岡まで行けないので、毎試合マリンスタジアムのパブリックビューイングを見に行きました。
連勝して王手をかけて、9回に4点リードで絶対的守護神の小林雅英が出てきた。「もう勝ったやろ」と思ったし、ビールの売り子の人は最後の瞬間はみんなで乾杯しようとただでビールを配り始めたんですけど、どんどん打たれて延長でサヨナラ負けしたんです。みんなビール持ったままなんですよ。乾杯しそこねて、そのうちに雨まで降ってきちゃって、今までで一番味がしないビールでしたね。
連敗で2勝2敗になって第5戦。当時付き合っていて僕が無理やりロッテファンにした彼女と、段ボールに白テープを貼って黒字で「優勝」と書いたボードをつくって千葉マリンに行きました。リードを許す展開だったんですが、7回に絶体絶命のピンチでライト前に抜けそうな当たりをセカンドの早坂圭介が超ファインプレー。追加点を阻止して、8回表に初芝清が代打で出てきた。外の球を引っかけてゴロを打ったら、サードとショートがぶつかって内野安打になり、福浦和也がヒットでつないで1、2塁。
ここでサブローが強攻策でファウルフライに倒れた。送りバントかなというところで凡退して1アウトになって、「うわ、これでゲッツーで終わりやろな」と沈みかけると、パブリックビューイング越しに、福岡ドームのレフトスタンドから一番盛り上がるチャンステーマが流れるのが聞こえてきたんです。「あ、福岡のファンはまだまだ諦めてねえぞ。俺らがここでちょっとでもネガティブな感情を持ったらだめだ」と思ったら、里崎智也が初球を左中間へ持っていった。当時まだビジョンが大きくなかったので、打球はよく見えないんですけど、外野手が2人ともフェンスの方を向いていたので「外野は越えたんや」と。フェンス直撃のタイムリー二塁打で、ランナーが2人とも帰ってきた。
みんな「うわー」って盛り上がって、泣いているお客さんもいて、ぱっと見たら彼女も泣いてました。俺も泣きたかったんだけど、逆転負けの試合から流れが悪かったから、「この内野席を俺が統率せな」みたいな変な感情が湧いてきて、「まだ終わってないから。1点勝ってるだけだから」ってみんなに言い聞かせてました。
9回に小林雅英が出てきて、その時は売り子さんもビール配らなかったですね。ベンチの選手も、逆転負けの時は4点差があったから胴上げに備えて前のめりだったんですけど、この試合ではみんな深く腰かけてた。「学んでるわ。選手もファンも」と思いました。フォアボールでランナーは出したんですけど、2アウトになって最後のバッターは川崎宗則。詰まったフライが上がって、レフトが捕った瞬間に大号泣でみんなとハイタッチ。「優勝」って書いたボードを出して、歓喜の歌を歌ったら、翌日の東京中日スポーツに写真が載ってました。マリンスタジアムからの帰りは駅まで歩いて15分ぐらいなんですけど、みんな歓喜に浸っているから、誰かがロッテの応援歌を歌ったらみんな集まってくるんですよ。みんなで歌って、ちょっと歩いちゃまた歌って、駅まで1時間ぐらいかかったのを覚えてます。
▽幕張のファンタジスタ
僕も右バッターで、サードで眼鏡をかけていたので、初芝さんの打ち方をまねしたりしてました。人さし指を立てて構えて、ちょっと首を振るような仕草をまねした時期もありました。
初芝さんは「幕張のファンタジスタ」。守備を見ていてわくわくするんですよ。ファウルフライを捕りにいって、そのままスタンドに消えちゃったりとか、自分で自分のグラブを踏んでエラーしたりとか。ファーストでも、足を離すのが早すぎてセーフになったことがありました。
でもバッティングは本物。当時、右バッターであれだけホームランを打てるロッテの選手はいなかったので、初芝さんが打席に入ると期待しました。松坂大輔からホームランを打ったのも覚えています。試合前の打撃練習をレフトスタンドから見ていると、初芝さんの打球が一番飛んできました。
やっぱり、プレーオフの奇跡のサードゴロですね。1点差で負けてて、あと2回しか攻撃がなくて、前の回にファインプレーをした早坂に代わって先頭打者で出てきた。当時、既に引退を発表していたんです。それまで弱いロッテを支えてきた初芝さんが、あそこで代打で出てきて、何でもないサードゴロが内野安打になったところから日本一に上り詰めた。ただのサードゴロですからね。やっぱり幕張のファンタジスタ。
私は自宅、当時は仕事の関係で市川市のアパートに住んでましたが…のテレビで全て中継を見てましたね。あと一歩のとこでコバマサが打たれたのも、最終戦で初芝清が奇跡のヒットを打ったのも里崎智也が起死回生の逆転タイムリーを打ったのも今でも思い出すと胸が熱くなりますねー。と同時に、巨人ファンの妻が「そんなにコバマサしかいないの?他の投手でもいいじゃん」と呆れ返ってきたのと、私自身も「いやいやコバマサだから、ソフバン相手に何が起きるかわからんから浮かれたら危険だ」と、スリーアウトになってゲームセットになるその瞬間までとても浮かれる気はなれなかったのは…あー、千葉マリンのパブリック・ビューイング先でも同じだったんすね(苦笑)。
あとあのリーグ優勝を決めた試合、長年の友人がやっぱりパブリック・ビューイングを見に行ってましたが、いつもはおっとりしてて極めてクールな友人が電話先で言葉にならずに大号泣してました。いやーあれでもうもらい泣きでしたねえ…。
そしてこの友人の大号泣と共に改めて気づいたのが、
引退がのびたな
泣かすなよ…問題児のクセに…スラムダンク 桜木花道 木暮公延 pic.twitter.com/efZeVlSilo
— やる気が出る漫画の名言 (@sanma_wakame) October 18, 2015
初芝清の引退が少しだけ延びた、これに尽きますね。いやーメガネくん共々初芝清も自分でこじ開けたねえ(感涙)。
そして最後の方でも実にいい事を言ってくれてます。
▽ロッテファンいるからね
プロ野球がなかったら、俺を形成しているもののうち7割ぐらいがすっからかんじゃないかな。野球がなくなったら、何を目標にやっていけばいいのかなっていうくらい。ロッテが勝っているのかどうかの速報を見るときが、1日のうちで一番心拍数が上がります。負けていたらへこむから収録の合間には見ない方がいいんですけど、見ちゃいますね。収録が終わって「どうせそのまま負けたんだろうな」と思いながら見たら勝っていたときがやばいですね。そこが一番楽しい。
映画やコンサートやテーマパークは、行けば楽しい時間が確約されている。でもプロ野球って最低の試合を見せられることもあるわけですよ。行けば絶対楽しいわけじゃない。なのにこれだけお客さんが来るのは、いい試合だった時の充実感には何も勝てないからじゃないですかね。行ってみないと、楽しいか楽しくないか分からない。だからやめられないんじゃないかな。
ロッテにはもちろん優勝してほしいし、常勝軍団になってほしいですけど、プロ野球界の「センター」でないことは自覚している。でも見ていてわくわくするチームというか、読めないチームなので、プロ野球界の中で「ロッテならそういうことがあっても変じゃないな」というような、くせ者的な球団であってほしいなと思います。
「ロッテファンです」と言うと「なんでロッテなんですか」という返しが必ずあるんですよ。そろそろ、それがまあまあ失礼だってことに気付いてほしいですね(笑)。いるからね、ロッテファン。ちゃんとね。
これは物凄くわかりますね。私自身が贔屓にしているのは千葉ロッテマリーンズ、そしてサッカーではヴァンフォーレ甲府。この両チームともそもそものきっかけは「ロッテが1998年の18連敗、甲府が2000年の19連敗…とめっぽう弱かったから判官贔屓で応援しはじめた(そして甲府は経営危機・チームの消滅危機まで招いてました)」ので、基本的には「負け覚悟」でスタジアムへ生観戦しに行ってます。と同時に「相手チームのいいとこもちゃんと見てみたいし、仮に負け試合でもロッテ(甲府)の選手の個々のナイスプレーは見てみたい」という感じで見に行ってるので、相手チームも好きなチームってことが多いです。具体的にはロッテの場合は西武か日ハム、甲府の場合はその日程にもよるんですが(今は共にJ1にいる)新潟や湘南とかが多かったような。まあ勝率はあまり良くないんですけどね…うん、甲府も早いとこJ1に戻れるように頑張りましょう(苦笑)。
最後に、個人的には近年はM-1グランプリは「生放送で見てると心臓が痛くなるぐらいのヒリヒリ感が辛い」のと「自分の笑いのポイントと、世間や審査員とのそれが明らかに違う」ので、年が明けてしばらくした頃にゆっくり録画したのを見るようにしています。
で、過去の出場者の中で私自身の中では、
実は「ぺこぱ」が一番大爆笑するぐらいおもしろかった
んですね。この年ファイナルに進出して3位だったんですが、優勝したミルクボーイも、2位だったかまいたちも実におもしろくて良かったんですが、ぺこぱの松陰寺師匠のキャラクターにもう腹筋が壊れるんじゃねえのかってぐらい大爆笑でした。まああの松陰寺師匠のメイクだけでお茶吹きそうになってましたし(爆)。
※ゆえに私自身は松陰寺氏のことを「松陰寺師匠」「ぺこぱ師匠」と勝手に呼んでいる始末で(以下略)
なのでこの時は松陰寺師匠がロッテファンというのは全く知らず、後から知って「なんとなんと」と驚愕しつつも、いやー本当に売れっ子になっていいタレントさんたちになってほしいなと強く願った次第でした。今もたびたびいろんなとこに出てきて売れっ子のようですし、東京の芸人として一時代を築き上げてほしいなと思ってますです。
以上です。
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