・タモリ「異例の沈黙」はなぜ称賛されたのか 背景に「視聴者の不満」識者が指摘(J-CAST)
この番組、たまたま書類整理とかをするついでにBGMがわりにして見てたんですが…「あえてしゃべらんでも番組が成り立つんだな」という点にびっくりした。ただ安いタレントはこれ真似できないでしょうね(苦笑)
タレントのタモリさんは2022年3月18日放送の報道特番「タモリステーション」(テレビ朝日系)に出演した。自身の冠番組でありながら番組中ほとんど言葉を発さず。それにもかかわらず、放送後にはネット上で称賛の声が相次いだ。
識者は、ワイドショーなどで「的外れ」なコメントをする芸能人コメンテーターに不満を持つ視聴者にとって「沈黙を貫くタモリさんの態度はひときわ誠実なものに見えたのでしょう」と分析する。
■「チャンネル間違えたかと思った」
「タモリステーション」はタモリさんをMCに据え、旬な話題を掘り下げる特別番組だ。22年1月28日に放送された第1回では、米大リーグ・エンゼルスの大谷翔平選手を特集。タモリさんは少年時代の憧れだったという福岡ソフトバンクホークス・王貞治会長と共演し、積極的に質問をぶつけていた。
3月18日放送の第2回では「~欧州とロシアの狭間で ウクライナ戦争の真実~」と題し、緊迫化するウクライナ情勢を特集。ロシアによる侵攻の背景やウクライナの現状を専門家の解説とともに、生放送で掘り下げるという触れ込みだった。
太平洋戦争終戦直後の1945年8月22日に生まれたタモリさん。教養バラエティ「ブラタモリ」(NHK総合)では、毎回豊富な知識で専門家を驚かせているだけに、どんなことを語るのか注目されていた。
しかし、タモリさんは番組冒頭であいさつを終え、ポーランドで取材する大越健介キャスターを「気をつけて取材してください」とねぎらった後、一切無言に。番組では現地ウクライナの映像や軍事の専門家による解説、各国からのリポートなどが放送されたものの、それにタモリさんが口をはさむことはなかった。
約2時間の生放送が終わろうとしている頃、テレビ朝日・大下容子アナウンサーからコメントを求められると、タモリさんはようやく口を開いた。
「こうしている間も、大勢の人がウクライナで亡くなっているわけですね。というより、殺されているわけですから…色々ありますけど、一日も早く平和な日がウクライナに来ることを祈るだけですね」
冠番組にもかかわらず、ほとんど口を開かなかったタモリさん。ツイッター上の視聴者からは「タモさん一言も喋ってない」「タモさんはなんでおるん?」「チャンネル間違えたかと思った」と困惑の声が聞かれていた。
東国原氏が絶賛「ある意味遺影の様だった」
しかし、それ以上に目立っていたのが、「聞き役」に徹したタモリさんへの称賛だった。
「凄みを感じた」
「専門家の話を聞く事に徹した。そのわきまえた姿勢こそが素晴らしい」
「ただただ平和を願うだけ。それでいいんだ」ワイドショーにコメンテーターとして出演する機会も多い元宮崎県知事の東国原英夫氏は3月19日、ツイッターで「驚いた。タモリさんが何も喋らない。2時間生OAで、確か3カ所程で一言二言。ハシビロコウの様に動かず、ある意味遺影の様だった。しかし、その存在感は半端無く、『沈黙』が逆に『雄弁』を物語っていた」と評した。
お笑い評論家のラリー遠田氏は3月23日、J-CASTニュースの取材に、「タモリの沈黙」が称賛を集めた理由をこう分析する。
「最近、芸能人がコメンテーターを務める番組が増えていて、社会問題や芸能ニュースについてコメントをしている光景をよく見かけるようになりました。そんな専門的な知識を持たない芸能人のコメンテーターが、訳知り顔で的外れなことを言ったりすることに対して、潜在的に不満を抱えている視聴者も増えているのかもしれません。そういう人たちにとっては、沈黙を貫くタモリさんの態度はひときわ誠実なものに見えたのでしょう」
「誰もが沈黙することを許されているわけではない」
一方で、遠田氏は「しゃべらないだけなら誰でもできる」とし、「タモリさんがここまで絶賛されたのは、これまでの仕事ぶりによってタモリさんが多くの視聴者から揺るぎない信頼を得ていたからでしょう」と、タモリさんが築いた「信頼」が称賛を生んだ要因だったと分析する。
「『あのタモリさんがやっていることだから何か深い意味があるに違いない』と思われていること自体が、タモリさんの偉大さを表していると思います。この放送以来、すべての情報番組で芸能人コメンテーターが一斉に沈黙して、ウクライナ問題について何もしゃべらなくなった……などということは起こっていないのが何よりの証拠です。『タモリの沈黙』だから価値があるのであって、誰もが沈黙することを許されているわけではないのです」
子供の頃はタモリって人のタレントとしてのおもしろさがまったくわかんなかったんですけどね。
好転するきっかけになったのは「タモリ倶楽部」で、「空耳アワー」もそうですが、あのユルくも要点(ツボ)はしっかりと抑えていて、毎週見ていて飽きないってとこに後から「あ、これはすごいわ」って思ったのは事実ですね。これは(レギュラー番組を持ってた頃の)とんねるずもそうなんですが、あの人達のすごいとこは「他の番組以上に構成作家やスタッフがしっかりしていること」と「タレントが意図をしっかり汲み取って過不足無く番組としてやってのけるから、さらに構成作家やスタッフが充実した仕事ができる」という点じゃないのかなあ、と今更ながらに思いますね。
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私自身も年々「ま、俺が喋る必要なくね?」と思うように。
と同時に私自身、そろそろアラフィフの域に入ってきて数年が経過するんですが、所用でもプライベートでも趣味でも、もともと饒舌な方ではあるんですが40代に入ってから年々、
「ま、俺がここでいちいち喋る必要なくね?」
っていう内心の葛藤が起きるようになりましたね。10代20代の頃はむしろ喋りたくて仕方がなく、無口な環境に置かれると非常にストレスがたまってたんですが、介護離職する前の某郵便配達の頃に、同僚の契約社員の人(自分よりも5歳ぐらい若かったようです)がオタク風情で仕事中もその他の場も実にしゃべりまくりで実に「俺が俺が」の人で、そいつ…もといその人のを見ていて物凄い嫌悪感と一方で「あ、俺が喋らなくてもいいんだ」という妙な安堵感に襲われまして、それ以来「今、俺が喋ってることは、トータルでは自分にとってはどうなのか」ということを常々考えるようになりました。損得ということもありますが「黙っている方がいいこともある(後々、自分の言動を突っつかれてめんどくさい事になるのも嫌だから)」というのは不思議と会得しましたね。
で、そこの介護離職する前の職場は実質2年いたんですけども朝夕の挨拶以外は業務的な連絡以外は同じ班の同僚・上司とはほとんど口をきかなかったですね。それでいて更に前の職場(ここの支店の隣のエリアの支店でした。4年ほどいました)の時はよく喋っていたので、同じエリアの兼ね合いでその時の上司の人とかがこっちに来て廊下でばったり出くわした際にはいつもぐらいに、ここの職場の中では「ものすごく」喋ってたので「あなたは意外に喋れるんですね」と同じ班の上司にびっくりされたこともありました。「ええ、まあ。」と言葉少な目にアルカイックスマイルで返してたので「気味悪い奴っちゃなあ」なんて思われてたんじゃないでしょうかね。今となりゃどうでもいいですけど。
その結果、今は年々、喋る量を意図的に減らしています。とはいえいつも行っているクイズサークルの例会では司会やったり、番頭役として盛り上げ役も買って出たりしてるのでその時は「喋って」いますし、喋らざるをえない場(ご近所付き合いとか息子の通学先の先生との面談とか)は快活に喋ってますが、それでも「なんかムダな喋りが多いな、俺。」なんてひとり反省会は多いです。一方でSNSの方は「綸言汗の如し」と書いてはなんかエラソーで恐縮ですが、文字を打ち込む分、喋る時の以上に「ここで失言したら、もう取り消せないんだぞ」という一応の警戒感をもって周りの迷惑にもならんように、そして自分が後から嫌悪感丸出しにならんように…と、気をつけて書くようにしています。なのでSNSの方ではあまりトラブルは起きません。
ま、そんな事を考えるにつき、「俺が喋らんでもいいだろ」と決断して、それをテレビ番組でやってしまうタモリ氏はやっぱすげえなあ…って思いますね。ここに少しでも逡巡や気弱さが入れば、自らのサービス精神やその空気感に耐えきれずに「余計なこと」を言ってしまいそうですもの、フツーのタレントだったら。ましてや番組スタッフもいるわけで彼らのことを思えば何かコメントでも…って流れになるかもしれないしで。
ここらへんは番組を始める前にものすごく議論や意見の交換を重ねて、番組スタッフ諸氏も「タモリ氏がこうやりたい」という意図を汲み取ってのああいう形になったんでしょうから、タモリ氏の凄みと、それらをしっかり認めてやってしまう番組スタッフの凄みもまた感じてやまないなあ、と思った次第でした。まあタモリ氏が仮に引退とかしたら、もうこんなタイプのテレビスターはなかなか出てこないでしょうね。とはいえ、明石家さんま氏やビートたけし氏あたりが沈黙されてもそれはそれで困っちゃうしで(苦笑)
以上です。
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