え、西武のメヒア選手、退団すんの?(;゚Д゚)

ふたつほどつらつらと。

西武メヒアが自由契約、自ら退団申し出「ご家族のことが1番の理由」GM(日刊スポーツ)

あー、西武の山賊打線でも「ラスボス」みたいな怖い選手だなーと痛感してたんで、「スタメンで使わねえからいっそロッテに貸してくれ」とマーティン様入団までマジで思ってたもんですが…いやー寂しいじゃんか(泣)

西武はエルネスト・メヒア内野手から退団の申し出があり、自由契約の手続きを行ったことを発表した。シーズン途中に、8年間所属した西武を去ることになった。

以下、メヒアと渡辺久信GMのコメント

メヒア いま世界中がとても困難な時期であり、世界の反対側から日本に来た私にとって、家族がいないことは本当に大変でした。残りの21シーズン、チームメートの活躍を祈念し、チームメートが健康で、力強くフィニッシュし、優勝できることを願っています。ライオンズファンの皆さん、14年から長きにわたり熱いご声援をいただき本当にありがとうございました。皆さまには私の思いをご理解いただければ幸いです。家族を優先しなければならないということをおわび申しあげます。これからもライオンズをずっとずっと応援し続けてください、私も異国の地から応援しています。

渡辺GM 14年から8年ほどライオンズで一緒に戦ってきましたので、退団することになりすごく残念です。ただ、ご家族のことが1番の理由とのことでしたので、これは仕方ないことだと思います。性格も良くて、日本の野球をリスペクトしてくれていた選手でした。とても感謝しています。

つーか、8シーズンもいたのか西武に。なかなか西武というチームも続々と物凄い選手が台頭してくるがゆえにスタメン争いが大変で、そういう意味では栗山巧選手とおかわりくんが20年選手に近いぐらい(途中の怪我とかの中・長期離脱とかはありましたが)キープし続けてるのはまさに「驚異」の一言にすぎますねえ。

でも考えようによっては母国のベネズエラ…という事はほぼ地球の反対側にほぼ単身赴任の形でご家族を残してきてのプレーで、8シーズンも在籍してたというのもそれもすごい話だし、さんざん悩んだ末での結論なんでしょうね。西武にはバークレオ、デストラーデ、カブレラなど記憶に残る助っ人外国人選手が少なくない印象がありますが(今、同じく西武に在籍してるスパンジェンバーグ選手も物凄く怖い選手のひとりでもありますが)、これまた記憶に残る名外国人選手として語り継がれていくんでしょうね。

で、このまま引退してしまうのか、それとも母国界隈のプロリーグで現役を続けるのかはさだかではないですが、次なる場所でのご成功をお祈りしておりますです。

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余談:まさかあの岩崎恭子選手の最年少記録を更新するとは…(大汗)

以下は余談です、はい(苦笑)

スケボー西矢椛13歳で日本史上最年少金メダル…個人種目世界最年少金メダルは、7歳少年も(スポーツ報知)

今日は息子の作業療法のリハビリの付添をしてたのですが、出先でスマホからTwitterを見てたらびっくりですた。

1992年バルセロナ五輪競泳女子200メートル平泳ぎで岩崎恭子が14歳6日で金メダルを獲得。「今まで生きてきた中で一番幸せ」という名言とともに日本勢最年少メダルを獲得している。他の競技に目を移すと、個人種目の金メダルでは36年ベルリン大会女子3メートル板飛び込みのマージョリー・ゲストリング(米国)が13歳268日で達成。1896年アテネ五輪では体操平行棒団体のディミトリオス・ロウンドラス(ギリシャ)が10歳218日で3位に入っている(当時は銅メダルではなく表彰状だけ)。

 公式には残っていないが、それらを超えるといわれるのが1900年パリ大会ボート競技かじつきペアだ。オランダの選手が体重超過となり、代わりに観客の7歳くらいの少年を乗せて金メダルを獲得。記念写真に納まった少年だったが、名前や年齢は知られておらず、近代五輪のミステリーとして伝わっている。

いやー、その岩崎選手はその金メダル獲得以後に、いろいろと波乱万丈な人生を送られることになった…というのを聞いたことがあるんで、とりあえず西矢選手に関してはマスコミ各社も周りの人たちも、祝福したり喜ぶとこは大いに喜ぶとしても、そっとしてやるとこはそっとしてやれるだけのメリハリと距離感はよろしくです(^_^;)

以上です。

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