残念だけど「そこが日常」な住民からすれば「聖地巡礼」されたくないだろうな…。

京アニ跡地利用 地元町内会が要望書 「不特定多数訪問の慰霊碑などに整備しないで」(毎日新聞)

世知辛いと言えば世知辛い話…ではあるのだが、そこに住んでる人たちからすれば「不特定な奴に大量殺人」をご近所でやられた因果関係とかも考えればそう言いたくなる気持ちはわからんではないと思う。たぶんアニヲタには一生わからんと思うが。

京都市伏見区の「京都アニメーション」第1スタジオが放火されて36人が死亡、33人が負傷した事件で、地元町内会は現場建物の解体後、不特定多数が訪れるような慰霊碑や公園を整備しないよう求める要望書を同社に提出した。要望書は23日付で、跡地利用の協議への参加も求めた。

 遺族の一部やファンの間には追悼できる場にしてほしいとの声がある。町内会長によると「多くの人が訪れ続けると、平穏な生活が壊される」というのが理由で、14日の会合で加入23世帯の意見が一致したという。解体が終了する2020年4月下旬までに利用の方向性を示すことも要望した。

 建物は1月下旬から取り壊される予定で、24日には解体工事用の防音シートで四方を覆われた。京アニは25日の取材に、跡地利用について「ご遺族や地元その他関係者とも協議し、総合的に考慮の上、判断したい」との見解を改めて示した。

ま、ネット界隈では賛否両論になってるんすけどね、「さすが京都人、世知辛い」とか。ま、そういう側面もあるかもしれないけど、でもおそらくこれ、北海道(例えば札幌)だろうが都区内だろうが九州だろうが少なからず出る意見ではあると思うけどね。だって本当に「住宅地のど真ん中で、必ず現場に行くまでに住宅地の中を通らないといけない」場所らしいですから。

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「たまたまご近所で大量殺人事件」な住民には非はないからなあ。

これが例えば戦前の「津山三十人殺し」の事件現場のように、ど田舎の限界集落で戦前の建物が朽ち果てるのを待ってから廃屋になって取り壊される…みたいな感じならばまだしも、京都市内のそれなりのベッドタウン・住宅地で、「フツーにそこに住んでたら、たまたまご近所さんで日本史史上最悪な大量殺人事件が発生してしまいました」な目に遭ったとしたら…そりゃこれほどの「事故物件」もないだろうし不動産の価値がそこだけではなくご近所さんの町内まるごと落ちるかもしれないし。

さらにもっといえば「容疑者」がいくら「頭のおかしい・キチガイ」な奴とはいえ、「アニメファン・アニヲタ」のひとりである事は間違いない事実で、それに対しての恨みや偏見は絶対に消えないでしょうよ。それが仮に「何万人・何百万人にひとりの割合のキチガイ」な奴だったとしても、住民からすれば「よく知らん風体の奴が近所を歩いてる」だけでも怖いだろうし不愉快に思ったり、こいつらからすれば「聖地巡礼」なのかもしれないけど、そんなのは住民からすれば「そんなもんお前らの都合だろう?はたから見れば、気持ち悪い奴らがちょくちょくやってきて、俺らの日常を邪魔してる・生活を壊してる」と思われても、(言い方はものすごく語弊がありますが)そういう奴らの「お仲間」が実際にこういう事をやらかしたのだからまあ、住民を批難する事はお門違いなんだろうな、と個人的には思いますね。

別の所に慰霊碑でも祠でも立てたほうがいいわな。

結局の所、たぶん京アニはあの土地は手放さずに更地にした上で塀で囲んで立入禁止にした上に、「聖地巡礼」してきたアニヲタ連中の供え物を定期的に撤去・掃除するぐらいしかやり方はないんじゃないのかなあと、そんな気がするんですけどね。たぶん何も作らなくても「現場に聖地巡礼」する奴ら今後も出てくるんでしょうし、そこで(残念ながら一定数存在する)マナーの悪い奴がゴミ散らかしたり昼夜問わずに闊歩したり…と、地元住民との軋轢は続くんでしょう。

これが例えば…20数年前に若くして亡くなった歌手の尾崎豊が、たまたま他人様の家の敷地内に入り込んで瀕死の状態で倒れているとこを見つけて119番通報した後、没後にそこをファンの拠り所のようにした「尾崎ハウス」みたいな事は、この事件性も考えれば「おそらく無理、もしくはかなり厳しい」でしょうね。なぜならば大量殺人を犯した犯人が「アニヲタ」だった以上はね。

で思うに妥協案としては、京アニが責任を持って同じ京都市内のどこかのお寺の敷地内とかに「慰霊碑」とか「祠」とかでも作って「お参りするならこちらにお願いします」と誘導するしかないでしょうね。確かあの事件の直後に京都市内にどこかのお寺さんが慰霊法要を買って出てくれてた記憶がありますから、そこのお寺さんの協力を得てやっていくしかないんでしょう。さらに言えばそのお寺さんと京アニのスタッフが協力体制で定期的な清掃(供え物の撤去も含む)やマナー向上の啓蒙などを勧めていって、命日や月命日に法要を営むぐらいの方が「慰霊」としてはふさわしいと思うんですけどね。

「現場」にそれを作らなくてもいいのは「歴史」が証明してますよ?

個人的には例えば歴史的事件でいうとこの「関東大震災」「東京大空襲(厳密には通算4回遭った東京大空襲の中でも、史上最大規模の被害・犠牲者が出た昭和20年3月10日未明の城東地区への大空襲を指してます)」で犠牲になった方々を慰霊するのにわざわざ「亡くなった現場」ではなく両国の東京都慰霊堂(もともとはここは関東大震災で最大規模の被害が出た「陸軍被服廠跡地」にできた施設なのですけどね)に行ったり、「広島・長崎への原爆投下」で亡くなった方々を同じように爆心地付近の平和公園に行ってそこで手を合わせて弔っている方法…などでいいと思うんですけどね。

たぶん何割かのアニヲタとかは「現場じゃないと意味がない」みたいな事をいう輩も出てくるかもしれないけども…。それはあくまでも「非日常的なあんたの、あくまでも身勝手な意見」だと思ってまして、いちばん大事なのは「ご近所で多かれ少なかれ巻き込まれた」ご近所さんもある程度納得できるような誠意な対応であって、ご近所さんとアニヲタや京アニ等が揉めてるのを果たして犠牲者の人たちは願ってるのか?というか、そこまでご近所さんに迷惑をかけてまで「慰霊」されても、本当に犠牲者の人たちは草葉の陰でどう思うのか?ぐらいの広い視点で物事を眺める習慣もつけた方がいいと思う今日このごろです、はい。