浦和の柏木の師匠、J3の岐阜へ…という話と、昨日、三遊亭円楽師匠の自伝本を買った話。

まったくジャンルが違う話を2つほど。まあ「柏木の師匠」つながりで(^_^;)

【浦和】MF柏木陽介、J3岐阜へ完全移籍が決定的に 再三の規律違反で退団、再出発へ(スポーツ報知)

キャンプ中に規律違反をやったりして浦和の退団が決定してた柏木陽介選手が、

浦和レッズの「柏木の師匠」がこんな形で退団する事になるとは…(;゚Д゚)

2021年2月16日

どうやらJ3の岐阜に行くことになったそうで…。いやーぜひ岐阜の戦力になってJ2復帰に貢献してほしい。

浦和の元日本代表MF柏木陽介(33)がJ3岐阜に完全移籍することが11日、決定的となった。近日中にも正式発表される見込み。

 柏木はFW杉本と沖縄キャンプ中の先月4日、飲食店を貸し切って外食。新型コロナウイルス感染拡大防止策としてのクラブの禁止行為で、罰金と厳重注意処分を受けた。家族以外の知人と外食した昨秋に続く規律違反で、チーム合流を認められず。クラブとの話し合いの末、移籍先が決まり次第、退団することで合意していた。

 関係者によると、柏木は海外を含めて移籍先を模索したが、最終的に国内を優先。複数のJクラブが興味を示す中、浦和の下部組織出身の小松裕志氏(33)が今月から新GMに就任した岐阜からオファーを受け、この日までに大筋で合意したとみられる。2010年から在籍した浦和を退団することになった。

 昨季J3で6位に終わった岐阜は今季、前F東京コーチの安間貴義監督(51)を招へい。14日に八戸との開幕戦を迎える。高い技術と豊富な経験を持つ柏木の加入は、J2昇格へ大きな戦力となりそうだ。

 柏木は先月16日、クラブを通じて「私の軽率な行動で多大なるご迷惑をおかけし、おわび申し上げます。自覚が足りず、深く反省しています」などとコメントしていた。問題発覚から約1か月。個人でトレーニングを続けてきたベテランは、J3の舞台から信頼回復に向けた再出発を切る。

 ◆柏木 陽介(かしわぎ・ようすけ)1987年12月15日、兵庫県生まれ。33歳。広島の下部組織から2006年にトップ昇格。10年1月に浦和へ移籍。16年にJリーグベストイレブン、17年にACLでMVP。Jリーグ通算423試合60得点。国際Aマッチ11試合0得点。夫人は元TBSの佐藤渚アナウンサー。利き足は左。176センチ、73キロ。

でもまあ、なかなか実績も能力も申し分ない選手とはいえ、規律違反で長年在籍していたチームを追い出されようとしてる選手をあえて獲得したいと手をあげる…という決断をするのも、なかなかできるもんじゃないでしょうね。本当にありがたいねえ、FC岐阜のGMさん…。

思えば広島から浦和に来たのが今から11年前。という事は22歳の時点で広島で実績を作って鳴り物入りで浦和にやってきた…というのを思えば「そうか、もう柏木の師匠は33歳だったんか」と。いやーまだまだ老ける年齢ではないでしょう。ここからもう一踏ん張り、更にギアを入れ替えて、とりあえず岐阜をJ2に引き戻すように大活躍して頑張ってほしい。さらに結果を出して他チームにステップアップしてもよし、恩義を感じて(?)更に岐阜をもっと凄いチームにすべく尽力してもよし…のどちらでもいいんで、今は与えられた環境で自分なり頑張って欲しいですね。あ、怪我だけにはどうか気をつけて。

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余談:「柏木の師匠」つながりで(笑)

以下は余談なんスけども。

私自身、ここのブログでは柏木陽介選手の事を「柏木の師匠」と呼んでおりますが、この元ネタは、昭和時代の古典落語の名人の6代目三遊亭圓生師匠が生前、新宿の柏木町に長らく住んでた事から「柏木の師匠」などと呼ばれていた…のにひっかけて拝借して勝手に呼ばせていただいてるわけなんですが…。その「柏木の師匠」つながりの余談です、はい(^_^;)。

昨日、愛車の一年点検を終えて相模原のディーラーさんとこから帰ってくる途中、圏央道で日の出町のイオンモールに立ち寄って休憩がてら軽くお茶でもしようと、

未来屋書店とスタバが併設されているとこに行きまして「何かおもしろそーな本が売ってねえかなあ」と漫画コーナーやら書籍コーナーやらを眺めてたら、実におもしろそーな本がありました。

それは、

6代目三遊亭円楽師匠(笑点の大喜利や、伊集院光御大の落語家時代の師匠でも知られております)の「流されて円楽に 流れつくか圓生に」という円楽師匠にとっては初の自伝本でした。昨年末に発売されたそーなんですが、「おお、これはおもしろそーだ」と中身も見ずに衝動買いしまして、

隣のスタバでアイスティとバームクーヘンを喰らいながらパッパッパッと速読してました(なお帰宅後、じっくりと改めて読んだんですけどね)。で、お弟子さんだった伊集院光御大の事は書いてねえかなあと思ってたら、

ありました(笑)。

以前は落語家を廃業した後はずーっと会って無くて「深夜の馬鹿力」のごくごく黎明期の頃に、「ブラジャー一丁でいろいろな著名人とインタビューをする」というアホ企画で、目隠しされてた伊集院御大の前にスタジオに入ってきたのが元師匠であり当時の楽太郎師匠で、半ば絶句そして明らかに狼狽してた伊集院御大を相手に楽太郎師匠が「お前、結婚してたんだったら報告ぐらい来い」とか「たまには俺の落語会に顔を出せ」とえらく説教も受けつつも一応激励もされてたのが懐かしいですな(^_^;)

で、巻末には「誰も圓生を継がねえんだったら俺が7代目を継ごうかなあ。死ぬ3ヶ月ぐらい前に」というやはり当代の円楽師匠っぽいや、という凄いことも書いてあったんですが、これは「柏木の師匠」と呼ばれてた6代目が存命の頃に落語協会を脱退したりとゴタゴタがあった後、6代目が没した後に総領弟子(一番弟子)だった先代の圓楽師匠とご遺族がもめて、最終的には「本来は先代圓楽が継いで然るべきだった」7代目圓生を誰も継げなくなってしまった経緯がありまして長らく「止め名」になってたんですね。で、今から10年ぐらい前は圓生の直弟子(円窓師匠・円丈師匠)・孫弟子(今の円楽師匠の兄弟子の鳳楽師匠)の3人が「自分が圓生を継ぎます」という宣言して話題にもなったことがありまして…結局、誰も継げずに今に至るという次第でして。

しかし仮にトントン拍子で今の円楽師匠が例の政治力・交渉力をもって(?)どーにか落語界の了承を得て圓生を継いだ…としたら、

伊集院光「これから円楽師匠のことを「錦糸町の師匠」と呼んでいこうかと」w

2016年6月16日

やはり伊集院ファンからは「錦糸町の師匠」って呼ばれることになるんだろうかw

それと最後にさらに余談ですが、上記の「7代目圓生を誰が襲名するか」で揉めていた頃に、前に所属してたクイズサークルでの優勝賞品として「8代目圓生を名乗れる」権というのを優勝者に贈呈したことがありましたね。で、当時の幹事長さんが優勝してしばらく「@8代目圓生」とハンドルネームに明記してたのが懐かしいです(笑)

以上です。

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