っかし日ハムの人気者・杉谷拳士選手の「電撃引退」にはマジでびっくりですわ(^_^;)

【日本ハム】杉谷拳士が電撃引退、すでに球団に申し入れ了承…11月5日の侍ジャパン戦が最後の雄姿に(スポーツ報知)

かつての岩本勉・森本稀哲・そして「ビッグボス」新庄剛志の各氏の系譜を確実に辿っている(?)日ハムの人気者がここで電撃引退するとは…。まさか新球場でのプレーが見られねえとは思わなかったな(大汗)。


日本ハムの杉谷拳士内野手(31)が今季限りで電撃引退することが27日、分かった。14年目の今季は51試合に出場し打率1割6分5厘、3打点、本塁打なしに終わった。シーズン終了後、今後について熟考。新球場でプレーしたいという願望もあったが、自ら区切りをつけることを決断。すでに球団に申し入れ了承された。

 杉谷は帝京高から入団テストを経て08年ドラフト6位で入団。2年目にはイースタン最多を更新する133安打を放った。15年には規定打席には達しなかったものの、打率2割9分5厘。19年5月23日の楽天戦(札幌D)では左右両打席でアーチをかけ、球団OBのセギノールにちなみ「スギノール」と自称し、ファンを喜ばせた。長年にわたりムードメーカーとして持ち前の明るさを発揮。外野の全ポジションに一、二塁を守れる両打ちのユーティリティー選手として重宝がられた。

 ベルーナDの西武戦では試合前の打撃練習でウグイス嬢からいじられることが恒例となり、オフのバラエティー番組でも野球選手の枠を超え、笑いを提供。全国区で存在感を見せた。一方、練習に真摯(しんし)に取り組む姿勢は後輩から慕われ、ダルビッシュ(パドレス)や中田(巨人)ら先輩にもかわいがられた。

 今後は未定だが、野球へ恩返しするため、留学を含めさまざまな勉強の時間に充てることを考えている。11月5日の侍ジャパン戦(東京D)に出場する見通しで、恩師である侍ジャパン・栗山監督とファンの前に最後の雄姿を見せることになりそうだ。球界を超えファンに愛された杉谷が静かにユニホームを脱ぐ。

 ◆杉谷 拳士(すぎや・けんし)1991年2月4日、東京都生まれ、31歳。帝京高では1年から正遊撃手。3年では主将を務め計3度甲子園出場。入団テストを経て2008年ドラフト6位で日本ハム入団。10年にはイースタンでシーズン安打記録を更新。11年に初出場するとユーティリティー選手として1軍に定着。173センチ、78キロ。右投両打。推定年俸2800万円。

いや最初は「え、ノーテンダーの内示でも受けたのか?」って思いましたわ、今朝このニュースを知って。でもそうでもなくむしろ球団側がびっくりしてたような状況だったのがすぐにわかったんすけどね。慰留もしたんだろうなあきっと。

もっともただのおちゃらけだけでここまで来てた選手「ではない」のはもう一目瞭然で、本当は生真面目すぎて気遣いとかも半端なくしてたんだろうな…というのはこの選手のプレーやバラエティ番組(とんねるずの石橋貴明氏の後輩でもありますしね、帝京高校の)とかを見ていて「痛いほどよくわかる」感じだったんで。

なーんも考えずにただのおちゃらけだったらあれだけ当意即妙なキャラクターっぷりもできなかったでしょうし、西武ドームの場内アナウンスのおねいさんのいじりとかも全て「プロ野球の盛り上げのために」やってたんでしょうし、まあかつての何人かの似たようなタイプの選手で「あー、この人、本当に何も考えずにやってたんだー」という人もいなくはないですが(失笑)。

それを思うと、特に巨人に移籍した兄貴分・中田翔選手なんかもただいじめているだけではなく、この人の受け身のうまさもあるからこそ、「またやってんなー、あいつらー」でしゃれで済んでたんだと思いますけどね。たぶん中田選手もいじってはいけない選手に杉谷選手のようないじりをしちゃったんでトラブったんだろうな、と。

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引退会見に恩師の栗山前監督がサプライズゲストってのがいいねえ…。

【日本ハム】杉谷拳士が“前進会見” 栗山前監督がサプライズ登場で涙(スポーツ報知)

前監督の栗山サン、実にいいサプライズを(感涙)

日本ハム・杉谷拳士内野手が28日、札幌市内で笑顔あり、目を潤ませる場面ありの会見に臨んだ。

 まずは「この度は何から話したらいいのか分からないですけど…。すいません」と言葉を詰まらせた。そして「テストから入って今日まで14年間ファイターズでお世話になりました。今日新たに、引退会見という言葉は使いたくありません。前進会見ということで、これからの人生を前進していきます。前向きな気持ちで会見したいと思います。皆さんお手柔らかにお願いします」とあいさつした。

 「常に栗山監督からも『前に進みなさい』、『拳士は拳士らしくやりなさい』と話もしてもらっていたので、今日は前進という言葉を使わせてもらいました」

 プロ14年目の今季は51試合に出場し打率1割6分5厘、3打点、本塁打なし。「シーズンが終わってからたくさんの方に相談して面談も重ねて、自分の将来やファイターズの将来や体のこと総合的な判断をした上でこのような形になりました」と説明した。

 最後の花束贈呈では、栗山前監督がサプライズ登場。「長い間お疲れさまでした。ここからなんで、楽しみにしてます。やり残したことはないですか」と言葉をかけられ、涙を見せた。

 杉谷は帝京高から入団テストを経て08年ドラフト6位で入団。2年目にはイースタン最多を更新する133安打を放った。15年には規定打席には達しなかったものの、打率2割9分5厘。19年5月23日の楽天戦(札幌ドーム)では左右両打席でアーチをかけた。長年にわたりムードメーカーとして持ち前の明るさを発揮し、ファンにも愛された。

それにしてもものすごーく悩んだ上での決断だったとは思いますが、ここまで引き際が凄いなあと思ったのは、もう35年前になりますが当時32歳だった巨人・江川投手の引退以来だなーと。江川投手の場合は肩痛もあったし、解説者とか(後にバブル崩壊でどえらい目に遭った実業家とか)のセカンドキャリアとかの目標もあったりで(それにしても実働9年で通算135勝。年平均15勝というのが実にすごすぎる)。

たぶんタレントに…という道もあるんでしょうし、そっちにも顔を出しながら(そして石橋貴明パイセンから「お前、誰?」とか愛のあるつれない態度でいじられながら(笑))、いろいろと野球方面でも学ぶ道は多いんでしょうね。思えば栗山英樹氏もヤクルトで現役引退したのがまだ30歳手前の頃でしたし、そこからスポーツキャスターだの野球評論家だのを始めて、まさか日ハムで10年も監督をやるとは。更に侍ジャパンでも監督をすることにとは…と考えると、杉谷選手、長いのはここからだよ?ってのは栗山サンの存在およびその発言がものすごーく「重い」なあと感じる今日この頃ですね、はい。

ちなみに江川投手が引退したのが1987年秋。後楽園球場から東京ドームに本拠地球場が替わるその直前だった…というのも札幌ドームから北広島の新球場(「ES CON FIELD HOKKAIDO」)に本拠地球場が切り替わる直前に辞める杉谷選手と似ているなあと思いますね。江川投手は翌春に東京ドームでのこけら落としのオープン戦で引退試合をやったんですが、たぶん来春の新球場のこけら落としで杉谷選手の引退試合とかをやるんでしょうね。

いずれにしても現役生活、お疲れ様でした。これからの長い長いセカンドキャリアでの成功を祈ってます。以上です。

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