「敵を知り己を知れば百戦危うからず」

宮崎駿氏、崇拝対象の風刺画「間違いだと思う」 : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

私もそう思います。よく知らん奴をいじったり風刺に使う事自体が間違ってるんじゃね?と。一番よくないのは他人の尻馬に乗ってやりたい放題やる奴ね。ジャイアンがいなけりゃ何もできないスネ夫かお前は、と。

仏政治週刊紙「シャルリー・エブド」の本社銃撃事件をめぐる風刺画問題について、アニメーション映画監督の宮崎駿さん(74)は、16日放送されたTBSラジオの番組「荒川強啓デイ・キャッチ!」で、「異質の文明に対して、崇拝しているものをカリカチュア(風刺画)の対象にするのは、僕は間違いだと思う。やめた方がいい」と述べた。
    
 番組内で紹介されたインタビューでの発言で、風刺画は「まずもって自国の政治家に対してやるべきだ」とも指摘した。

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「敵を知り己を知れば百戦危うからず」

「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という言葉がある。

これは孫子の兵法から来た言葉だった記憶があるが、要は「敵についても味方についても情勢をしっかり把握していれば、幾度戦っても敗れることはない」ということを指しているんですね。兵法だけに対外戦争、対内戦争(?)のいずれにも肝要すべき事である、のだろうが、おそらく自分以外の誰とでも接する時には「そんぐらいは気を付けて接しろよ」と諭すときにも使えると、私は思う。

基本的にユーモアとは知性、フランス語でいえば「エスプリ」があってナンボのものだと思っている。要は頭が良くなければできないものだ、と。風刺や風刺画なんかも勿論そのユーモアの最たるもののひとつだと思うが、当然に「相手はちゃんと選べよ」という事にもなる。

自分よりも弱者へのユーモアはありえない。

ただし、「相手を選ぶ」際に自分よりも弱いものを風刺してはそれはユーモアにはならない。結果、自国の政治家や政府などの「(自分よりも)強者」に対してやることになる。

勿論、茶化すとすれば、それなりに勉強や研究もしなくてはならない。ましてやいくら公人とはいえ政治家の家族やプライベートを茶化してもユーモアにならないから(笑点の大喜利で、昔は桂歌丸師匠が、今は6代目三遊亭円楽師匠がこういう政治風刺を入れてきて絶妙なユーモアを披露するはこういう理由もある、昭和20-30年代の頃に政治風刺で人気を得ていた先代の鈴々舎馬風師匠は毎日、寄席に来る前に新聞を熟読して時事ニュースをチェックするのが日課だったという話もありますしね)。

それに対して「マジ切れ」する政治家や政府などの強者が世間から「野暮」という評価を受けるわけで。実際、落語家は戦前戦後の頃は、寄席よりも料亭のお座敷で政治家や高級軍人を相手に一席披露するぐらいの「為政者側の贔屓筋」を持っていたぐらいで、むしろ国の上の方の連中はそれをあえて「楽しむ」ぐらいの度量の広さを持っていたということにもなる。

※ただ例外として、5代目柳家つばめ師匠の当時の総理をネタにした「佐藤栄作の正体」という新作落語はさすがにネタが際どすぎて政府からクレームが来て放送禁止になったという逸話もあるんですけどね(汗)

わかってないバカは何もやるな。

ここらへんの絶妙なバランスがユーモアがユーモアとして昔から成り立っていたのだが、やはり「わかってないバカ」がやると大やけどもするよな、と。エスプリといえばフランス語なのだが、その言葉の発祥の地でああいう風刺画をやらかして、テロられて、「報道の自由を守れ」なんつーデモが起きる時代になったんだから、いかにここらへんのバランスがわかってないってのは万国共通なのかな、と。

ま、これは近年、テレビ番組とかでよくみられる「野放図な後輩芸人いじりや客いじり」にも言えるような気がする。最終的にいじる側をよく見極めていじられた側も気持ちよくさせるだけの度量もセンスも勉強量も「ない」芸人、それをテレビで見て「よし」として学校や職場で「やらかす」一般人が増えてきたのかもしれないっすねえ。シンプルで見た目には簡単そうに見える芸こそ、本当は一番難しいのにね。